8月13日、午前10時。
長野県飯田市、築25年の一軒家のリビングで、サブスクのドラマが流れる中で、二人の夫婦が会話をしていた。話題が次々と変わる中、夫の方が切り出した。
「なぁ、今日の焼き肉はなんにする?」
「羊はもう買ってあるわよ」
「追加でカルビも仕入れてくるか」
「いいわね」
飯田市は、日本一の焼き肉の街、店の数もそうであるが、家庭でも何かがあればと肉を焼く。ただしその肉の種類は牛だけにおさまらず、羊は割とスタンダードな部類である。
地方にとっては当たり前、よそからみたらちょっと不思議、そんな、ある意味でありふれた、日本の夫婦の日常が繰り広げられる中で、
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
俺が出るよと言って、旦那は、インターホンを恵与せず、玄関へと向かい扉を開けた。
「警察です」
「は、はぁ?」
その玄関にて、いきなり警察手帳を突きつけられ、同時に、その証明のデーターがデバイスに転送される。
ここに立っていた警察は、白銀アメであった。
「け、警察ですか? なんでまた?」
「今、貴方と暮らしている奥様は、2日前に入れ替わった偽者です」
「え!?」
「本物はこちらです」
「ああ、貴方!」
「ええ、お前!?」
泣きじゃくりながら夫に抱きつく妻、ついさっきまで焼き肉の相談をしていた相手が、自分に抱きついてきた事で、ただただ混乱する夫、その再会に目をやる事もなく、「緊急事態に付き失礼!」と言いながら、アメは土足のままに家へとあがった。この家の持ち主である夫妻は、アメの部下によって避難させられる。
ズカズカと、アメがリビングまで歩を進めれば、そこにいたのは、
ソファに座る――白いロングワンピースを身につけて、髪をブラウンに染めた、
この家の女性に変装していた、久透リアだった。
「……逃げないのですか?」
「家は、囲まれて、いるのだろう?」
リアの言葉通り、警察は、この家付近の住民を
「私、一人じゃ、どうにもならない」
そこ迄言うと、リアは立ち上がる。
ネゴシエーターであるアメは、そこまでは許す。
「よく、私に、辿り着いたな、白銀アメ」
今更、自分について知られている事に動揺はしない。会話をスムースに続ける。
「ええ、夫の協力があってこそですが」
「全く、忍者は、恐ろしい」
「忍者じゃなくて、ちょっと特殊なだけの警察です」
そう言ってから彼女は、懐から何かを取り出して、構える。
「ティザー銃、か」
「ええ、殺しはしません」
アメはリアに対して、
それを脅しの道具にして、問いかけた。
「虹橋アイの居場所を、教えてください」
「手遅れ、だ、君の、娘は、助からない」
それに対して、アメは、
「助からないのに、何故
灰戸経由で仕入れた情報を使い、揺さぶりをかける。無表情なれど、それには少し驚いたようだが、リア、
「良く、有る、反抗期だ、無意味に、親の言う事に、逆らう」
「無意味?」
「――レインが、助かる、確率は、0だ」
「……」
「アイが、何を期待して、怪盗達を、処刑場に、導いたかは、解らない、レインが死ぬ前に、せめて、話をという、慈悲かも、しれない、それとも」
リアは目を細めて、憐れむように、
「奇跡など、望んだ、か」
そう言った。
淡々と語るリアの言葉を、白銀アメは、それが真実だとどこまでも受け止める。
だが同時に、実の娘の死が確定している事実に、あらゆる感情がわき上がる。
それでも、今は
絶望の中でも、希望を持つ事とは、そういう事だから。
「ご同行願います」
そんな覚悟を決めたアメに、
「私、一人じゃ、どうにも、ならない」
――リアが
「だが、私にも、仲間が居る」
そう言った瞬間――家の外から物音がした。
その物音は、四方八方、この家を囲む警察達が居た方からだ。
――包囲網が、誰かに倒された?
