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第27話 新鹿鳴館の夜会


 その後、一部美弥の担当する書類や書物に変更があった。主に魔術書の類いは、軍本部で行うことになり、在宅での仕事はあやかし外交関連の品が増えた。語学が主体なので、こちらの方が美弥は得意だ。


 そんな中で、晴斗に誘われた新鹿鳴館へ行く日が訪れた。朝から礼装に着替えた美弥は、華族ばかりが訪れるという夜会とのことで、そわそわしていた。


 十二支の末裔達の中では蔑まれてこそいたが、帝都においては美弥も立派な華族の一因であり、一般的な者から見れば、上流階級の出時といえる。華族にはいくつかの種類があるのだが、今の帝都には、軍や政治、商業で名を馳せて爵位を得た新興の華族も多い。そのため、華族の中にも貧富の差や没落について、最近の勢いについてなど、多数の噂話がある。


 その中にあっても神聖視される十二支神の末裔の家柄と、それを統べる神屋公爵家、一応末席にいる猫崎伯爵家を含めて、神の末裔家とされる存在は、本当に強い権力を持っている。


 馬車から降りて晴斗と共に新鹿鳴館の階段を上っていくと、気づいた支配人達が焦ったように姿を現し、恭しく頭を垂れた。


「神屋公爵」

「今日はお招き感謝する。こちらは婚約者の美弥だ。俺達は今日はプライベートで楽しむから、そう気を遣わないでくれ」


 晴斗が片手を挙げて挨拶すると、支配人たちが、ほっと息をついたのが美弥にも分かった。周囲からも物珍しそうな視線が飛んでくる。だが晴斗には、それを気にした様子はない。美弥の手をそっと握ると、中へと入っていく。美弥も慌てて足を動かした。


 まずは三階の客間に案内された。そこに荷物を置く。一階と二階は、吹き抜けの大広間で、そこで舞踏会が行われることが多いのだという。なお、本物の鹿鳴館は人間の外交、こちらの新鹿鳴館は日によるが、あやかしとの外交にも使われているのだという。ただし今日は、人間の華族の催しだ。


「美弥も最近は働きづめで疲れているだろう? 今日は、息抜きできるといいが」

「晴斗と一緒だと、僕は疲れないよ」

「――それは、俺も同じだ。美弥がいてくれれば、癒やされない日はない」


 一つきりの寝台に並んで座り、晴斗がちゅっと触れるだけのキスをした。気恥ずかしくなって、美弥は頬を染める。


「今日の食事は立食式だと聞いている。すぐに晩餐だな。下へ降りよう」

「うん」


 こうして二人で手を繋いで、客間から出た。回廊を歩いて行き、階段の踊り場では油絵を見てから、ゆっくりと二階のテラスから一階へと降りる。音楽家達が、ヴァイオリンやチェロなどを演奏している。フルートの調べも美しい。巨大なシャンデリアが目を惹き、タワー上に並べられたグラスの中のシャンパンが光り輝いている。


