太陽が時折顔を見せる程度の曇り空から、一日が始まった。朝食に、とコウテツが用意してくれたのはここらで拾った貝を焼いたもの。肉厚な貝の身は淡泊な味だったので、醤油が欲しくなった拓真だったが、何も言わずに胃の中に収めていった。
「考えたんだけど……まずは、メファールの村を目指すのはどうかしら」
食事を終え、ロザリンが口を開く。その案に、拓真は首を傾げた。
「なんでメファールの村に?」
「ここから一番近い村が、メファールの村なの。そこまで行けたら、まだ傭兵ギルドの誰かが残っているかもしれないし……運がよかったら、一緒にアダルテまで戻ることもできると思って」
「もし誰もいなかったら?」
「他にも近隣に村があるはずだから、そっちへ行って休息と物資補給をしながら、アダルテへ向かいましょう」
「わかった。俺とロザリンはそうするとして……コウテツとオーマくんはどうする?」
拓真が訊ねると、コウテツは自身の鍛冶道具を詰めた鞄を背中に背負い、旅立つ準備が万端の姿を見せた。
「ワシはついていくぞ! 船が一隻もなけりゃ、諸島に帰ることもできやせん。まあ、あったとしてもワシは船の操縦はできないからな、どっちにしろお前さんたちについていくしかなさそうだ」
「そうか、そういえば攫われてきていたんだっけな……アダルテまで帰ったら、ミルフェムトに相談してみよう」
コウテツの言葉に頷いたところで、オーマは拓真の目の前に跪いた。
「ぼくも一緒に連れて行ってください。エリオット兄様ほどではありませんが、ぼくも剣の心得はあります」
「おいおい、そんなかしこまらないでくれよ……よろしくな、オーマくん」
「はい! よろしくお願いします!」
優しい微笑みを見せるオーマに、本当にあのエリオットと兄弟なのかと、拓真は改めて疑った。そして、彼がどうしているのかも気にしていると、オーマが察して声をかける。
「兄様は、ぼくたちとは違う道を歩むことを決めたようです。残念ながらここでお別れになりますが……またいずれ、タクマさんの敵として姿を現すかもしれません」
「そうか……いや、一緒に来たところで、結局は敵として連れ帰るしかないからな」
もしアキヒトがいなければ、エリオットとも仲間として隣に立っていたのだろうか。一瞬そう考えて、すぐにやめた。そうはならなかった、それだけが事実なのだ。
「それじゃあ、行きましょうか。今日はたくさん歩くから、気合いを入れて行かないとね!」
二人の会話が終わると、ロザリンは片手を掲げ、元気よく言った。
愛想も良く、誰よりも明るく振る舞い、先頭を行くロザリン。コウテツもオーマも、そんなロザリンの後ろを足取り軽くついていった。拓真もこの世界に転生したばかりで何もわからなかった頃、ロザリンの底抜けの明るさに救われたものだった。今はきっと、父を失ったオーマも、故郷に帰れないままのコウテツも、ロザリンに救われていることだろう。
(護らないといけないな……みんなのためにも)
昨夜のように、苦しい顔をさせてはいけない。重荷を背負わせてもいけない。
誰にも言わない決意を新たに秘め、拓真も三人の後を追う。
その背を、雲の隙間から覗いた陽の光が照らしていた。
少し時間は遡り、夜明け前。エリオットは、鳥の羽ばたく音で目が覚めた。
「……チッ。こんなところで寝こけるなんてな……」
ここ最近は怒涛の日々が続いたので、疲労も溜まっていたのだろう。まさか父の遺体の目の前で座ったまま眠ってしまうとは、思ってもみなかったのだ。
「……あ?」
ところが、エリオットは自身の目を疑った。目の前にあったはずの、父ガルトールの遺体が無くなっていたのだ。
そのまま視線を上げると、ガルトールの下半身の役割を担っていた肉塊の目の前に、ジタバタと暴れる鳥の首を掴んで立っている男の姿があった。
エリオットの目を覚まさせる要因となった鳥の羽ばたきは、苦しみに藻掻く音だったのだ。海辺を飛ぶ種類より一回りほど大きな鳥ではあったが、男が掴む鳥の首は今にもへし折れてしまいそうだった。
「まったく、人の肉をついばむとは……」
男は、そう呟いてから鳥の頭を口元へと持っていったようだった。それから、折れる音、砕ける音が続き、鳥は完全に動かなくなった。
エリオットの背に、嫌な汗が流れる。信じたくない光景だったが、そう呼びかけるしかなかった。
「……親父、なのか……?」
その声に反応し、男は少しだけ振り返る。見えた片目は、白目部分が黒いインクで塗りつぶされたようで、眼光だけは真っ白だった。
「くそっ……やっぱり、首を落とすべきっ……ぐあっ!」
