そうこうするうちに、レオが椅子を携えて戻ってくる。
「背もたれがありますから、こちらの椅子のほうがイヴさん向きでしょうか?」
「わざわざすみません。じゃあ、そっちに座らせて頂きます」
イヴが会釈し、レオと席を代わる。アリシアも「お手数おかけしました」とレオの親切さに感謝を示す。
「いや、大したことでは……」
さっき椅子を取りに向かう前にアリシアに礼を言われた際も、今改めてアリシアの隣に座る時も、レオはいつもより少しぎこちないのだが、アリシアは察することもなくイヴの様子を注視している。貴族の称号を授かった獣人は、照れ隠しに咳払いする。
アリシアはそんなレオの仕草には気付くこともなく、食事を進めつつも単刀直入にイヴに尋ねた。
「それで、別人というのはどういうことかしら?」
イヴは、アリシアに声をかけるまでにもう覚悟を決めていたのだろう。淀みなく「四ヶ月ほど前のことです」と話し始めた。
「彼が体調を崩して数日家に引きこもって以来、彼の言動が変わってしまったのです。見た目には全然変わらないのですが、本人ではないようにしか思えなくて……」
話を聞いていたレオが「あの、よろしいですか? そう言い切れる根拠をお聞きしても?」とイヴともアリシアともアイコンタクトを交わしながら質問する。イヴは、答える前に屋台に立って客と話す父親をちらりと見た。
「……この子は、彼との……レナルドとの子なのです」
アリシア達が何か言う前に、イヴは声をひそめて懇願する。
「このこと、私の父には内密にお願いします。
私達はいずれ一緒になろうと話してはいましたが、レナルドはまだ父に正式な挨拶は済ませていませんでした。どこの荘園も似たような話はあるかと思いますが、領主様に村の代表や粉挽き役を任された者は村人との間にトラブルも軋轢も生まれがちです。領主の味方をしているのではないかとか、粉の目方を誤魔化しているのではないかとか、いろいろ疑われたり心配されたりして、板挟みになる理由はいくつもあります。だから、彼はなかなか挨拶に踏み切れませんでしたし、私達も関係を公表はしていませんでした」
イヴはここで言葉を切り、「思えば、誰かにちゃんと話していれば、こんな風に一人で悩まなくても済んだのかもしれません」と悔やむような表情を見せた。
「赤ちゃんを授かったのかもしれないと気が付いた時、私、とっても嬉しくて、当時少し元気がなくて体調も万全ではなかったレナルドにうきうきと伝えに行ったんです。でも、体調が悪いからと門前払いされてしまって何も話せませんでした。その時からすごく他人行儀な態度で。
体調が戻ってからも、まるで初対面みたいに私に接するんです。まるで人が変わったみたいに、私と過ごしたことを何も覚えていないようで。でも父や誰かにこんなこと話せません。誰かに、彼を責めさせたいわけじゃないんです。それに、他の人は何も違和感なく彼と話しているようだし、仕事も普通に以前の通りにこなしています。だんだん、全ては私の思い込みで、レナルドと自分は恋人でもなんでもなかったんじゃないかって気さえしてきて……」
イヴの声が頼りなげに震えて、思わずアリシアは「そんなことがあったなんて」とイヴの不安や混乱を思う。
「では、レナルドさんにはあなた方の赤ちゃんのことを何も言い出せていないということですの?」
問われて、イヴは「はい」と頷いた。
「この子の父親が誰なのかについて話したのはこれが初めてです。私のお腹がどんどん大きくなって妊娠しているのはもう隠せないほどに一目瞭然ですし、相手が誰かを私が何も言わないから、父も近所の人も、みんな心配してくれています。でも、彼からは何の音沙汰もありません。将来を約束した相手が妊娠しているのに、心配するでも不義理を疑うでもなく、向こうから何も言ってこないんです。私、あの人が──レナルドが何を考えているのか分からなくて、この子の父親について口にするのがすごく怖くなってしまって……」
「でも、じゃあイヴさん、お一人で出産や養育に臨まれるってことですか……⁉」
三つ目のタルトを食べ終えたニナが心配そうにそう言うと、イヴは「まあ、そうなりますかね」と困ったような笑みを浮かべる。
「でもベテランのお母さん達がたくさんおられますし、意外とやっていけそうな気はしてるんです。いや、違うかな。やっていくしかない、って覚悟が決まってるだけなのかもしれません。きっと、父親が誰であれ、お腹にいるのが私の子だという点は明らかだからでしょうかね? 妙に気合いが入って頑張れそうだなって」
母は強し、という小説から生まれた言い回しがあるが、まさにイヴの今の状況にふさわしい気がすると夕食を咀嚼しながらアリシアは思う。そんな身重の彼女に、不確実な自分の予想を打ち明けるのはためらわれた。しかし、イヴの存在が事態の進展のための大きなきっかけとなってくれる可能性は大いにある。
「これは仮定の話ですけれど、もしも、今、村の代表をしているレナルドさんが他人によってすり替わっている状態だとしたら、彼の態度が変わってしまった状況の辻褄が合うと思いませんか?
……イヴさん、落ち着いて聞いてくださいね。わたくし、森で、レナルドさんとそっくりの声をした方と会いましたの」
イヴが「えぇっ」と驚く。彼女はアリシアの話に興味を持ち、重そうな下腹部に手を添えて身を乗り出した。
「く、詳しく聞かせてください!」