「エリオット、動くなよ!」
刀の柄に手を置いたまま、拓真は駆け出した。エリオットに牙を突き立てようとするガルトールだったが、拓真の気配に気付き、顔を向けることなく触手を伸ばした。その勢いは、まるで剣先を真っすぐに向けられているかのようだった。
「神道霞流……」
肩に鬼の吐息を感じつつ、拓真は刀を構えた。息をスッと吸うと、自分に向かう触手を跳ね、跳ねたままの力を乗せてエリオットの足首を掴む触手へと刀を伸ばす。
「真壁氏幹伝授、“
速さと力が加わった切っ先は、簡単に人の腕のような太さの触手を断ち切った。それによりガルトールは怯み、エリオットの足首を離した。落ちることがわかっていたエリオットは身体を丸めて地面に落ち、転がりながらガルトールから距離を取る。すると、ガルトールは至極残念そうな表情を見せながら、瓦礫の中から這い出てきた。重たそうに身体を引きずるその姿は、とてもおぞましいものだった。
「クソッ……さっきよりでかくなりやがってよ……!」
自身の大剣を魔法で呼び出したエリオットは、剣を構えながら怪物と化した父を見上げる。
ガルトールの下半身部分は、蟻の身体のように細長い肉塊と、下腹部に当たるでっぷりとした丸い肉塊の二つで構成されていた。そこからは人間の腕が足のように生えており、ところどころに茶色や金の頭髪なんかが垂れているようにも見える。そして、肉がドロドロと溶けており、血も滲み出ているようだった。
文字通りの、怪物。そんな男が次に繰り出す行動を、拓真は注意深く警戒する。
「はら……ハラ、へった……くわねば……ちからを、くわねば……」
顎が外れそうなほどガパリと口を開き、ガルトールは呟いた。
「させるかよ、この恥晒しが!」
エリオットは大剣を掲げ、力強く踏み込んでガルトールへと斬りかかった。重たい剣の一撃は、どれほどのダメージを与えることができるのか、拓真は見守る。
しかし、期待は外れた。ガルトールの下半身は重たく見えるが、ひらりとエリオットの一撃を避けたのだ。瓦礫に大剣が叩きつけられ、破片が宙を舞う。その中で、ガルトールは異様に長い舌で唇を舐め、エリオットを見つめていた。
「ちからを、くわねば」
ガルトールの上半身は、いまだ人間の形を保っている。その右手には、血管が張り巡らされ、身体の一部と化しているような鋼の剣が握られていた。その切っ先は、エリオットへと向けられている。
「危ない!」
歪な剣がエリオットの腹部に目掛けて振るわれたのを、拓真の刀が止めた。ガァン! と金属のぶつかる大きな音がすると、拓真は力任せにその剣を上へとはじき返す。
まさかそんなことをされると思っていなかったのか、ガルトールは目をぱちくりとさせつつ、拓真を見た。
「タクマ! エリオットさん!」
そこへ、ロザリンとコウテツ、そしてオーマが駆けつけた。三人とも驚いた表情で、ガルトールと対峙する。
無論、ガルトールは嬉しそうに舌なめずりをして出迎えた。
「だめだ、来るな!」
拓真の警告は、少しだけ遅かった。来るなと言い終わる前に、すでに触手は伸びており、コウテツの足を掴んだのだ。
「こんなものっ……ふんっ!」
倒れないようにその場で踏ん張るコウテツは、触手を手に取り、逆に引っ張り返す。それが良くなかった。
「ちからだ……ちからヲ……寄越、せェ!」
ガルトールはさらに触手を増やし、コウテツの肩まで拘束した。
「むぅおっ! こ、これはさすがにワシもっ……!」
