「どうか警戒しないでください。ロザリンさんから話は聞いています」
そっと刀の柄に手を置いたところで、拓真の感情は揺さぶられた。思わず少年の細い肩を掴み、抑えていた声も荒げてしまう。
「ロザリンはっ……ロザリンは無事なのかっ⁉」
拓真の声の大きさに驚いた少年だったが、至って冷静に微笑みを返した。
「ご無事ですよ。今はまだ、と言ったところですが……」
「そういう含みはあんまり好きじゃないな。今無事ならそれでいい。すぐ助けに行きたいんだが……」
「いたぞ! 侵入者だ!」
その声に、少年と顔を合わせていた拓真は、素早く振り向く。背後から、ガシャガシャと鎧の音が迫ってきていた。私兵の幾人かが拓真の姿を捉え、剣を構えて周りを取り囲む。
「くそっ、またこんなに……」
「待ってください」
「えっ……があっ⁉」
少年は、肩に乗せられていた拓真の手を捻り、そのまま後ろ手に拘束した。拓真の横に並ぶように少年が前へ出ると、私兵たちが息を飲む。
「オ、オーマ様! お怪我はございませんか!」
「僕は大丈夫です。それより、この者はエリオット兄様が探していた者で、間違いないのですか?」
やはり敵だったか、と拓真は一瞬でも気を許した自分を悔いた。さっさと場所を聞いてこの場を離れるべきだったと、どんどん集まってくる私兵を前にして思う。
少年の問いに、代表として一歩前へ出た私兵が答えた。
「はい。メファールの村での作戦時にも妨害をしてきた者です。エリオット様から、始末するようにとご命令を受けておりました。我々が責任を持って処分いたしますので、譲り受けましょう」
「いいえ、結構です。あなた方には、先に敷地内の捜索に戻っていただきます」
少年の言葉に、前に出た私兵は首を傾げた。その様子を見て、少年は凛とした声で続ける。
「この者が一人でここに忍び込んだと、誰が言ったのでしょう。仲間がいるか確認をするべきです。僕が地下室へ連れていき、この者を尋問にかけます。それまで、皆さんは引き続き警戒に当たってください」
少年の声に、私兵たちは次々と姿勢を正し、返事をして去っていった。誰も疑問に思うことなく、コウテツ以外いるわけのない仲間を探しに行ったのだ。
私兵が皆立ち去っていくのを見届けると、少年は拓真の手を離し、自由にしてやった。
「タクマさん、あなたはこのまま僕と地下室へ行きましょう」
「……尋問をしに?」
「いいえ。ロザリンさんを助けていただくためにです」
互いに顔を見合わせてニヤリと微笑むと、少年は丁寧に頭を下げた。
「申し遅れました、僕はオーマ・ガリオンと申します。兄がご迷惑を……いいえ、ご迷惑どころではないですよね。本当に申し訳ございません」
オーマのいう兄とは、エリオットのことで間違いなさそうだ。メファールの村での出来事を思い出し、拓真は一瞬身体がカッと熱くなったが、頭を左右に振って平静を取り戻した。
「起きてしまったことは仕方がない。問題は、その後どうするかだ」
死んだ人は、元には戻らない。現実は変えられないのだ。
拓真の言葉に、どこか悲し気に微笑んだオーマは頷く。
「そうですね、あなたの言う通りだと思います。なので僕は、ガリオン家の人間としてできる限り、あなたとロザリンさんに協力するつもりです」
「それは助かる。それじゃあ、案内してもらおうか」
「はい。それでは、もう一度手を拘束させていただいていいですか? そのまま地下室へ連行しているという形をとった方が、移動しやすいと思うので」
オーマの提案に賛成し、拓真の手は再び後ろ手に取られた。拘束というには少々甘いが、それでも連行されているように見せかけることができた。
上ってきた階段を降り、真っすぐに廊下を抜けると、大広間のような場所へと出た。おそらく、正面から入るとすぐにここへ入るのだろう。両開きの大きな扉と、その正面には二階へ上がる大きな階段があった。その階段の後ろに、館のさらに奥へと続く一本の廊下が見える。その先がコウテツの言っていた、地下牢へ繋がる階段なのだろう。
バタバタと走る私兵たちを横目に、オーマと拓真は薄暗く見える廊下へと向かって歩き始める。
「おい」
