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―第四十七章 仇―

 どうか間違いであってほしいと、拓真は願っていた。可哀想に、なんて誰でも言う言葉ではないか。あんなに深く暗く沈んだ瞳なんて、現代日本では大勢が患っていたではないか。

 それに、拓真の記憶の中の“彼”はもっと若かった。目の前に立つ男は、若く見積もっても三十代後半から四十代。あの時の“彼”は、二十六歳だったのだ。

 拓真は男の返事を待った。男はエリオットに向けていた視線を拓真に向け、ぽかんと口を開けている。ああ、やはり間違いだったのかと思ったその瞬間、男は嬉しそうにわかりやすく笑った。


「懐かしいなあ! フルネームで呼ばれたのなんて、いつぶりだろう?」


 男は悠々と歩み、拓真の目の前までやってきた。立ち上がれたとはいえ、拓真はまだ圧に圧し潰されそうだというのに。拓真より少し視線が高い男は、拓真の顔を覗き込むように身を屈める。


「その黒髪に発音の仕方……君も僕と同じで、日本からの転生者なんだねえ。若いけど、僕のこと知ってるんだ? まあ、元死刑囚だし、知られていてもおかしくないか」


 肯定されていく、拓真の中の絶望。間違いではなかった。やはりこの男は、拓真にとって忘れたくても、忘れられない存在であったのだ。


「僕のことはアキヒトって呼んでよ。せっかくだし、いろいろお話したいなあ。ちょっと待っててくれない? この邪魔な魔力の圧を、どうにかしてくるから……」


 アキヒトは、拓真の態度を全く気にせずペラペラと話を続ける。ようやく言葉を止めたのは、拓真の手が刀の柄にかけられてからだった。


「伊東一刀斎伝授……」


 拓真の目が、アキヒトと視線を交える。どろりと濁りきった底のない黒の瞳は、恐れる様子も驚いた様子もなく、自身を射殺さんとばかりに睨みつける拓真の目を見つめ返した。


「“払捨刀ほっしゃとう”!」


 素早く抜かれた刀は、そのままアキヒトの首を目掛けて振るわれた。そのことに拓真自身が気付いても、止めることはできない。

 だが、刀はアキヒトの首に届かなかった。まるで時が止められたように、アキヒトの首に届く直前で、ぴたりと止められてしまったのだ。


「おお、すごいねえ。君自身からは魔力を全く感じないのに、こんな圧の中でも動けるんだあ」


 アキヒトは、自分の首を狙った刀を軽く指で弾く。それだけなのに、拓真は凄まじい勢いで弾き飛ばされ、宙で回転しながら床へと落ちた。


「……ん~? なんか変だなあ。君、なにか持ってる?」


 首を傾げながら、アキヒトは落ちた拓真の元へと歩み寄る。立ち上がろうとしている拓真の左の手首を持ち、脈を計るように触れていく。


「触るなっ……!」


 振り払いたくても、拓真には振り払えなかった。見えない何かに拘束されているかのように、動きが制限されている。拓真が叫ぶのも気にかけず、アキヒトは手首に触れて納得したように頷いた。