コウテツの足はずりずりと動き出し、緩やかにガルトールへと向かいだす。必死にコウテツは抵抗するが、ガルトールとの距離は確実に縮まっていた。
「離せええええ!」
触手を切り払うため、拓真は刀を振るった。スパン、と気持ちいいくらいに触手は切り落とされ、コウテツは再びガルトールと距離を取る。
「早く逃げっ……ぐあっ!」
コウテツたちにそう呼びかけた拓真は、ガルトールが振り回した下半身に体当たりをされ、弾き飛ばされてしまった。別の方向へと続いていた廊下を塞ぐ瓦礫に叩きつけられ、拓真はほんの僅かに痛みに悶える。
「カスが! 死ねえええっ!」
その隙をつき、エリオットがガルトールの背後に回り、大剣を構えた。
「“
地面から天を目指すかのように、ガルトールの背中を刃で駆け上がろうとスペシャルスキルを繰り出す。短い距離ながらも、ぐっと身体を屈めて射出されたような勢いで刃を走らせた。拓真を瀕死に追いやったその技は、重さも早さも申し分ない。きっと、目の前の怪物を討つことができるだろう。
その剣が、ガルトールに届いたのなら。
「……あ?」
衝撃波が発生し、細かな瓦礫が吹き飛んだかと思うと、エリオットの剣はガルトールの背に生えた幾つもの腕によって止められていた。さらに、ガルトールは真後ろに首をぐりんと回し、エリオットと目を合わせる。
「これだから大剣は駄目なんだ。動きがわかりやすい」
虚ろな目の奥に見える、落胆と嘲笑。幼少期の頃に見た恐怖の対象に、エリオットは一瞬、身を強張らせる。
「はらがへった、ナァ」
怪物に戻ったガルトールは、空いている腕でエリオットの頬を殴りつけた。そのまま瓦礫へと落ちていったエリオットへは見向きもせず、ガルトールは再び首を前へと回した。
その視線の先には、腕に絡みついた触手を解いているコウテツとオーマが映っている。
「ちから……ちから……」
ガルトールの触手は、切断された部分が蠢いてひっつきあい、再生していった。先ほどと変わらない強さの引きが、またもコウテツを襲う。
「いけません! 父上、おやめください!」
オーマが必死に細剣で触手を切るものの、いつの間にか数が増やされ、その抵抗は意味を為さなくなっていった。
「あっ……く、ぅっ……!」
「オーマくん!」
ついには、オーマすらも触手に取らえられてしまった。武器を持たないロザリンが近づこうとしても、オーマは首を振ってそれを許さない。
「ダメです、ロザリンさんまで捕まってしまったら……この脅威を知らせる人が、いなくなってしま……うわあっ!」
触手に引き寄せられ、オーマはその場に倒れ込んだ。そのままガルトールの元まで引き寄せられるかと思ったが、その勢いは弱い。
「面っ! 胴っ!」
「死ねっつってんだろぉが、クソ親父ぃ!」
拓真とエリオットが、左右からガルトールを攻めて、触手から意識を逸らしていたのだ。
だがそれもいつまで続くかわからない、応急処置のようなもの。ガルトールの体力も、一体どこまであるのかわからない。拓真たちがじわじわと全滅に向かっているのは、明白だった。
(私の役割は……誰かにガルトール公のことを知らせるだけ⁉ 今この場で、私ができることはないの⁉)
武器を持っていないので後方にいることしかできないロザリンは、拳を握りしめる。何もできずに見ているだけの自分が、ひどく歯痒かった。
しかし、敗北が近いこの現状でも、希望を失ってはいない。
(一番ガルトール公に近くて、この中で一番強いタクマとエリオットさんになんとかしてもらうしか……でも、二人は今も剣を向けているのに……!)
