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6-9 10歳からのハローブイアール

 黒統クロの父親は、物心着いた時には居なかった。

 死別では無く、色々あっての離婚という話を聞いたときは、幼いながらに納得もした。

 単純、母親が一人でも、クロは自分が幸せだからと思っていたから。

 シングルマザーの子育てはけして楽じゃない。だけど本人の努力、周囲の助け、行政からの支援もあって、何不自由なくまでには及ばなくても、クロは優しい母親の元、健やかに育つ事が出来た。

 だけど一つだけ、辛い事があった。

 ――怪盗なんて好きになるんじゃありません!

 幼稚園の頃に読んで、とても面白かった狐の怪盗の絵本の話をしたら、母が、烈火の如く怒ったことである。

 他の粗相に対しては、子供でも解るくらい、優しく諭してくるのに、怪盗のお話を読む事に関しては、なんの合理性も無く、クロを責めた。

 いや、一応の理由はあった。

 悪い事をする人は、ヒーローじゃないと。

 ……クロは母親が大好きだったから、けして迷惑をかけたくなかったから、最初は母親の言う事に従ってた。だけど小学校に入り、図書室という空間に入る事を許されると――禁じられる程に娯楽の蜜は甘くなるから、母に内緒で、読みふけってしまった。

 好きな物は、誰かと共有したくなる。

 ふとした切っ掛けで、同じクラスメイトの、ソラに怪盗の話をした。

 あまり目立たない子だったけれど、クロの話には目を輝かせ、やがて怪盗ごっこをする仲に、そして普段も遊ぶように。

 母には、怪盗仲間という事は隠して、友達だと紹介した。

 秘密の共有、クラス換えしても毎回同じクラス、自分の遊びに全力で付き合ってくれる存在フィジカルモンスター同士

 何よりも、ソラはいい子だった。

 少し引っ込み思案だけど、優しくて、いつも自分の為に心を砕いてくれる。

 そんな少年と遊んでいる内に、ますますに、怪盗への憧れは強くなる。ただのごっこじゃ物足りなくなる。

 そんな時に、10歳の少年は、

 ――VRMMO

 怪盗にすらなれる、ゲームに出会った。







 ――それは2084年の事


「あれ?」


 |生後6ヶ月でデバイスを左耳に放り込まれる世代デジタルネイティブ、VRMMOを始めるのも、宝くじを買うよりも簡単で。オススメされた設定のままに、自分の姿をほぼ投影したキャラで、ゲームにログインした。

 だけどクロが降り立った場所は、青空すらもない真っ白な空間に、大きな扉があるばかりだった。


(おかしいな、なんで始まらないんだろう)


 そう、心の中で思った時、


「それはね」

「わっ」


 ――まるで心のセリフが解るように


「アイズフォーアイズは、12歳以下の子がプレイする時は、保護者の同意が必要なのよ~」


 現れたのは長身――198cmの背丈をもつ女性、

 虹橋アイのアバターだった。


「ごめんなさいね~、いつもは対応はAIに任せてるんだけど、たまたま目に入っちゃったから~」

「は、はぁ」

「テープPCが流通化してから、人格の成熟が早まってるのはあるけれど、一応ね、決まりなのよ」

「そ、そうなんですか」

「わぁ、ちゃんと敬語を使えて、えらいえら~い」


 そう言ってアイは、無造作にクロの頭を撫でた。

 いきなり撫でてくるなんて――とは思わず、ただその暖かい感触に安心を覚える。そう、VRだというのに、そう感じるファントムセンス

 おっきくて優しそうなお姉さんは、そのまましゃがみこんで、目線を合わせてくれた。


「ゲームの方は、許してくれそう?」

「ゲームは、大丈夫だと思います、けど」

「けど?」

「……怪盗になったら、怒られると思います」


 それは、


「悪い事する人の真似をしちゃ、ダメだから」

「……そっか」


 ……そこでアイは、少しだけ悩んだ後、


「君は、リアルでも怪盗になりたいの?」

「え、なりません! リアルでそんな事したら、犯罪です!」

「うん、それはわかってるのね~フィクションと現実の区別、それじゃ、こうしましょう」


 アイはそこで手を合わせて、


「私と、友達になって」

「友達、ですか?」

「そう、フレンド~、お姉さん実はね、このゲームのえらい人なんだ~」


 えらいどころではなく、この世界の管理人である事を、この時のクロはまだ知らない。

 ただひたすら、黒統クロは、10歳の少年は、


「お姉さんが、怪盗になるのを手伝ってあげるわ~」

「え、でも」

「――この世界ゲームはね」


 虹橋アイの事を、


「なりたい自分を、見つけられる場所よ」


 母と同じくらい、大好きになった。


「あ、でも、お姉さんが本当に怪しい人じゃない事、ただの公式の初心者案内だって事、お母さんにも伝えなきゃ~、呼んでもらえる?」

「え、け、けど怪盗の事」

「それは秘密にしてあげる!」


 こうして、母からの許可を取り、時間をしっかり管理しながら、アイズフォーアイズをクロはアイとプレイし始めた。

 10歳の少年が、楽しめるように、折れないように、きちんとリードしてあげて、

 ――そして怪盗ごっこも楽しませて

 アイは秘密の共有者、二人目だった。

 だけどなんとなく、アイとの事は、ソラには伝えられなかった。

 ……今思えばそれは、その日々は、淡い淡い気持ちの結晶、

 ――アイさんを取られたくない

 小学校高学年に訪れる、恋の芽生えだったのかもしれない。







 ――だけど2085年10月

 クロが、小学校六年生の頃、


「どういう事か説明しなさい!」


 長年隠し続けてきた怪盗ごっこが、ついに、バレる時が来た。

 アイでも無く、ソラでも無く、ただただ、クロの不注意でである。

 ――5年ぶりに聞く母の怒り


「あれ程言ったでしょ、泥棒の真似なんてしちゃいけないって!」

「泥棒じゃなくて、怪盗」

「同じよ!」


 違う、と言いたかった、だけどそうすると、火に油を注ぎそうだったから、一度はこらえようとした。

 だけど、


「いい、盗みなんて、絶対にやっちゃいけない事なのよ、そんなものに憧れて」

「――ごっこだよ」

「え?」


 この時初めて、クロは、


「本だよ、漫画だよ、映画だよ、ゲームだよ!」


 生まれて初めて、親に逆らった。


「ク、クロ?」

「俺が、俺が本当に盗みをしたら、殴ってくれ、怒ってくれ、もう、見放してくれても構わない! だけど俺は、物語の非現実の怪盗を楽しむ事すら許されないの!?」

「そ、そういうのを見ると、悪影響で、本当の犯罪者に」

「本当の盗みなんて、そんな誰かが――母さんが悲しむ事なんてするもんか! 俺はただ、怪盗が好きなだけなのに、盗みなんてしないのに!」

「クロ」


 初めての子供の反抗に、狼狽え、そして震えるばかりの母親に、クロは、


「母さんなんか、大嫌いだ!」


 とうとう、言ってしまった。

 ――12歳の少年にとって、遅すぎたと言ってもいいくらいの反抗期

 だがそれは、


「ご、ごめん、なさい」

「え?」

「ごめん、私は、違うの」

「か、母さん?」

「――私は」


 女手一つで、必死に息子を育ててきた彼女に、揺らぎを与えた。

 ……この日を境に、クロと母の関係は、ギクシャクしたものになってしまった。







 だけどクロはまだ知らない。

 本当に母との関係が壊れるのは――

 ……壊してしまうのは、この後だという事に。


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