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―第五十一章 扉の奥に居る者―

「ちょっと、痛いんだけどっ……」

「このくらい我慢しろ! ほらっ、とっとと歩け!」


 拓真たちが地下牢へたどり着く少し前。ロザリンはエリオットに連れられて、別の出入り口から館の中へ入っていた。エリオットは館が崩れ始めた時に外へ出て、すぐにロザリンの元へと向かったのだ。

 道中、はぐれた私兵が二名いたので、エリオットはそのまま私兵を連れてロザリンを連れ出した。ロザリンは抵抗せず、おとなしくエリオットに従い、私兵に後ろ手を拘束されてガリオン家の館の中を歩いている。

 本来であれば美しい絵画が飾ってあったであろう廊下も、壁が崩れて外の景色を映し出していた。太陽は真上を向き、昼時を差している。


「それで? 今度は私をどこに置いておくつもりなの?」

「うるさい! 口を慎め!」

「うるせーのはてめえだよ……黙ってろ」


 ロザリンを私兵が怒鳴り、そんな私兵に静かに怒りをぶつけるエリオット。私兵は不満げな表情をするものの、逆らう理由もないので口を噤んだ。


「……てめえをアキヒト様に献上する。そして俺は、力を授かるんだ……」

「アキヒト様……?」


 聞きなれない名前に、ロザリンは拓真のことを思いだしていた。

 一方、エリオットはどこか遠くを見るような目をしていた。その目は、先ほどまでずっと見ることしかできなかった、拓真とアキヒトの戦いを思い出している。


「俺も親父みたいに力を……そうすれば、アキヒト様のために……」


 ぶつぶつと何事かをずっと呟いている。ロザリンの知っているエリオットとはどこか違い、、不気味さを感じさせていた。


(一体何があったの……? それに、あの揺れは……)


 ロザリンは地下牢にいたので影響が少なかったのか、魔力の圧はあまり感じられなかったようだ。しかし、魔力の爆発があっての揺れは感じていたようで、それから館の様子も様変わりしたことに驚いていた。


(タクマは無事なのかしら……私も、ただ助けを待つんじゃなくて、どうにか動けたら……)


 考えを巡らせているうちに、エリオットが立ち止まる。そこは、大きな扉の前だった。

 エリオットが一歩だけ前に出て、扉を叩く。しかし返事はない。何度か叩いているうちに、ようやく何かが聞こえてきた。

 人の返事ではなく、獣の唸るような声だ。


「……アキヒト様。こちらにいらっしゃいませんか」


 エリオットの呼びかける声に、反応はない。もう一度、苛立たし気に扉が叩かれる。すると、ようやく人の声が返ってきた。


「……だれだ」


 年齢を重ねた男の、低い声。それが聞こえると、俯き気味だったエリオットは、顔を上げた。


「……んだよ。てめえがいるのは始めからわかってんだから、返事しろよな」


 エリオットのその言葉には、返事はない。


「アキヒト様を探しているんだ。どこに行ったか知らねえか?」


 改めて呼びかけられる、エリオットの言葉。

 だが返事は何もない。声も、獣の唸るような声も、止んでしまった。私兵の二人は、お互いに顔を見合わせて、それとなく後ずさりをした。私兵の一人の拘束されているロザリンも、引っ張られて一緒に後ろへ下がる。


(下がりたくもなるわよね……こんなに異様な雰囲気なんだもの……)


 ロザリンは、名も知らない私兵二人に同情した。

 本音を言えば、ロザリンはその場からすぐに立ち去りたかった。足元を無数の虫が蠢いているような、そんななんとも居心地の悪い雰囲気を、扉の奥から感じるのだ。

 声がしなくなって少しすると、またも低い声が聞こえた。


「……腹が……へった……」

「……あ?」


 声に対し、エリオットは強めに反発した。


「オーマの奴が飯の時に呼んだだろ。それで来ねえてめえが悪いんじゃねえか」

「……はらが、へった……なにか……持ってきてくれないか……」

「てめえ……俺の質問に答えもせず、飯の要求かよ……」


 エリオットが苛立っているのは、火を見るよりも明らかだ。ロザリンがそのまま見守っていると、エリオットは扉を乱雑に蹴り始めた。鍵がかかっているのか、なかなか扉は開かない。だが何度か強く蹴ると、鍵の金具が外れたのか、扉が大きく開いた。