拓真とエリオットの攻撃が通るようにするには、どうすればよいのか。ロザリンは、己に問う。
(やっぱり、コウテツさんとオーマくんに気を引いてもらって……ううん、十分にその役割は果たせているはず……私も何かをして、意識を分散させられたら……あれ? そういえば……)
ここでロザリンは、あることに気付く。
「ロ、ロザリンさん⁉ なにをっ……」
オーマを掴んでいる触手に、ロザリンは迷いもなく触れた。どろりとした気持ちの悪い感覚ではあったが、ロザリンの中で疑念は確信へと変わっていく。
はじめは触手の表面に軽く指を置くだけ。それでは何も反応がなかったので、今度は表面が少し沈むほど力を入れる。それでも、触手はロザリンへと矛先を変えることがなかった。
それだけではない。ガルトールは、拓真、エリオットの相手をしている時は、しっかりとそちらを見ている。コウテツとオーマに対してもそうだ。引き寄せることに集中している時は、触手の先を確認しているのだ。一方で、ロザリンはまだガルトールと目を合わせていない。
「……ガルトール公は、力を求めている」
先ほどから何度も何度も聞こえてくる、力を欲する声。ロザリンの脳裏には、地下牢に居た時に聞いた、ガルトールの思想の一つが思い起こされていた。
そこから導き出された、一つの仮説。
「わからない……この考えは間違えているかもしれないけど……でも!」
触手に掴まれたため、床に転がってしまったオーマの細剣を、ロザリンは拾いあげた。そして、そのままつかつかとガルトールへと向かって歩いていく。
「ロ、ロザリンさん⁉ 一体、何を……」
「ごめんねオーマくん、少しだけ剣を借りるね」
ロザリンは、剣の柄をぎゅっと握りしめる。この騒動のせいで、剣を握るのはずいぶん久しぶりな気がした。
自分の手に馴染まない、いつまで経っても強くなれない。それでも父を見本として持ち続けた剣の感触を手に、ロザリンは顔を上げた。
「ここは……私に任せて!」
「ロザリンさんっ……!」
オーマは腕を伸ばすが、それは触手に絡められてしまい、ロザリンを止めることはできなかった。
戦いの最中、ロザリンが近づいてきていることに気付いた拓真は、ガルトールの剣を止めながら叫ぶ。
「ロザリン⁉ 何をしているんだ、すぐに戻れ!」
「戻らない! お願い、タクマ! そのままガルトール公と戦って!」
でも、と続けようとした口を、拓真は閉じた。何かを決意した、ロザリンの強い輝きを纏う瞳。それを見ると、戻れとはとてもではないが言えなかった。
「頼むぞ! 神道霞流……」
信頼を投げかけ、刀を構え直す。拓真があえて近づくと、ガルトールは剣で退けようとした。それを許さず、拓真は半ば無理矢理に刃を押し出した。
「真壁氏幹伝授、“
高速で二連撃を叩き出し、ガルトールの剣を揺らめかせる。それに倣い、エリオットも何度も剣を振るい、ガルトールの気を散らせ続けた。
二人の協力もあるおかげか、近いところにいて動いているにも関わらず、ガルトールの興味は一向にロザリンへ向けられることはなかった。そのため、ロザリンはついにガルトールの足元までたどり着く。
「ガルトール公!」
足元で、ロザリンは声を上げる。大きな声ではあったが、それでもガルトールはロザリンを見ない。
「ガルトール・ガリオン!」
フルネームで呼んでも、ガルトールは見向きもしなかった。それよりも、両脇で戦っている拓真とエリオットの両者を、早く食べたくて仕方がないといった表情を見せている。
「……やっぱり、女性が剣を持つ強さには、興味がないのね。いいえ、見えていないと言った方が正しいのかしら」
ロザリンのいう女性が剣を持つ強さとは、自分のことを指していない。その言葉の裏にいるのは、ランディである。ガリオン家から抹消された女性であり、今では仲間の一人となった自らを男と偽る女性だ。
「私はランディほどではないけれど……それでも!」
力を寄越せと言いながら、ガルトールはロザリンを除く男性にばかり攻撃をしていた。
そこでロザリンは、ガルトールは女が剣を持つことは無理だという思想を持っていると、オーマから聞いたのを思い出したのだ。
女であるロザリンが剣を持っても、その強さに興味を持っていないから狙われない。それはすなわち、この状況で唯一、ガルトールに届き得る刃ということ。
「私だって……ランディだって……戦えるんだからあああっ!」
ロザリンの剣―女の持つ刃―は、まっすぐにガルトールの心臓へと向かって振るわれた。