――12月24日
冬休みの始まった翌日のクリスマスイブ、まだ日が昇る前の薄闇の、息も白くなる湖岸で、
「クロ、見て見て!」
そのソラが、クロを前にして、
「
「うわ!?」
砂浜でファントムステップを――この頃はグリッチでもなんでもない、ただの大股でのステップ移動を、クロに対して披露していた。だけどその一歩の距離が、早さが、そして高さが凄まじく、クロはその身体能力に舌を巻いた。
「なんだ今の!? どうやってるんだソラ!?」
「どうやってって、なんとなく?」
「な、なんとなくでどうこう出来る訳じゃないと思うんだけどな」
クロとてフィジカルに自信はあるのだが、ソラの強さとなると規格外だ。
だけど、
「でも、ガジェットの扱いは、クロの方がうまいよね」
「ガジェット、ああ、あのなんちゃってのおもちゃ?」
「なんちゃってのおもちゃで、斬ったり当てたりできるのが凄いと思うけど」
VRAR全盛の時代でも、なんとか生き残ってるアナログ玩具。安心安全設計の銃や剣を使って、空き缶に穴を開けたり、岩を切断してみせたりと、WeTubeにのせたらバズりそうな事をやっていた。
「なんというか、なんとなく出来るんだよ、あれは」
「なんとなくじゃなくて、怪盗の修行のおかげじゃない?」
二人で重ねた怪盗ごっこ、おそらくそれが、二人の
だけど心の方には、
「――怪盗、か」
明らかな差がある。
「どうしたの、クロ?」
「いや、俺達ほら、もうすぐ中学だろ?」
そこでクロは、
「いつまでも、怪盗ごっこなんてやってる訳にはいかないって」
ソラに怒られる覚悟で、それを呟いた。
だけど、
「じゃあ、ゲームで遊ぼうよ」
「え?」
「流石に僕も、リアルで怪盗になれるなんて思ってないよ、だけど、12歳になってからなら、VRMMOで遊べるようになるでしょ?」
「あっ」
「まぁでも、怪盗になれるゲームってあるのかな……」
……ある、それはちゃんとある。
母に怒られてからは、一度もログインしてないけど、
あの
「そうだな、二人で組もうぜ」
「うん! あ、怪盗名はどうしよう」
「そういえば、考えた事無かったなぁ」
――その時ちょうど
「あっ」
琵琶湖を照らすように、日が昇る。
――穏やかに張り詰めた湖面を
淡い金色の光が、染めていく。
今まで二人で、何度となく見た光景であるけれど、
それを眺めて、思わず、クロは、
「――スカイゴールド」
そう、呟いた。
「スカイゴールド?」
「いや、見たまんま、湖が空を反射して、輝いてキレイだなって」
「怪盗としてはちょっとキラキラネーム過ぎない?」
「そうだな、ソラにやるよ」
「ええ? 何それ」
「いいからいいから」
この時は、二人の未来がずっと続くと思っていた。
いつまでも幼馴染み同士、友達として並んで歩いて行くと。
――だけどこの日を最後に
ソラとクロの再会は、2089年まで訪れない事になる。
◇
ソラとの
――クリスマスが理由になるかは解らないが
(母さんと、仲直りをしよう)
あの一件以来、母は自分に対して、まるで他人行儀になった。
ただしそれは、クロの方も、どう接していいか解らないのもあった。
(ともかく、もう一度ちゃんと、話そう、いや、その前に)
クロがすべき事は、
(謝ろう)
母の言いつけを守って、勝手に怪盗ごっこをしていた事を。
それがきちんと話し合えば、解って貰えるかもしれない。
解って欲しい。
例え遊びでも、ソラと一緒に、怪盗を続けたいから。
(……まぁ謝ると言えば、俺がアイズフォーアイズをやってる事も、ソラに謝らなきゃいけないな)
先に怪盗になってズルい! と言われそうである。けど、
そんなこんなの内に、家に着いた。勝手知ったる我が家、ただいまも言わずゆっくりとドアを開け、閉める。
そうして、靴を脱いだ時だった。
「――あなたに会いたい」
それは、母の声だった。
(……え?)
