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―第四十六章 危機は去らず―

「どうか警戒しないでください。ロザリンさんから話は聞いています」


 そっと刀の柄に手を置いたところで、拓真の感情は揺さぶられた。思わず少年の細い肩を掴み、抑えていた声も荒げてしまう。


「ロザリンはっ……ロザリンは無事なのかっ⁉」


 拓真の声の大きさに驚いた少年だったが、至って冷静に微笑みを返した。


「ご無事ですよ。今はまだ、と言ったところですが……」

「そういう含みはあんまり好きじゃないな。今無事ならそれでいい。すぐ助けに行きたいんだが……」

「いたぞ! 侵入者だ!」


 その声に、少年と顔を合わせていた拓真は、素早く振り向く。背後から、ガシャガシャと鎧の音が迫ってきていた。私兵の幾人かが拓真の姿を捉え、剣を構えて周りを取り囲む。


「くそっ、またこんなに……」

「待ってください」

「えっ……があっ⁉」


 少年は、肩に乗せられていた拓真の手を捻り、そのまま後ろ手に拘束した。拓真の横に並ぶように少年が前へ出ると、私兵たちが息を飲む。


「オ、オーマ様! お怪我はございませんか!」

「僕は大丈夫です。それより、この者はエリオット兄様が探していた者で、間違いないのですか?」


 やはり敵だったか、と拓真は一瞬でも気を許した自分を悔いた。さっさと場所を聞いてこの場を離れるべきだったと、どんどん集まってくる私兵を前にして思う。

 少年の問いに、代表として一歩前へ出た私兵が答えた。


「はい。メファールの村での作戦時にも妨害をしてきた者です。エリオット様から、始末するようにとご命令を受けておりました。我々が責任を持って処分いたしますので、譲り受けましょう」

「いいえ、結構です。あなた方には、先に敷地内の捜索に戻っていただきます」


 少年の言葉に、前に出た私兵は首を傾げた。その様子を見て、少年は凛とした声で続ける。


「この者が一人でここに忍び込んだと、誰が言ったのでしょう。仲間がいるか確認をするべきです。僕が地下室へ連れていき、この者を尋問にかけます。それまで、皆さんは引き続き警戒に当たってください」


 少年の声に、私兵たちは次々と姿勢を正し、返事をして去っていった。誰も疑問に思うことなく、コウテツ以外いるわけのない仲間を探しに行ったのだ。

 私兵が皆立ち去っていくのを見届けると、少年は拓真の手を離し、自由にしてやった。


「タクマさん、あなたはこのまま僕と地下室へ行きましょう」

「……尋問をしに?」

「いいえ。ロザリンさんを助けていただくためにです」


 互いに顔を見合わせてニヤリと微笑むと、少年は丁寧に頭を下げた。


「申し遅れました、僕はオーマ・ガリオンと申します。兄がご迷惑を……いいえ、ご迷惑どころではないですよね。本当に申し訳ございません」


 オーマのいう兄とは、エリオットのことで間違いなさそうだ。メファールの村での出来事を思い出し、拓真は一瞬身体がカッと熱くなったが、頭を左右に振って平静を取り戻した。


「起きてしまったことは仕方がない。問題は、その後どうするかだ」


 死んだ人は、元には戻らない。現実は変えられないのだ。

 拓真の言葉に、どこか悲し気に微笑んだオーマは頷く。


「そうですね、あなたの言う通りだと思います。なので僕は、ガリオン家の人間としてできる限り、あなたとロザリンさんに協力するつもりです」

「それは助かる。それじゃあ、案内してもらおうか」

「はい。それでは、もう一度手を拘束させていただいていいですか? そのまま地下室へ連行しているという形をとった方が、移動しやすいと思うので」


 オーマの提案に賛成し、拓真の手は再び後ろ手に取られた。拘束というには少々甘いが、それでも連行されているように見せかけることができた。

 上ってきた階段を降り、真っすぐに廊下を抜けると、大広間のような場所へと出た。おそらく、正面から入るとすぐにここへ入るのだろう。両開きの大きな扉と、その正面には二階へ上がる大きな階段があった。その階段の後ろに、館のさらに奥へと続く一本の廊下が見える。その先がコウテツの言っていた、地下牢へ繋がる階段なのだろう。

