「ちょっと、痛いんだけどっ……」
「このくらい我慢しろ! ほらっ、とっとと歩け!」
拓真たちが地下牢へたどり着く少し前。ロザリンはエリオットに連れられて、別の出入り口から館の中へ入っていた。エリオットは館が崩れ始めた時に外へ出て、すぐにロザリンの元へと向かったのだ。
道中、はぐれた私兵が二名いたので、エリオットはそのまま私兵を連れてロザリンを連れ出した。ロザリンは抵抗せず、おとなしくエリオットに従い、私兵に後ろ手を拘束されてガリオン家の館の中を歩いている。
本来であれば美しい絵画が飾ってあったであろう廊下も、壁が崩れて外の景色を映し出していた。太陽は真上を向き、昼時を差している。
「それで? 今度は私をどこに置いておくつもりなの?」
「うるさい! 口を慎め!」
「うるせーのはてめえだよ……黙ってろ」
ロザリンを私兵が怒鳴り、そんな私兵に静かに怒りをぶつけるエリオット。私兵は不満げな表情をするものの、逆らう理由もないので口を噤んだ。
「……てめえをアキヒト様に献上する。そして俺は、力を授かるんだ……」
「アキヒト様……?」
聞きなれない名前に、ロザリンは拓真のことを思いだしていた。
一方、エリオットはどこか遠くを見るような目をしていた。その目は、先ほどまでずっと見ることしかできなかった、拓真とアキヒトの戦いを思い出している。
「俺も親父みたいに力を……そうすれば、アキヒト様のために……」
ぶつぶつと何事かをずっと呟いている。ロザリンの知っているエリオットとはどこか違い、、不気味さを感じさせていた。
(一体何があったの……? それに、あの揺れは……)
ロザリンは地下牢にいたので影響が少なかったのか、魔力の圧はあまり感じられなかったようだ。しかし、魔力の爆発があっての揺れは感じていたようで、それから館の様子も様変わりしたことに驚いていた。
(タクマは無事なのかしら……私も、ただ助けを待つんじゃなくて、どうにか動けたら……)
考えを巡らせているうちに、エリオットが立ち止まる。そこは、大きな扉の前だった。
エリオットが一歩だけ前に出て、扉を叩く。しかし返事はない。何度か叩いているうちに、ようやく何かが聞こえてきた。
人の返事ではなく、獣の唸るような声だ。
「……アキヒト様。こちらにいらっしゃいませんか」
エリオットの呼びかける声に、反応はない。もう一度、苛立たし気に扉が叩かれる。すると、ようやく人の声が返ってきた。
「……だれだ」
年齢を重ねた男の、低い声。それが聞こえると、俯き気味だったエリオットは、顔を上げた。
「……んだよ。てめえがいるのは始めからわかってんだから、返事しろよな」
エリオットのその言葉には、返事はない。
「アキヒト様を探しているんだ。どこに行ったか知らねえか?」
改めて呼びかけられる、エリオットの言葉。
だが返事は何もない。声も、獣の唸るような声も、止んでしまった。私兵の二人は、お互いに顔を見合わせて、それとなく後ずさりをした。私兵の一人の拘束されているロザリンも、引っ張られて一緒に後ろへ下がる。
(下がりたくもなるわよね……こんなに異様な雰囲気なんだもの……)
ロザリンは、名も知らない私兵二人に同情した。
本音を言えば、ロザリンはその場からすぐに立ち去りたかった。足元を無数の虫が蠢いているような、そんななんとも居心地の悪い雰囲気を、扉の奥から感じるのだ。
声がしなくなって少しすると、またも低い声が聞こえた。
「……腹が……へった……」
「……あ?」
声に対し、エリオットは強めに反発した。
「オーマの奴が飯の時に呼んだだろ。それで来ねえてめえが悪いんじゃねえか」
「……はらが、へった……なにか……持ってきてくれないか……」
「てめえ……俺の質問に答えもせず、飯の要求かよ……」
エリオットが苛立っているのは、火を見るよりも明らかだ。ロザリンがそのまま見守っていると、エリオットは扉を乱雑に蹴り始めた。鍵がかかっているのか、なかなか扉は開かない。だが何度か強く蹴ると、鍵の金具が外れたのか、扉が大きく開いた。
「クソ親父が! まずは俺の質問に答えやが……」
エリオットの声が、小さくなっていく。少しだけ下がっていた私兵は、ロザリンを拘束したまま怖いものみたさに前へ出た。