エリオットが立ち上がり、大剣を取り出す前にガルトールは触手を伸ばす。それはガルトールの手の平から伸びているもので、即座にエリオットを捕らえた。ガルトールの目の前へと引っ張られ、エリオットは触手に捕まったまま、直立した状態で宙に拘束される。
「てめっ……離せ! クソが!」
ガルトールは、自分の身体と伸びる触手を見て、興味深そうに頷いていた。一本だけ触手を新しく伸ばし、それでエリオットの頬を撫でると、ガルトールは喉の奥で笑った。
「存外に、面白い力だ……莫大な魔力に馴染むと、身体を自在に操れるようになるとは……」
「あぁ……⁉ 馴染んだ、だと……⁉」
頬を撫でた触手は、そのままエリオットの首へと巻かれる。その感触にゾっとしつつも、視線を下ろしたエリオットの目に映ったのは、多数の触手によって再生しつつあるガルトールの足だった。
「お前たちが人間の私を殺してくれたおかげでな……ようやくアキヒト様から授かった魔力に、順応することができたんだ……」
「……ハッ。正真正銘、怪物……いや、魔獣にでもなっちまったのかよ。人間を辞めないと力を手に入れられないなんて、カスすぎるな」
エリオットがそう言うと、首に巻き付く触手が力を込めた。
「ぐっ……かはっ……!」
自然と足がバタつくが、触手がそれを許さない。エリオットの顔色が少し変わると、ようやく首を絞めていた触手は力を弱めた。
「がっ……げほっ……」
「ふん、父親に向かってひどい言葉遣いだ。私の教えから逃げ、傭兵なんぞに剣を教わるから、そうなる」
そう言われたことが腹立たしかったのか、エリオットはガルトールをキッと睨みつけた。
「てめぇの教え方より……よっぽど上手かったぞ……」
「それは私の教えを理解できない、お前の出来が悪いからだ。生まれた時からガリオン家の長男には相応しくない男だったよ、お前は。まあ、しかし……」
ガルトールは、匂いを嗅ぐように鼻を鳴らす。そしてご馳走を目の前にしたような、恍惚とした表情を見せ、囁いた。
「お前の力は、とても良いものだ……」
人間ではない笑みを向けられ、エリオットは思わず身体を逸らした。後ずさりができない状態なので、そうするしかできなかったのだが、無駄な抵抗に終わった。
「がああああっ!」
右肩を、牙に貫かれる。ガルトールがエリオットに嚙みついたのだ。
「てめえっ……! ふざけ、んなっ……!」
「う、美味い……! これなら、ガリオン家の名を守れる……! 我々は騎士だと、大勢に認めさせることができる……!」
エリオットの声など聞こえていないかのように、ガルトールはエリオットの肩にかぶりつく。あまりの痛みに、エリオットは何度も雄叫びのような悲鳴をあげる。
「あああああっ! が、ああぁぁあっ!」
それでもかまわず、ガルトールは息子の身体を噛み、肉を引きちぎる。血を飲み、その味に唇を舐め、不気味に微笑んだ。
「ああ、エリオット……すっかり大きくなったな……こんなに、素晴らしい……力を身に着けて……」
「クソ、が……! 殺すっ……! やっぱり、てめぇはっ……クソ野郎だっ……! 何が父親だ、ほざきやがって……!」
「すまなかったなあ、今まで蔑ろにして……だが、安心しろ……これからは父親として、お前の力を使ってやろう……」
ガルトールは、怪物だった時と同じように顎を外した。大きく開かれた口が、エリオットの眼前に広がる。見えるのは、自分の血肉がへばりついた、幾百もの牙だった。
自分がどうなるのかを悟り、エリオットは奥歯を噛み締める。
「喜べ……私たちはようやく、本当の家族になるんだ」
「このっ……クソ野郎があああああっ!」
生暖かい空気に包まれ、一人の青年の火が消えた。
――それから、夜が明けた。風に押されて流れる雲の間から差し込む光に、ようやくガルトールは気がついた。
「今日は曇りか……まあ、良い。風も程よく吹いて……気分が良い……」
口元の赤を拭い、ガルトールは瓦礫を登る。館の屋根に出たガルトールは、思いっきり空気を吸い込み、満足げに吐いた。
「さて……アキヒト様と同じ黒い髪の男……奴は、殺しておかねばならんな」
ガルトールは下を覗き込み、先ほど自分が食した鳥の死体を触手で引き上げた。その手の中に鳥の死体を収めると、魔力を込めだす。すると、鳥の頭が少しずつ形を成し、やがて再生した。ドロドロに溶けた肉からは、骨が時折見え隠れする。動きだした鳥は、喉に何かが引っかかっているような汚い鳴き声を上げながら、空へと飛び立った。
「準備を整え次第、追うとしよう……それがアキヒト様に認められた騎士である、私の務め……」
魔獣と化した鳥を見て、ガルトールは笑う。その邪悪な声を聞く者は、もういない。