 バタバタと走る私兵たちを横目に、オーマと拓真は薄暗く見える廊下へと向かって歩き始める。


「おい」


 だがそこへ、不機嫌そうな声を投げかけられた。この声の主を、拓真は知っている。


「……エリオット兄様」


 二階から降りてくるエリオットに向かって、オーマはにこりと微笑みかけた。しかしエリオットはそれを無視し、オーマと拓真の背後に立つ。


「なんでお前がそいつを連れてんだ?」


 エリオットの質問に、オーマは乱暴に拓真も振り向かせた。拓真はこれが演技だとバレないよう、おとなしく従っているフリをする。


「この男が館の中で彷徨っているのを、僕が見つけました。兄様が探している侵入者とは、この者のことでしょう?」

「確かにそうだが、俺は私兵どもに命令した。見つけ次第殺せってな」

「はい、僕もそれは聞きました。ですが、他に仲間もいるかと思い、彼らには敷地内の警戒に当たってもらいました」

「それで、そいつはどうするんだ?」

「仲間がいるかどうか、地下牢で尋問して聞こうかと。このまま僕が連れていきます」


 拓真に兄弟はいない。しかしこの二人の兄弟は、兄弟として不完全なものであると、なんとなく察してはいた。それほどまでに、この会話はどこか上っ面を撫でているだけのようなものだった。


「はっ! はははっ!」


 エリオットは馬鹿にするように片眉を下げ、乾いた笑い声をあげる。


「んなもん、誰が信じるかよ。嘘だな」


 はっきりと嘘だと言われ、少しばかり動じてしまったのか、拓真の手を拘束するオーマの手に若干力がこもった。


「……兄様が何を嘘だと言っているのか、僕にはわかりません」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。そいつがおとなしく言うこと聞くかって話だ。俺はそいつと戦ってんだぞ。てめえみてえなガキに、黙ってついてくるようなヤツじゃねえつってんだ」


 オーマからは、言葉が出てこなかった。焦っているのが、じんわりと掴まれている手に滲む汗から感じ取れる。


(くそっ、どうする……この子だけでも逃がして、戦うべきか⁉)


 一応、武器はある。ネマーの杖が化けていた刀より、コウテツに打ってもらったこの刀の方が戦えはするだろうが、その後どうするべきなのか。

 迷っている間に、エリオットは魔法で呼び寄せたのか、その手に大剣を構えた。このままだと、戦闘は不可避だ。


(迷うくらいなら……戦う!)


 そう決意し、拓真はオーマの手を振りほどいて刀の柄に手をかけた。その時――


「うっ⁉」

「あぁっ……⁉」

「これはっ……⁉」


 何やら巨大な圧が、三人を襲う。三人だけではない。館全体がミシミシと悲鳴を上げ、地震のように揺れ始めたのだ。

 揺れは大きくないのに、身体を襲う圧のようなものが重たくなり、拓真は膝をついた。その後すぐにエリオット、そしてオーマも続いて膝をつく。


「んだよこれっ……親父か⁉」

「わ、わからないですけどっ……でも、その可能性はっ……!」

「そうだねえ、君たちのお父さんだろうね」


 エリオットとオーマが言葉を交わした後、誰かが言った。

 拓真は、緩い吐き気に襲われながらも顔を上げた。正面の入り口から、誰かが歩いてきている。長いローブを肩にかけ、悠々と歩いてくるのは、男だった。

 黒髪のウェーブがかった髪を持ち、顎鬚を生やした、黒い瞳の男だ。


(こいつは……転生者だ! 俺と同じ、日本人の……エルヴァントの支配者!)


 すぐに声を出したかった拓真だったが、圧のせいでうまく声が出せない。


「あ、あなたは……」


 オーマが振り絞るように声を出すと、男は困ったように微笑む。


「君たちも大変だよねえ、あんな父親を持ってさあ」


 エリオットも男を向いたところで、男はため息をつき、心底同情するように言った。


「かわいそうに」


 その言葉に、拓真の心臓が一つ、強く打たれた。

 かわいそうに。可哀想に。カワイソウニ。

 幼い頃、何度その言葉を頭の中で思い出し、その度に気が狂いそうになったことか。

 拓真の中で、思い出したくない記憶が呼び覚まされる。血に塗れた父と母。憐れむ暗い瞳。幾度となく肉を抉る、鋭い刃。


「お、おまえ……」


 蓋をしていた記憶が刺激されたことにより、拓真の身体は動き出す。凄まじい圧の中で立ち上がり、拓真は震える指で男を差し、声を押し出した。


「野口……秋人あきひと……か……?」

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