「クソ親父が! まずは俺の質問に答えやが……」


 エリオットの声が、小さくなっていく。少しだけ下がっていた私兵は、ロザリンを拘束したまま怖いものみたさに前へ出た。

 扉の中は、まだ昼間だというのに薄暗かった。だが、暗くてよかったと、すぐに思うことになる。


「……はらが……へっているんだ……とにかく……へって、へってな……」


 ずるり、と何かを引きずるような音がした。大きな何かが、光の差し込むエリオット側へと近づいてくる。


「おや……じ……」


 エリオットは言葉を失い、ただ立ち尽くす。近づいてきたなにかは、下半身が大きな肉塊へ変わり果てたガルトール・ガリオン、その人だった。


「ひっ、ひいいいいっ!」


 ロザリンを拘束していない、もう一人の私兵が走り出した。人間ではなく、化け物が現れたことにより、怯えて逃げ出してしまったのだ。


「めし……めしだ……」


 逃げる私兵を見て、ガルトールは笑う。その口の中は、歯が抜け落ちて隙間だらけだ。

 私兵に向かって、何かが凄まじい勢いで伸びていった。血を滴らせながら伸びるそれは赤黒く、血管が透き通って見える触手であった。


「えぶっ」


 伸びたそれは私兵の足を絡めとり、転ばせる。もう一本の触手が伸び、私兵の両足がからめとられた。つまり、逃げられないということを指す。


「あっ、あああっ、いやだっ! いやだああああっ!」


 ずるずると私兵は引きずられ、ガルトールの足元まで持っていかれた。

 ガルトールは、へそから上は人間の形を保っているが、妙に赤黒い肌色をしている。足元にやってきた私兵を覗き込んで、ニタリと笑うと、その腕に転がっていた剣をとった。

 剣が手に持たれたのを見て、私兵は首を横に振りながら叫んだ。


「ガルトール様! わたしです! レイトゥーンです! ガリオン私兵団っ、第十二部隊のっ」


 命乞いをしていたのだろうが、無念にも私兵は心臓を剣に貫かれた。鎧の上から、力任せに貫かれたのだ。


「ガッ、ガルトール……しゃま……」


 突き刺した剣で心臓をぐりぐりと念入りに捏ねてから、ガルトールは私兵の鎧を引きはがした。上半身の分を剥ぎ取り、筋肉質な胸筋が晒されると、ガルトールは嬉しそうにむしゃぶりつく。


「うっ……!」


 ロザリンを拘束していた私兵はその手を離し、仲間が死肉となって雇い主に食われる様を見て、思わず吐き出した。後ろに吐瀉物が落ちる音を聞きながら、ロザリンはゆっくりと後ずさり始める。


「ああ……うまい……うまい、なあ……!」


 肋骨が見えるくらい食べると、ガルトールは恍惚とした表情を見せた。その口の中は、歯の隙間から人間の者とは思えない牙が生えてきている。


「い、いやだ……俺はああなりたくない……!」


 もう一人の私兵がそう言ってよろめくと、ガルトールの視線がそちらへと動いた。


「ひいっ!」

「だめっ、逃げ……」


 そうはいうものの、もう遅い。ロザリンは何もできず、またも触手によって引き寄せられる私兵を見送るしかなかった。


「あああああっ!」


 同じように心臓を鎧の上から貫かれ、今度は顔面から食べられ始めた。反射的に目を逸らしたロザリンは、どうすることもできず、拳を握る。


「や、やめさせないと……」

「無理だろ」


 具体案もないまま、そう口にするロザリンに、エリオットが言う。


「あれが、親父の求めた強さか……」


 二人の私兵の肉を貪り続けるガルトールを見て、エリオットは心底不快そうに顔を歪めた。そして蹴り開けた扉を閉じ、来た道へと振り返る。


「おい、ついてこい。お前は献上品なんだ、死なせるわけにはいかねえ」

「ついていって、どこにいくの? このお屋敷だって崩れてきているんだし、私は仲間と合流したいのだけど……」


 ロザリンの返答に、エリオットはあからさまに不機嫌な態度を示し、額を突き合わせるほど詰め寄った。


「てめえは今ここで死にてえのか? 見ただろ、親父の姿を……あれはもう親父じゃねえけどよ。ここにいたら、死ぬだけだぞ」


 そう言っている間に、ずるりずるりと肉塊の引きずる音が聞こえてきた。新たな食事を求めているのか、それとも蠢いているだけなのか。どちらにせよ、ここに留まるのは良くないと、ロザリンもわかってはいる。


「……ひとまず、ついていくわ」

「はじめっからそうしろ、クソが。行くぞ」


 そして、ロザリンはエリオットと共にゆっくり歩いて、その場を立ち去っていく。

 扉の奥からは、くちゃくちゃと生々しい咀嚼音が聞こえていた。

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