目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

―第五十六章 人としての死―

 ガルトールがその痛みに気付いたのは、細剣が心臓を貫いてからだった。ふと動きをとめ、自身の左胸を見る。飛びかかってきた何かが、深いところまで剣を押し込んでいた。

 飛びかかった何かは、ガルトールの目には映っていないロザリンである。ロザリンは剣の柄を手放し、尻もちをつきながら地面へと落ちた。


「ロザリンっ……大丈夫か⁉」


 急いで拓真が駆け寄り、ロザリンの手を引いて立たせてから距離を取る。その間も触手が痛みに暴れてはいたが、ガルトールが動く気配はなかった。


「私は大丈夫……タクマこそ、大丈夫?」

「まったく問題ない。それより……」


 二人は、先ほどまで恐ろしい脅威だった怪物を見る。

 剣を胸に突き立てられたまま、ガルトールはすっかり動かなくなってしまった。元々虚ろだった目は、さらに暗く沈んだような印象を持っている。頭も肩もがっくりと落ちており、生気は感じられない。

 コウテツは、自身を引っ張っていた触手の力が抜け、動かなくなったことに気付いた。ぶちぶちと引きちぎってその拘束から抜け出し、オーマに絡みつく触手もちぎり、その場から距離を取る。

 エリオットはというと、大剣でガルトールの背に生えた腕を一気に薙いだ。それでもガルトールの反応はない。大量の血が溢れ出ているその背に顔をしかめさせつつ、エリオットはもう一度大剣を掲げ始めた。


「エリオット、何をするつもりだ?」

「決まってんだろ。こんなアホみたいな隙を見せてるうちに、その首を落とす」


 拓真の問いに答えたエリオットは、ガルトールの首を見据える。止めるべきか僅かに悩んだ拓真だったが、覚悟を訊ねたのは自分だったと思い返し、その瞬間に備えて瞼を閉じた。

 普通の人間であれば、心臓を貫かれた時点で死んでいるだろうが、怪物である以上何が起こるかはわからない。エリオットの判断は正しいものだと、拓真は自分に言い聞かせた。


「待ってください!」


 そしてエリオットが踏み込もうとしたところで、オーマが大きな声を上げた。


「あ……? んだよ、ガキ」

「もういいでしょう、兄様。父上の……ガリオン家の恥は、ここで食い止められたんです。それなら、せめて人のまま置いておくべきではありませんか」


 オーマの言葉に、エリオットは苛立ったように舌打ちを返した。


「こいつはもう人間じゃねえんだぞ。こんなことになったなら、徹底的に息の根を止めることこそ、こいつのためにもなるんじゃねえのか」

「ぼくは兄様とは逆の意見です。人間ではなくなったからこそ、僅かに残っているその形だけでも保ってあげたいんです」


 上半身だけ残った、人間としてのガルトール。貫かれた心臓からは、細剣を伝って赤い血が流れ落ちている。彼が人間であった証拠だ。

 オーマの訴えを聞いても、エリオットは大剣を掲げるのをやめない。


「……アキヒト様に力を貰っておきながら、暴走させちまうなんて無様な姿を見せた、大馬鹿野郎だぞ。それ以前に、本当なら親父とも呼べねえクソ野郎だぞ!」

「それでも、ここまでガリオン家を守ってきました! ぼくたちのことを、育ててくれましたよ!」

「家を守った? 俺たちを育てた? 俺はそう思わねえ。それすらできてねえクソ野郎を、なんでそこまで甘やかしてやる必要がある!」

「ぼくたちの、父上だからじゃないですか!」

「……てめえ!」


 ついにエリオットは剣を下ろしたが、代わりにその足をオーマへと向かわせた。拳を振るう寸前で、コウテツがその腕を抑える。


「やめんか、若いの! お前さんの親父さんは死んだ! それで十分じゃないか! ここまで騒いで動かないのなら、もう完全に死んどる!」

「だから、こいつは怪物なんだぞ! そもそもこのクソ親父は、首を落とされて当然の野郎だ! 主人の役にも立てねえ、父親としての役割も果たさねえただのクソ……」

「あっ」


 言い争うコウテツとエリオットの合間に、オーマの感嘆が紛れ込む。振り向くと、そこには怪物の下半身だけが残っており、拓真がガルトールの上半身を抱え、床に寝かせているところだった。