「美弥は何を飲む?」

「リンゴジュースがいいな」

「では、俺もそうする。ほら」


 かろやかな仕草で、晴斗がリンゴジュースの入る細い持ち手のグラスを二つ手にし、一つを美弥に渡した。それから己のものを片手に、もう一方の手は美弥の腰へと添える。


 視線が二人に襲いかかってくる。美弥は、ビクビクとしてしまった。


「ねぇ、晴斗? みんなが見てる気がするよ」

「ああ、そうだろうな」

「僕はなにかが変?」

「――美弥は、美しすぎるんだ」


 晴斗はそう言って微苦笑すると、より強く美弥を抱き寄せた。

 ほぉっと周囲から感嘆の息が漏れる。


「銀糸の髪も紺色の瞳も、その白磁の肌も。優しげな目の形、柔らかそうな薄紅色の唇、誰もが魅了される愛くるしさだ」

「っ、な、な……ぼ、僕そんなこと、言われたことがないよ……」

「言った者がいたら俺は許さないが、美弥は高貴だからな。基本的に一般的な華族であれど、言い寄ることは出来ない。身分がある。俺には、それが幸いでもあったが」


 晴斗はそう言うと、リンゴジュースの入るグラスを傾ける。倣って美弥も一口飲み込む。


「晴斗の方が、晴斗が格好良くて綺麗だから、みんな見てるんじゃないの?」

「そうか? 美弥は俺をそう思ってくれていると言うことか?」

「うっ……うん……そう思ってるよ」

「それは二人きりの時に、詳しく聞かせてもらわなければな」


 くすりと微笑した晴斗の顔は、本当に端正だった。


 ――実際この、見目麗しい二人に、会場中の視線は釘付けだ。美弥には、その自覚はないのだったが。


 その後曲のテンポが変化した。軽快な音楽の中、何組かの者達が大広間の中央へと向かい、手を取り合ってお辞儀をしている。


「ああ、ダンスが始まる様子だな」

「ダンス……」

「俺達も踊るか?」

「ぼ、僕ダンスなんてしたことがないよ……?」

「楽しめればそれで構わない。俺がリードする。この曲には性差もないから、俺に合わせてステップを踏めばいい。それだけだ」


 グラスを美弥の手から奪った晴斗が、それを近くのテーブルに置き、美弥をホールの中央へと促した。そして宮の手を取り、目を合わせて一礼する。頬が熱くなってきた美弥も、お辞儀を返した。


 こうしてダンスが始まった。

 最初はおっかなびっくりとしていた美弥だが、すぐに飲み込む。そして気づけば、楽しくなっていて、なんともいえない高揚感に体を支配されていた。リードしてくれる晴斗の腕前はさすがで、転びそうになることも無い。腰を抱かれた時、距離がぐっと近づいた。美弥がまじまじと見る。ごく近い距離に晴斗のかんばせがある。


 一曲、二曲と踊り終えてから、二人は三曲目で輪から外れた。


「すごく熱い」

「そうだな。少しテラスで夜風にあたるか」


 晴斗はそう言ってグラスを二つ持つと、美弥を外のテラスへと促した。夜風が二人の髪を撫でる。そこで冷たいブドウジュースを飲みながら、美弥は頬を持ち上げた。


「楽しいね」

「ああ。美弥が楽しそうで、俺も楽しい」


 晴斗はグラスを傍らのテーブルに置くと、後ろから美弥を抱きしめた。その腕の感触に、美弥は幸せを感じる。


「俺は、美弥を喜ばせたくて必死なんだ」

「晴斗がいてくれたら、僕は嬉しいよ」

「美弥は欲が無いな」

「あるよ。お仕事をしたいだとか」

「それは人の役に立つことでもあるだろう? もっと利己的でも構わないんだ。ああ、でも、今のそのままの美弥が、俺は好きだ。ただ、今後変わろうとも、俺は生涯美弥が好きだ。だから、ずっとそばにいてほしい」


 後ろから晴斗が、美弥の肩口に顎をのせる。触れた晴斗の髪の毛の感触がくすぐったくて、美弥は微笑した。


 それから二人は、料理を楽しんだ後、客間へと戻った。

 そして美弥は、晴斗に腕枕をしてもらい、晴斗の胸板に手をのせてこちらも抱きつきながら、微睡んだ。二人きりの幸せな夜。普段とはまた違った感覚で、美弥は夜会を嫌いじゃないと感じた。なにより、晴斗のそばにいられるからではあったが。


 こうして翌日。

 二人は支配人達に見送られて神屋公爵家の馬車に乗り込み、神家の敷地に帰還することにした。美弥は馬車が帝都の街中を進む頃にも、新鹿鳴館がよく見えるので、車窓からついその姿を追いかけていた。隣では晴斗が、なにやら書類を眺めている。


「あ」


 すると美弥は、また雑面を付けた燕尾服姿の大道芸人を見つけた。今日も操り人形を持っている。


「美弥?」

「あ、なんでもない」


 休暇の分書類が溜まっているらしい晴斗の邪魔をしたくはなかったので、美弥はそう返答し、暫くその大道芸人らしき人物を見ていた。その内に、新鹿鳴館も遠ざかったので、美弥は車窓から前へと視線を戻した。





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