「へぇ~。君、三大精霊と接触したんだね。その力に護られているから、この魔力の圧にも少しは耐えられるってわけかあ」


 思わず、拓真の身が強張る。アキヒトの瞳が、嬉しそうに歪んだのだ。


「それ、欲しいな。ちょうだいよ」


 そう言ってアキヒトは、今度は力強く拓真の手首を掴んだ。すると、身体の中にどんどん疲労が溜まっていくような感覚に襲われた。


「う、ぐっ……! やめ、ろおおお!」


 力を振り絞り、拓真は右手に持った刀を乱雑に振り回す。予想していなかったのか、アキヒトは反応が遅れ、一歩退くもその頬に一筋の傷を負うことになった。

 その隙に立ち上がり、拓真は改めて剣を構える。その手は震えている。しかし、それは恐怖で震えているものではなかった。


「タ、タクマ、さん……!」


 オーマが声をかけるも、その声は届いていない。拓真の目は、アキヒトを捉えて外さなかった。アキヒト以外のものは、今の拓真には見えていない。


「お前のことはよく知ってるよ……野口秋人……」


 荒い呼吸のまま、拓真は言う。その手を震わせているのは、大きな怒りだった。


「身勝手な理由で多くの人々を殺した……最低最悪のクズ野郎……!」


 拓真の言葉に、アキヒトは困ったように微笑む。


「その通りだけど……なんで君がそんなに怒ってるのかな?」

「俺の親も! お前に殺されたからだ!」


 身体の内に燃える熱に身を任せ、拓真は刀を振り上げた。剣道の型も剣豪憑依も関係なく、ただの伊藤拓真として、刃をかざしたのだ。

 そんなただの人間が、特異な能力を持つ相手に敵うわけなどない。


「風魔法、“風の制圧ウィン・コトロル”」


 アキヒトがそう唱えると、風が巻き起こった。すると、拓真は風に圧し潰され、その場にうつ伏せで倒れ込む。


「くっそ……うぐあぁあっ!」


 風は拓真を包み込むようにして、どんどん圧をかけてくる。石でできた館の床も、ひび割れてその破片が舞い起こっていた。

 拓真にゆっくりと歩み寄り、その場に屈んでアキヒトはゆったりと微笑んだ。


「そうかあ。それは可哀想に。でも、それなら君と僕は仲間だねえ」

「なか、まだと……⁉」

「そう。可哀想な子どもっていう意味での、仲間」


 アキヒトは、するりと拓真の手首を手に取る。また力を抜かれるかと思い、拓真は身を強張らせたが、ただ持ち上げられただけのようだ。


「どうかな? 君は転生者だし、こんなに良い力も持っているんだ。僕と一緒に来ない? やっぱり仲間は、たくさんいた方がいいからね」

「おま、えっ……なにを、言って……!」

「断るなら、君の力は僕が貰うよ」


 緩く拓真の手首を握るアキヒトを見上げると、そこにはうっすらとした笑みがあるだけだった。


(こいつ、一体何を考えているんだ……⁉ いや、それより……このままじゃ……!)


 時間はないと言わんばかりに、拓真に圧し掛かる風圧は強くなっていく。そのせいで、呼吸もままならなくなっていた。答えなければ、窒息のような形で死を迎えるだけだろう。


「僕としては、ぜひ仲間になってほしいんだけどなあ。だってほら、僕たち同じ日本人だし。でも、君は嫌かな? だって、君にとって僕は親の仇だもんねえ」

「……っ、がっ……!」


 息苦しさの中、拓真はアキヒトを睨みつける。だがそれに対し、アキヒトはただ穏やかな微笑みを返すだけだった。


「仲間になる気はなさそうだねえ。残念だけど、仕方ないかあ。それじゃあ……」


 力を抜き取り始めたのか、またも拓真の体内に疲労感が溜まり始める。息苦しさと怠さと、怒りと憎しみが、拓真の心臓を強く打ち鳴らした。


(くそっ……こんなところで死ねるかよ!)


 ぐ、っと刀を持つ手に、力が籠る。


(誰でもいい……俺に憑依してくれ! 俺は、やるべきことがたくさんあるんだ!)


 風がさらに強くなったかと思うと、それは爆ぜた。風魔法を使っていた本人であるアキヒトがやったわけではない。何か強い力が拓真自身から発せられ、それが風魔法を払ったのだ。


「……スペシャルスキルでも使ったのかな?」


 風が爆ぜる前に退いたアキヒトは、土煙の中から姿を現した拓真を見て言う。


「……足利義輝憑依、“生死之境せいしのさかい”」


 刀を振り、構え直す拓真。気迫溢れるその姿を見て、アキヒトは目を細めた。


「すごいねえ、ステータスが一時的にアップしているみたいだ」

「お前のおかげでな。死にそうな目に遭ったから、今度は死なないようにパワーアップしてくれているらしい」

「面白いスキルだね。それで? パワーアップした後は、どうするの? 僕のことを殺すのかな?」

「誰がお前と同じ……人殺しになんかなるか……」


 剣道の型を構え、拓真はアキヒトを見据える。じりじりと攻めるタイミングを見計らっているのだ。


「俺はお前を殺さない……だが! お前を倒す! 俺の剣で!」


そして、その一歩を踏み出した。

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