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―第五十七章 一瞬の安寧―

 ガリオン家の崩壊した館から出た拓真、ロザリン、コウテツ、オーマの四人。オーマだけはもう一度館に振り返り、それからまた前を向いた。

 外はもう夕闇が迫っており、逃げ惑っていたはずの私兵も誰もいない。ひとまず今日はもう誰とも剣を交わす必要はないようだと、拓真は胸を撫で下ろした。


「さて、お前さんたちはどうする? 今からでもアダルテへ向かうのか?」


 コウテツの問いに、拓真とロザリンは顔を見合わせてうーん、と迷いを喉の奥で鳴らした。


「メファールの村でさえ、馬で半日でしょう? そこからさらに王都へ向かうとなると……」


 そこへ、オーマが恐る恐る声をかける。


「すみません。馬が用意できたらいいんですが、おそらく私兵たちが逃げるのに連れていっているかと……それに、馬小屋は瓦礫で潰れているみたいですし……」

「そうなると、途方もない時間がかかりそうだな……でも、行くしかないか」


 オーマの言葉に、拓真はわかりやすく落胆した。そんな拓真の背中を、コウテツは乱雑に叩く。


「まあまあ! 今は疲れもあるだろう! ワシが使っていた鍛冶場で一晩休んでいくといい。館とは離れていたから多分大きくは崩れておらんだろうし、食料も少しならあるぞ」


 コウテツの提案以外に、今はいい案も思い浮かばないので、素直に甘えることにした。

 館から道を下っていき、崖下の海岸へと出る。拓真が見た船は全て出航しているようで、敵となりうる存在もいないようだった。鍛冶場もコウテツの予想通り、あまり崩れずに形を保っていて、一晩の宿としての役割を果たすには十分すぎるほどだった。

 食事として、コウテツからは飲み水と干し肉が提供された。量が少ないのは仕方ないが、それだけでも疲れた身体に体力が戻るのを拓真は感じていた。

 食べている間の会話は、特にない。全員すっかり疲れているようで、食べ終わった者から適当な毛布や布に身を包み、眠りについていく。外から聞こえる波の打ち寄せる音が、ほどよい子守唄となっていた。

 だが、唯一素朴なベッドを寝床として与えられたロザリンは、なかなか眠りにつけずにいた。


(……忘れたいのに)


 薄い毛布の下で、拳をぐっと握る。爪が食い込むほど握っても、ある感触が全く抜けなかった。

 剣で、ガルトールの心臓を貫いた感触が。


「……だめだわ、眠れない」


 起き上がったロザリンは、出来る限り音を立てないよう、鍛冶場を出る。

 夜も深い時間、海は少し波立っていた。髪をいたずらになびかせるほどの風が吹く海岸は、ロザリンの身体を冷やしていく。だがその冷たさが、嫌な感触を麻痺させてくれている気がした。


「……あれ?」


 海と砂の狭間に、立つ人影が見えた。良く知っているその人影は振りむくことがなかったので、ロザリンは歩み寄っていった。


「タクマ、どうしたの?」


 声をかけて、ようやくその人は振り向いた。


「ああ、ロザリン……そっちこそ、どうしたんだ?」

「私は、なんだか眠れなくて……もしかして、タクマも?」

「まあ……そんなところだな」


 二人は並んで海を見る。夜の空と同じ色をした海は深くて、見つめているとそのまま吸い込まれてしまいそうだった。

 少しの間、黙って海を見つめていた二人だったが、拓真から口を開いた。


「あのさ……俺、どうしてこの世界に転生したのか、わからないって話していただろ?」

「そうね。とても悩んでいるようだったけど……なにかわかったの?」

「ああ。俺は、エルヴァントの支配者……アキヒトを倒すために、ウェルファーナに呼ばれたらしい」


 海を見つめる拓真の目は、とても真っすぐだった。だが言葉にはし難い何かを感じ取り、ロザリンは思わず拓真に触れようと手を伸ばす。


「アキヒトは……俺の両親の、仇なんだ」


 その言葉に、ロザリンは息を飲んだ。拓真がまだこの世界に来たばかりの頃、両親は早々に亡くなったと、ロザリンは聞いていた。それがまさか、誰かに殺されてのことだとは思わなかったのだ。想定外の言葉に慰めの言葉も出ず、ロザリンはただ拓真の言葉に耳を傾ける他なかった。