「嘘」
思わず零れてしまった本音、リアが雇った傭兵か、あるいは警察の中にリアの息がかかったものがいたか、
そんな分析をしてる暇も無く、
「殺しは、しない」
「っ!」
無造作に歩いてきたリアに、
――バシュリと
アメは予告もなく間髪入れずに電気銃を放った。彼女の肌に接着する二つの電極、5万Vという、気絶必死の電流が彼女に流れる。だが、
「――えっ」
それだけの電気に刺されても、リアが崩れる様子は無かった。それどころかリアは、
――ティザーの5万Vを越える電気を、体中から発していく
「なっ!?」
まるでゲームのエフェクト――現実で感電をしたからって、
その神々しい姿に、アメは目を奪われてしまって、
逃げる事も出来ない距離まで、詰められてしまった。
「私の、正体を、一つ、教える」
――インドラ
「デジタルの、革命を、起こした、神の雷、その、開発者」
電気銃と同等かそれ以上の、体内電流を発したままに、
「チャンドラバブは、私だ」
――リアはただ、アメに触れた
「あっ!?」
その悲鳴と一緒に、バチン! という音をたてた後、アメはそのまま仰向けに倒れた。
……息をしている事を確認してから、彼女は部屋を出て、玄関も出て、そのまま
◇
――同日、21時30分
アイズフォーアイズ、怪盗スカイゴールドが、シソラの頃から良く通っていたドワーフの酒場。常連やニューカマーが集まる場所で。
「おい、WeTubeで配信が始まったぞ!」
「マジで!?」
「本当だ、クロスとキューティだ!」
客の一人の言葉に、全員が一斉に視聴アプリを起動しようとしたが、それより早く店主が、店内のモニターにそれを流した。
動画のタイトルは、”20290813_2200“という、日付と決戦の時刻を数字にした、余りにもそっけないもの。しかし映る光景は、前回よりも、視聴者の固唾を飲ませた。
「ちょ、ちょっと、磔になってるキューティ」
「なんか、前よりバグってない?」
客達の言葉通り、血染めの丘で磔になっているキューティの体は、今や三割ほど、ノイズに侵食されていた。千切れかけそうな方の断面から、0と1の数字がちらついている。
そして、彼女は苦しそうに喘いでいた。
「いやいや、どうなってんの!」
――音声は一切流れない、ただその様子のみが流れる配信に
「こんなの全然面白く無いって、いつもの
「エンタメじゃなくて、
「じゃあ、クロスがスカイの
「いや、ただのプレイヤーがそんな事が出来る訳――」
その言葉に、続いたのは、
「……ただのプレイヤー、なのかな」
ヒーラーからシーフに転職した、ずっと最初から、スカイゴールドの事を追っていた、犬耳キャラのプレイヤーの言葉だった。
スカイの事は信じている、だが、だからこそ彼は、
「怪盗の一味が全員、チートを使っていたなら、
「ふ、ふざけんなよ、怪盗達のあれは、技だ!」
「チートだとしたら、とっくに運営にBANされてるでしょ」
「だけど……」
チートだったら、運営からその存在を、
それが、今までの怪盗一味の絶技が、認められていた背景だった。
しかしもしそれにも理由があるならば、
「運営が、チートを見て見ぬ振りをしてるからとか?」
「――それは」
その意見が、今まで無かった訳じゃない。株式会社ZEROと郷間ザマの件もある。ただ、それを堂々とファンが言うような事は無かった。
しかし最早、この
自分達が熱狂していたものが、作り物であったのなら、運営がゲームの人気を盛り上げる為に行った
犬耳は、言った。
「俺、怪盗を許せるのかな」
5月から始まった怪盗のムーヴメントは、異常な盛り上がりとも言えた。
その熱が嘘だと知った時、人々の心は
――だけど
「チートじゃない」
信心では無く、信頼出来る者もまた、
「グリッチだ」
正しいファンである――その言葉を呟いた者がいるカウンターに、全員が目線を行く。
……電脳都市ゴルドデルタ、セキュリティタワーを管理する三人の内が一人、怪盗と
――ねぇグリッチなの、グリッチなんでしょ!?!
ただの願望ではない、研究結果を語り始めた。