誰かと話しているようで、そのままリビングへ足を運ぶ。
デバイスで、通信をしている。
「もう私だけじゃ無理、あの子を幸せにしたい、だけど、私じゃどうしたらいいか解らない」
母は今にも泣きそうな様子で、誰かと喋っていた。
――クロの背筋に冷たい物が奔る
「お金の問題じゃない、そんなのもう、送ってこなくていい」
だけど、立ち去れない。
声をかける事も出来ず、母の会話の様子を、嫌な予感を覚えながら聞いてしまう。
何か大切な事を、喋ってる気がして、
――クロの母は、
言った。
「親子三人で、暮らしたいの」
その言葉から、母の話している相手は、
「貴方は正しい事をしたのに、なんで、離ればなれで生きなくちゃいけないの」
自分の父だという事を、容易に悟った。
――それからの展開は
母は啜り泣きをしながら、そのままデバイスを切った後に、クロの帰宅と、会話を全て聞かれていた事を知った。
呆然としながら、母に会話の意味を問い詰めるクロ。だけど、母はただ首を振るばかりだった。
――母が父と別れたのは、母の意志だと思ってた
だけど実際はそうじゃなかった、本当は一緒に暮らしたいとまで言っていた、ならば、何故そうしないのか。
この時に沸き上がったクロの衝動は、とても言葉じゃ説明がつかない。
合理的に考えれば、踏みとどまる方がいいかもしれない、ただ、一度も会った事ない父と会いたかった、そして、
離ればなれの理由を、しっかり知りたかった。
――だからクロは母の制止も振り切り
家の中で父への手がかりを探した。案外あっさりと、父が住む場所は見つかった。
……母からすればその手際は、怪盗そのもの、だったかもしれないが。
電車で二時間、距離は存外に近い、自分の小遣いでも行けるから、クロはそのまま、家を出ようとした。
――母が叫ぶ
「父さんには会いに行かないで!」
……その言葉に立ち止まった。十秒間、目を閉じて、本気で考えた。
だけど、
「ごめん」
まだ見ぬ父を、どうしても、この瞳に映したかった。振り返るのが怖いまま、逃げるようにクロは、駅へと向かった。
◇
――そして
……クロが、やって来た住所は、少し古いアパート。
1Fの103号室が、父が住んでいる部屋である。
(ここに、父さんが)
そう思って、インターホンを鳴らすかどうか迷っている時、
ガチャリと、呆気なく、扉が開いた。
そこから出てきたのは、細身で少し血色が悪そうな、ダウンジャケットを着込んだどこにでもいそうな大人の男だった。
「ん?」
「あっ」
最初こそその男は、クロを見て何も思わなかったようだけど、
直ぐにその表情は――驚愕に染まった。
「――なんで」
「あ、あの!」
クロは、慌てて、祈るように尋ねた。
「お父さん、ですか?」
その言葉に男は――クロの父は、ふるふると震え、体を少し前に方向け、一歩踏み出そうとしたが、
そこで、止まった。
「……違うよ」
「嘘だ、住所、ここだった」
「違うんだ、クロ」
「ほら、名前を知ってるじゃんか!」
「聞いてくれクロ」
「ねぇなんで母さんが、一緒に暮らしたいって言ってるのに、別れて!」
「お前は私の息子じゃない!」
その叫びは、
雷のように響いた。
……他の部屋の者達のいくつかが、驚いてドアを開けたが、ただ黙っているクロと父の様子を見て、触れてはいけないものを感じたのか、そのままドアを閉めた。
「……お前も12歳だから、ちゃんと説明をしとく、私は」
父は泣きそうな顔で、こう言った。
「お前を犯罪者の息子に、したくないんだよ」
――正義の盗みなんて存在しない
◇
クロが2歳の時、父の会社が不正をしていた事が発覚。
正義感の強かった父は、その不正を暴く為に、データーを盗んだ。
――だけどそれで結局
父は捕まった。
要約すれば、いくら正しい事なれど、やり方が間違っていると。
その裁判官の判断は賛否が分かれたが、
結局父には、犯罪者というレッテルだけが残ってしまった。
◇
クロが父と出会ってからその後、
クリスマスイブの夜。
「――ただいま、母さん」
クロがリビングに入れば、母はソファに座って、じっと宙を見つめていた。
「ごめん、母さん、俺、何も知らなかった」
――母が怪盗に対し嫌悪感を抱くのも当然だ
「何も知らずに、母さんを傷つけ、困らせた」
クロの反省は心よりだった。
だけど、
「俺もう、怪盗ごっこなんてしない、だから」
「ごめんなさい」
……母はもう、
「ごめんなさい、ごめん、ごめんなさい、私が悪いの、私が弱いの、ごめん、ごめんなさい、ごめん」
「――母さん」
「ごめんなさい」
壊れてしまった。
壊してしまった。
もう二度と、
母の言う事を聞かなかった事に、
黒統クロは、拭いがたいトラウマを負う事になった。だから彼は、母さんを、
虹橋アイを、疑わない。