だがそこへ、不機嫌そうな声を投げかけられた。この声の主を、拓真は知っている。
「……エリオット兄様」
二階から降りてくるエリオットに向かって、オーマはにこりと微笑みかけた。しかしエリオットはそれを無視し、オーマと拓真の背後に立つ。
「なんでお前がそいつを連れてんだ?」
エリオットの質問に、オーマは乱暴に拓真も振り向かせた。拓真はこれが演技だとバレないよう、おとなしく従っているフリをする。
「この男が館の中で彷徨っているのを、僕が見つけました。兄様が探している侵入者とは、この者のことでしょう?」
「確かにそうだが、俺は私兵どもに命令した。見つけ次第殺せってな」
「はい、僕もそれは聞きました。ですが、他に仲間もいるかと思い、彼らには敷地内の警戒に当たってもらいました」
「それで、そいつはどうするんだ?」
「仲間がいるかどうか、地下牢で尋問して聞こうかと。このまま僕が連れていきます」
拓真に兄弟はいない。しかしこの二人の兄弟は、兄弟として不完全なものであると、なんとなく察してはいた。それほどまでに、この会話はどこか上っ面を撫でているだけのようなものだった。
「はっ! はははっ!」
エリオットは馬鹿にするように片眉を下げ、乾いた笑い声をあげる。
「んなもん、誰が信じるかよ。嘘だな」
はっきりと嘘だと言われ、少しばかり動じてしまったのか、拓真の手を拘束するオーマの手に若干力がこもった。
「……兄様が何を嘘だと言っているのか、僕にはわかりません」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。そいつがおとなしく言うこと聞くかって話だ。俺はそいつと戦ってんだぞ。てめえみてえなガキに、黙ってついてくるようなヤツじゃねえつってんだ」
オーマからは、言葉が出てこなかった。焦っているのが、じんわりと掴まれている手に滲む汗から感じ取れる。
(くそっ、どうする……この子だけでも逃がして、戦うべきか⁉)
一応、武器はある。ネマーの杖が化けていた刀より、コウテツに打ってもらったこの刀の方が戦えはするだろうが、その後どうするべきなのか。
迷っている間に、エリオットは魔法で呼び寄せたのか、その手に大剣を構えた。このままだと、戦闘は不可避だ。
(迷うくらいなら……戦う!)
そう決意し、拓真はオーマの手を振りほどいて刀の柄に手をかけた。その時――
「うっ⁉」
「あぁっ……⁉」
「これはっ……⁉」
何やら巨大な圧が、三人を襲う。三人だけではない。館全体がミシミシと悲鳴を上げ、地震のように揺れ始めたのだ。
揺れは大きくないのに、身体を襲う圧のようなものが重たくなり、拓真は膝をついた。その後すぐにエリオット、そしてオーマも続いて膝をつく。
「んだよこれっ……親父か⁉」
「わ、わからないですけどっ……でも、その可能性はっ……!」
「そうだねえ、君たちのお父さんだろうね」
エリオットとオーマが言葉を交わした後、誰かが言った。
拓真は、緩い吐き気に襲われながらも顔を上げた。正面の入り口から、誰かが歩いてきている。長いローブを肩にかけ、悠々と歩いてくるのは、男だった。
黒髪のウェーブがかった髪を持ち、顎鬚を生やした、黒い瞳の男だ。
(こいつは……転生者だ! 俺と同じ、日本人の……エルヴァントの支配者!)
すぐに声を出したかった拓真だったが、圧のせいでうまく声が出せない。
「あ、あなたは……」
オーマが振り絞るように声を出すと、男は困ったように微笑む。
「君たちも大変だよねえ、あんな父親を持ってさあ」
エリオットも男を向いたところで、男はため息をつき、心底同情するように言った。
「かわいそうに」
その言葉に、拓真の心臓が一つ、強く打たれた。
かわいそうに。可哀想に。カワイソウニ。
幼い頃、何度その言葉を頭の中で思い出し、その度に気が狂いそうになったことか。
拓真の中で、思い出したくない記憶が呼び覚まされる。血に塗れた父と母。憐れむ暗い瞳。幾度となく肉を抉る、鋭い刃。
「お、おまえ……」
蓋をしていた記憶が刺激されたことにより、拓真の身体は動き出す。凄まじい圧の中で立ち上がり、拓真は震える指で男を差し、声を押し出した。
「野口……