「俺はあいつを倒さなくちゃいけない。この世界のためにも、あいつは好きにさせちゃいけないんだ。ガリオン家だって……きっと、あいつと出会ってなかったら、こうはなっていなかったと思う」


 その言葉には、ロザリンも頷いた。オーマも言っていた。アキヒトと出会ってから、ガルトールは変わってしまったと。


「だから、俺はアダルテに戻らず……このまま、エルヴァントへ向かおうと思う」

「……えっ⁉」


 さらに想定外の言葉が出て、ロザリンは声を上げた。それでも拓真は、自身の言葉を連ねていく。


「俺は自分のスペシャルスキルも得た。コウテツに打ってもらった刀もある。戦い方も……だいぶ理解してきた。一度は負けたけど、次は必ず……」

「ちょ、ちょっと待ってタクマ!」


 ロザリンは、拓真の肩を掴んで、自分へと振り向かせた。拓真は少し驚いてはいるものの、困ったように微笑んだ。


「大丈夫だ、死ぬつもりはない。ちゃんと見極めて戦うつもりだし……」

「そうじゃなくて……どうして一人で戦うつもりをしているの⁉」


 ロザリンの言葉に、拓真は面食らったようで目を丸くさせた。


「どうしてって……それが俺のやるべきことなんだ。前の世界ではじいさんとの約束も果たせずに死んだからな。この世界に転生した意味があるのなら、やり遂げたいんだ」

「だからって、一人で戦う理由にはならないわ! あなたは確かに役目を与えられた転生者かもしれない。じゃあ、あなたの目の前にいる私はなに⁉」

「なにって……ロザリンは、ロザリンだろ?」

「そうよ! 私は、ロザリン・ライトフィールズ! あなたの仲間じゃないの⁉」


 仲間。その言葉に、拓真はぽかんと口を開けてしまった。

 ロザリンは勢いで話した呼吸を整え、改めてしっかりと拓真の目を見る。


「あなたが支配者……アキヒトを倒したいと思うのと同じように、私も倒さなくてはいけないと思っているわ。ガルトール公の命をこの手で、奪う前から……」


 拓真は、ロザリンの手が震えていることに気付いた。ロザリンは、奪いたくて奪ったわけではない。だが、あの場では命を絶たなくてはならなかった。その役割を担わせてしまったことに、拓真は今さらながらに罪悪感を覚えた。


「あなたの言う通り、アキヒトがいなければガリオン家の未来は、もう少し違っていたかもしれない。メファールの村だって、滅びることはなかったかもしれない。でも、こうなってしまった以上……踏ん切りをつけて、同じ道を辿ることのないようにしないといけない。そうでしょう?」


 ロザリンの瞳には、涙が浮かんでいる。


「誰かの父親の命を奪うなんて……もう、誰にもさせてはいけないわ」

「……そうだな……本当にその通りだ。すまない、ロザリン……」


 その優しい声色に、ロザリンは一歩前に進む。そこから先には進めない。進まなくていいのだ。拓真の胸が、そこにあるのだから。


「……エルヴァントには、いずれ行かなくちゃいけない。でも、一人で行くのはやめにするよ」

「そうして……私はもう、エルヴァントに誰かを送り出したくないもの……」


 それは、帰ってこないロザリンの父親のことを指しているのだろう。震えるロザリンを抱きしめ、拓真は優しく背中を擦ってやった。


「俺と一緒に、戦ってくれるのか?」

「当たり前じゃない。私たちは……仲間でしょう」

「……ありがとう、ロザリン」


 ロザリンの腕も、するりと拓真の背に回る。お互いに強く抱きしめ合い、その温かさに居心地の良さを覚えた。

 いつの間にか風は止み、海は穏やかに揺れるだけとなった。

ほんのひと時の安らぎは、波の音と共に過ぎ去っていく。

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