「てめえ、何を勝手に……」

「あんたたちの言い争いを止めるように、身体だけが落ちてきたんだ。もういいだろう。亡くなった親御さんの前で兄弟喧嘩なんて、するもんじゃない」


 拓真は丁寧にガルトールの瞼を閉じ、心臓に刺さる細剣を抜いてやる。それをロザリンが受け取ると、自らの服の袖を裂き、細剣についた血を拭ってやった。


「怪物の身体と離れて、ただの人に戻ったんだ。弔ってやらないと」


 そう言って、拓真はガルトールの前で手を合わせる。その横で、ロザリンも指を組んで祈りをささげた。

 エリオットの腕を抑えていたコウテツも離し、その場で頭を下げる。オーマはロザリンの横へ行き、同じように祈りをささげた。

 ただ一人、エリオットだけが取り残されるも、祈りを捧げるなんてことはしなかった。


「……兄様は、父上のために祈らないのですか」

「祈ってやることなんざねえよ。このクソったれになんか……」


 エリオットの手から大剣は離れ、光となって消えた。もう剣を握るつもりはないらしく、エリオットはその場にどかりと座り込む。


「……これから、どうするんだ?」


 拓真の問いに、少し時間を置いてからエリオットは口を開いた。


「さぁな。とにかく、しばらくてめえらの顔は見たくねえ……とっととどっかに行け。行かねえなら、殺すぞ」


 さすがに疲労が溜まっているのか、エリオットは立ち上がるつもりもないようだった。

 拓真は、メファールの村のことを思いだす。元凶はガルトール、さらにその上となるとエルヴァントの支配者であるアキヒトになるだろうが、行動に移したのはエリオットだ。本来であれば、ここで拘束して王都アダルテへ連れて帰るべきなのだろう。聞き出すべきことも、たくさんある。しかし、拓真はエリオットの言葉に従うことにした。


「そうさせてもらおう。ロザリンのことも、連れて行かないみたいだしな」

「はっ。その辺でちんたらしてたら連れてくぞ」

「安心しろ、もう行くから」


 拓真は気付いていた。エリオットの目が、ガルトールに向けられているのを。

 ひたすら罵倒する言葉を言っていたものの、実の父親を失ったのだ。何か思うところはあるのだろうと、拓真はその場から離れることを選んだ。


「達者でな」


 そして拓真は、元来た道へと歩き出した。ロザリンはオーマに細剣を返し、拓真の後を追う。エリオットとすれ違う際に、ぺこりと頭を下げながら。

 コウテツも残る理由はないので、早々に拓真たちの後ろをついていった。残るは、ガリオン家の男のみ。


「……父上。土の下へ寝かせられないことを、お許しください。あなたがどんな人間であっても、ぼくにとっては立派な父でした」


 深々とガルトールの遺体に頭を下げたオーマは、踵を返してエリオットの前に立つ。弟が目の前に立っても、エリオットの目はガルトールへ向けられたままだった。


「兄様、ぼくはタクマさんたちと一緒に行きます。ランディ姉様にも、会うために」

「……裏切り者がよ」

「ごめんなさい。ぼくはアキヒト様にはついていけません。兄様と違って、ぼくはアキヒト様に騎士として認めてもらっていませんし」

「勝手にしろ、クソが」

「はい。それで……兄様は、これからどうするんですか?」


 その言葉に、エリオットはちらりとオーマを見た。だが、すぐに視線はガルトールへと戻す。


「……俺は、エルヴァントへ行く。クソ親父がアキヒト様の期待に応えられなかったことと、恥晒しになるところだったことを謝らねえとな」

「それは……ガリオン家の長男として、ですか?」

「だったらなんだ? てめえはあいつらのとこに行くんだろ? なら、てめえにはもう関係ねえだろ」

「……それもそうですね。姉様と同じように、ぼくもガリオンの名を捨てることになりそうです」


 オーマは、歩き出す。拓真たちに追いつくためにも、エリオットと決別するためにも。


「さようなら、エリオット兄様。ぼくたちは……結局、家族らしくなれませんでしたね」

「俺たちは始めから家族なんかじゃねえよ。ただの……ガリオン家に生まれたってだけの、ガキだ……」


 一瞬エリオットに振り向きかけたオーマだったが、そのまま前を向き、拓真たちの後を追った。

 遠ざかる弟の足音を聞きながら、エリオットは立ち上がる。追うためではなく、父の横へ座るためにだ。

 瞼を閉じられたガルトールは、まるで穏やかに眠っているようだった。ここ数日の苦し気なガルトールの呻き声を思い出し、エリオットはふと肩の力を抜く。


「……もっと昔から、そういう顔を見せてくれりゃあよかったのによ」


 そんなことを口走ったエリオットは、首を横に振った。らしくないことを言ったと恥じ、深いため息をついた。それから、もう一度穏やかに眠るガルトールを見やる。


「あばよ、クソ親父……頼むから、もう化けて出るなよ」


 祈りともつかない祈りを捧げ、エリオットは目を閉じる。

 静かな夕闇が、青年の心と空を覆い始めていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?