『サイモンの言っていた治療薬が出来たよ』
「本当か!」
サイモンは歓喜に声を上げる。トトは大きな声に眉を寄せる。うるさいとでも言いたげだ。
『ちょっと声のボリューム下げてくれる? 誰かさんのせいでまともに寝てないんだから』
「ああ、悪い。で? 治療薬の作り方は? 魔法か?」
『全然悪いと思ってないじゃん』
はあ、とトトがため息を吐く。
仕方ないだろう。こっちは今の今まで振り回されっぱなしだったのだから。
(そもそもゾンビ化の話だってトトが持ってきた話だろ)
サイモンは無意識に視線で訴えてしまっていたらしい。トトは『わかってるってば』と投げやりに告げると、こめかみをマッサージする。
『治療薬は薬。魔法にしようかと思ったけど、アンタの今の魔力じゃ変なやつ掛けかねないし』
「失敬だな。これでもコントロールはよくなっているんだが」
『コントロールはよくなってても、魔力は戻ってないんデショ』
反論は出来なった。サイモンは続きを促す。
『材料は珊瑚十グラムと梟の爪を三グラム。水晶ひと欠片を入れて混ぜて――最後に人魚の涙を一滴入れる』
「……どれも高級品だな」
『仕方ないデショ。闇の魔法自体、厄介なものなんだから』
それもそうか。サイモンは頷く。
『ちなみにこれ、一人分の材料だから』とトトに言われ、サイモンは頬を引きつらせる。……つまり、街の人間全員に使うとなると必要になる量は……。
(……考えたくないな)
サイモンは思考を放棄することにした。
「わかった。助かる」
『……やけに素直じゃん。材料を集める手伝いをしろとか言ってくるかと思ってたのに。それか魔法を教えろって駄々捏ねたり?』
「駄々って。俺を何だと思っているんだ」
『好奇心に勝てない子供』
「それは君もだろ」
魔法が関わったら犬猫以上にまっしぐらになるくせに。
(言ったら通信が切られるかもな)
それは困る。まだ聞きたいことがある。『うるさいなぁ』と呟くトトに、サイモンは何も言い返さなかった。
『まあいいや。ところで、そこどこ? なんか見覚えあるんだけど』
「ああ。いろいろあってな。今、海の神の領域にいるんだ」
『はあ?』
トトの声が上がる。気持ちは大いにわかるが、そんなに全力で顔を顰めなくてもいいだろう。
『何がどうしてそうなったワケ?』と苛立ち半分で問われ、サイモンはここに来るまでの経緯を話した。話せば話すほど、トトの顔が曇っていく。最後に「乗り込んできたラードを捕まえた」と告げれば、ついに頭を抱えてしまった。
『……言いたいことは山ほどあるけど、もういいや。とりあえず僕の方からもヤコブに連絡しとく』
「ああ。悪いな」
『悪いと思ってるならその巻き込まれ体質、どうにかしてよ』
そう言われても。サイモンは「ははは」と苦笑いをこぼした。
巻き込まれたくて巻き込まれているわけじゃない。なぜか毎度タイミングよく巻き込まれるだけだ。
『その様子じゃあ、材料を集めるのに苦労はしなさそうだね』
「ああ」
『梟の方は僕がどうにかしてやるから、残りは水晶だけど』
トトは眉を寄せた。その表情の意味を知っている。
『……手持ちの分は一緒に送るけど、他はどうにかして欲しい』
「ああ。わかってる。ありがとうな」
『サイモンがお礼とか、明日嵐でも来るの?』
「本当に失礼だな、お前は」
親しき中にもなんとやらというのは、彼の辞書にはないらしい。
彼らしいと笑って、サイモンは調合の方法を問う。『どうせ忘れてないくせに』と言われたが、念のためだと告げて調合方法を促した。
『調合中は私語厳禁。異物が入らないように部屋の施錠はしっかりすること。あと、調合はサイモン一人でやってよね』
「材料を用意するのは手伝ってもらっても問題ないか?」
『それくらいなら』
珊瑚と梟の爪はすり鉢で擦って粉にして、水晶は一カラット以下の欠片にする。人魚の涙は常に冷たいところで保管して、熱を入れないこと。
『それを全部入れて混ぜて、あとは飲ませるだけ。わかった?』
「飲ませるのか?」
『え? ああ、まあ。一番は飲ませるのがいいけど、魔力に混ぜて散布する方法でもいいよ。皮膚からの吸収になるから飲ませるより効果は落ちるけど、半日もあれば元に戻るんじゃない?』
「そうか」
(それならどうにかなるか)
問題は水晶をどうやって集めるか、だ。
――水晶と言えば、魔法石の中でも他を寄せ付けない最上位のものだ。
まだ、百数年前のことだ。
五歳にならない子供が祖母のネックレスにあった水晶に触れ、魔力暴走を起こした事件は記憶に新しい。
ネックレスの持ち主だった祖母は魔法を使う人間だったが、自分の子供たちは普通の子供だったため、油断していたらしい。まさか水晶によって孫の魔力が高められ、それが暴走するなんて思ってもいなかったのだ。
事件のあった屋敷はすべて焼け落ち、半径五十メートル以上の木々が焼かれた。文字通りの悲惨な事件だ。
(何より、魔力暴走を起こした本人以外助からなかったのが、より残酷だ)
サイモンは旅先で知った事件だったが、あまりの出来事にさすがに憐れみを抱いたのを覚えている。その後、子供がどうなったのかは知らない。
しかし、その数年後に魔法省の指示により、密かに水晶の回収が行われていたのは知っている。
『ちょっと。サイモン聞いてる?』
「……ん? ああ、悪い。考え事してた。なんだ?」
『切る』
「待った待った!」
「悪かった! ちゃんと聞くから!」慌ててトトを引き留めるサイモン。トトは子供の用に頬を膨らませる。子供のような反応につい「可愛くないぞ」と口にしてしまった。画面越しに何かがすごい勢いで投げつけられる。後ろにいた神子がびっくりしていた。
『もう知らない! 勝手にすれば!?』
『バーカバーカ!』と叫んで、トトとの通話が切られる。その勢いに、何も言えなかった。
(ほ、本当に切りやがった……!)