扉の中は、まだ昼間だというのに薄暗かった。だが、暗くてよかったと、すぐに思うことになる。
「……はらが……へっているんだ……とにかく……へって、へってな……」
ずるり、と何かを引きずるような音がした。大きな何かが、光の差し込むエリオット側へと近づいてくる。
「おや……じ……」
エリオットは言葉を失い、ただ立ち尽くす。近づいてきたなにかは、下半身が大きな肉塊へ変わり果てたガルトール・ガリオン、その人だった。
「ひっ、ひいいいいっ!」
ロザリンを拘束していない、もう一人の私兵が走り出した。人間ではなく、化け物が現れたことにより、怯えて逃げ出してしまったのだ。
「めし……めしだ……」
逃げる私兵を見て、ガルトールは笑う。その口の中は、歯が抜け落ちて隙間だらけだ。
私兵に向かって、何かが凄まじい勢いで伸びていった。血を滴らせながら伸びるそれは赤黒く、血管が透き通って見える触手であった。
「えぶっ」
伸びたそれは私兵の足を絡めとり、転ばせる。もう一本の触手が伸び、私兵の両足がからめとられた。つまり、逃げられないということを指す。
「あっ、あああっ、いやだっ! いやだああああっ!」
ずるずると私兵は引きずられ、ガルトールの足元まで持っていかれた。
ガルトールは、へそから上は人間の形を保っているが、妙に赤黒い肌色をしている。足元にやってきた私兵を覗き込んで、ニタリと笑うと、その腕に転がっていた剣をとった。
剣が手に持たれたのを見て、私兵は首を横に振りながら叫んだ。
「ガルトール様! わたしです! レイトゥーンです! ガリオン私兵団っ、第十二部隊のっ」
命乞いをしていたのだろうが、無念にも私兵は心臓を剣に貫かれた。鎧の上から、力任せに貫かれたのだ。
「ガッ、ガルトール……しゃま……」
突き刺した剣で心臓をぐりぐりと念入りに捏ねてから、ガルトールは私兵の鎧を引きはがした。上半身の分を剥ぎ取り、筋肉質な胸筋が晒されると、ガルトールは嬉しそうにむしゃぶりつく。
「うっ……!」
ロザリンを拘束していた私兵はその手を離し、仲間が死肉となって雇い主に食われる様を見て、思わず吐き出した。後ろに吐瀉物が落ちる音を聞きながら、ロザリンはゆっくりと後ずさり始める。
「ああ……うまい……うまい、なあ……!」
肋骨が見えるくらい食べると、ガルトールは恍惚とした表情を見せた。その口の中は、歯の隙間から人間の者とは思えない牙が生えてきている。
「い、いやだ……俺はああなりたくない……!」
もう一人の私兵がそう言ってよろめくと、ガルトールの視線がそちらへと動いた。
「ひいっ!」
「だめっ、逃げ……」
そうはいうものの、もう遅い。ロザリンは何もできず、またも触手によって引き寄せられる私兵を見送るしかなかった。
「あああああっ!」
同じように心臓を鎧の上から貫かれ、今度は顔面から食べられ始めた。反射的に目を逸らしたロザリンは、どうすることもできず、拳を握る。
「や、やめさせないと……」
「無理だろ」
具体案もないまま、そう口にするロザリンに、エリオットが言う。
「あれが、親父の求めた強さか……」
二人の私兵の肉を貪り続けるガルトールを見て、エリオットは心底不快そうに顔を歪めた。そして蹴り開けた扉を閉じ、来た道へと振り返る。
「おい、ついてこい。お前は献上品なんだ、死なせるわけにはいかねえ」
「ついていって、どこにいくの? このお屋敷だって崩れてきているんだし、私は仲間と合流したいのだけど……」
ロザリンの返答に、エリオットはあからさまに不機嫌な態度を示し、額を突き合わせるほど詰め寄った。
「てめえは今ここで死にてえのか? 見ただろ、親父の姿を……あれはもう親父じゃねえけどよ。ここにいたら、死ぬだけだぞ」
そう言っている間に、ずるりずるりと肉塊の引きずる音が聞こえてきた。新たな食事を求めているのか、それとも蠢いているだけなのか。どちらにせよ、ここに留まるのは良くないと、ロザリンもわかってはいる。
「……ひとまず、ついていくわ」
「はじめっからそうしろ、クソが。行くぞ」
そして、ロザリンはエリオットと共にゆっくり歩いて、その場を立ち去っていく。
扉の奥からは、くちゃくちゃと生々しい咀嚼音が聞こえていた。