まだまだ聞きたいことがあったのに。そっちの遺跡の話はどうなったんだとか、海の神の様子が聞いていたのとは違ったとか。
しかし、切られてしまっては仕方がない。サイモンが伝書鳩を閉じると、鳥は手元で一回転し、消える。
「なんじゃ。振られたのか?」
「らしいで」
「モンち、元気出してー?」
「……覗き見なんて趣味が悪いぞ」
背後から聞こえる声に、サイモンは視線を向ける。
両脇にはいつの間にか海の神とマリンがおり、上には逆さになっているカイリがいた。頭に血が上って気持ち悪くなりそうだな、と思ったが、彼が幽体なのとさっきの囃し立てる声を思い出して、撤回する。そのまま頭に血が上って苦しめばいいのに。
「ええ~、そんなこと言わずに~、ちょっとくらいいいじゃん~。ね、海ちゃん、カイリン」
「そうじゃ。面倒な彼女を相手してる彼氏感あって面白かったぞ」
「せやなぁ。けど、長続きはしそうになかったで」
「「わかる~!」」
「……随分と仲良くなったみたいだな」
主に気軽に話しかけられなーいと言っていたのは、どこのどいつだったか。カイリと海の神に関しては、操られていたとはいえ、刺した容疑者と刺された被害者だっただろうが。
(細かいことを気にしていたら埒が明かないな)
大きく息を吐き出す。長い年数生きていると、切り替えがどれだけ大事なのかがわかってくる。
「海の神。頼みたいことがあるんだが、いいか?」
「ん? ああ。珊瑚と人魚の涙じゃろ?」
「話が早くて助かる」
海の神は嬉しそうに胸を張る。……こういうところだけは見た目通り、幼く見える。
「珊瑚は好きなだけ持って行くといい。どうせ放っておけば生えるしのう。人魚の涙は」
「あたしので良ければあげるよ~」
「足りなければみんなにも声かけるし?」と笑うマリンに、サイモンはもう一度礼を告げる。人魚の知り合いを事前に作っておいてよかった。百パーセント偶然だが。
「それと、珊瑚を持って行くのに人員が欲しい」
「ふむ。護衛の者たちから数匹貸そう。上にいる奴らも呼んでよいぞ」
「いいのか?」
「お主の知り合いじゃろ。なら下手な真似はせんじゃろうて」
手をひらりと振る海の神。至れり尽くせりだ。
「助かる」と告げれば、海の神は護衛の数人に海上に向かうように指示を出した。走り出すカニやエビの背中に「ちょっと待て!」と声を上げるが、それよりも早く彼らは動き出してしまった。素晴らしい。兵士としては満点だろう。
(……阿鼻叫喚になりそうだな)
悪い、船長。大砲で打つのだけは止してやってくれ。
内心で合掌をしていれば、ふよふよとカイリが寄ってくる。
「なあ」
「どうした、カイリ」
「薬って飲ませるんやろ? どうやって街中の人間に飲ませるんや?」
カイリの問いに「ああ、それは」と応える。
「魔力を使って皮膚に付着させる。吸収までに時間がかかるが、人間には多かれ少なかれ魔力を持っているからな。そこに浸透させるようにするんだ」
「? つまり、薬のシャワーを作るってこと?」
「いい表現だな」
その通りだ、と頷く。「ほえー」とカイリが声を上げた。わかっているのかいないのか、微妙な反応だな。
(魔力が持つかは心配だが、魔法を使うよりは幾分か持つだろうし)
トトには心配されたが、街に魔力を行き渡らせることくらいは出来るはずだ。そりゃあ、三日三晩は難しいが、半日であれば問題ない。
(地上に上がったらまずは魔力の導線を作らないとな)
――それまでに魔力をある程度回復しなければ。
ラードとの戦いで思ったより消費しているのが痛いが、自分以外に出来る人間などいない。魔力を何度も空にするのは、経験上いいことではない。わかっているからやりたくないんだが……仕方ないだろう。
ゴスッ
「うッ……!」
「阿呆。魔力を使いすぎて倒れたら元も子もないじゃろ」
海の神の小さい肘がサイモンの脇腹にヒットした。痛い。細いからか、より腹の底に入ってくる。
「っ……仕方ないだろ、それくらいしか方法がないんだし」
「本当にそうじゃろか?」
「?」
「お主もそこそこ年数重ねとるんじゃ。経験の詰まった頭でもっとちゃんと考えれば良いじゃろう」
にやにやと笑う彼女に、眉を寄せる。言葉の端々に棘があるように感じるのは、気のせいだろうか。「妾にとっておきの案がある」「とっておき?」海の神が自信満々に頷く。
腕を引かれ、耳を寄せられる。海の神はこそこそとサイモンにその“とっておき”を耳打ちをした。――なるほど。そういう方法があったか。
「さすが神だな」
「お主が何でもかんでも自分でしようとしすぎなだけじゃ」
「……悪かったな」
海の神の言葉にサイモンは視線を逸らした。やがて護衛が戻って来る。「上の者たちを迎え入れました」と告げる彼らに、サイモンは気合を入れなおした。