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―第七十一章 闇―

「うおおおあああああああ!」


 オークスの野太い雄叫びが響き渡る。瓦礫は完全に地面に落ち、氷を割りながらもその身を砕いていた。その下にいるはずのミルフェムトの姿は、何も見えない。

 全身の血が引いていく、というのは今のような感触を言うのだろうと、拓真はどこか遠くから思っていた。指の先が冷たくなる。肩の力が抜け、口を閉じていることすらままならない。


「嘘だ……」


 拓真は、ミルフェムトの強さを知っている。一度剣を合わせた時に、スペシャルスキルである剣豪憑依を無意識に発動していながらも、勝てなかった相手だ。ましてや、その後にミルフェムト自身はスペシャルスキルを使用していなかったというのだから、驚きだ。

 魔法で剣を操り、自在に空を歩く。そんなミルフェムトが、落ちた。


「あれ。遅かったねえ」


 呆然と立ち尽くす拓真に声をかけたのは、穏やかに笑みを浮かべる、倒さなくてはならない男だった。


           *   *   *


 拓真は闇にいた。どこかの時期に、力に目覚める際に訪れる暗闇だ。しかし、今回はいつもと違い、一筋の光も許さないような深い闇に居ると、拓真は自覚していた。

 少し歩いた先に、刀が一つ、地面に突き刺さっていた。柄は天を向いており、まるで握れと訴えているかのようだ。

 拓真は一歩、下がった。もう一歩、また一歩とそのまま下がり続けていると、誰かにぶつかって足が止まった。振り向くと、闇の中で顔は見えないが、逞しくも粗野な男が立っていた。


「取らねえのか?」


 男が言う。拓真は掠れた声で問う。


「……取っていいのか?」


 男は、喉の深いところで低く笑った。


「ああ。お前さんが望んだから、おれはここにいるんだぜ」


 それは、言われずともわかっていた。

 心の底に湧き上がる、暗い感情。見て見ぬふりをしても、だんだんと大きくなってきていた、蝕んでくる黒い影。

 気付けば、拓真の目の前にその刀はあった。


「お前はよく耐えたよ。今こそ、その欲求を開放するべきなんじゃねえのか?」


 男は拓真の肩に手を置き、ゆっくりと耳へ唇を近づけ、囁いた。


「人を殺したくない? 人を斬りたくない? そんな甘え考えは、もう通用しないところにまで来ているんだよ。わかってんだろ? あいつは、斬らないとだめだ」


 男がそっと指を差す方向には、倒すべき男の姿がある。ちらりと振り向いたその男は、余裕をもって微笑んでいた。


「でも……本当に……いいのか?」

「いいさ。あいつは意味もなく殺している。だがお前は正義のために殺す。それのなにがだめなんだ?」


 男は拓真の前に出て、少しだけ先を歩く。振り向いた男は、ニヤリと笑った。


「取れ。おれの力を、おれの刀を。おれの剣の道は、敵を斬るためにある」


 男が刀を差しだす。それは、地面に刺さっていたものだ。

 拓真は、何もわからなくなっていた。とにかく今は、アキヒトを斬りたい。斬らなくてはならない。それだけが、拓真の思考を支配していた。


「俺は……これであいつを……倒せるんだな……」

「ああ、倒せるとも。倒してみせろ。いいや、こう言った方がいいか」


 拓真は、男の刀を、男の手を取った。自らの手で、斬るための剣を手に入れたのだ。


「殺してみろ。このおれ、宮本武蔵の剣で」


           *   *   *


「おーい、聞いてる? だいじょーぶ?」


 アキヒトは、拓真に向かって手を振っていた。拓真がその場に立ち尽くし、俯いてしまったからだ。

 動かない玩具はつまらない。アキヒトはミルフェムトに撃ち込んだように、この世界にはない銃の形を手で作り、人差し指を拓真の頭に向けた。


「風魔法、“風の弾丸ウィン・レバート”」


 一つだけ、拓真に向けて放つ。それが頭を貫くという直前、拓真はふらりと身体を横に倒した。


「……?」


 アキヒトは首を傾げる。偶然避けられたにしては自然で、狙って避けたのなら違和感しかなかったのだ。


「なんかした?」


 アキヒトの問いかけに、拓真は応えない。力が抜け、ふらふらと具合が悪そうに揺らめいている。


「!」


 アキヒトは、警戒を解かずに観察していたおかげで、その場から飛び退けることができた。先ほどまでいた場所には、拓真が刀を振り下ろしていたのだ。

 オークスは自身の目を疑った。拓真が、まるで瞬間移動をしたかのような動きをしたのだから。


「……ねえ、喋れなくなったの?」


 アキヒトの声に、やはり拓真は応えない。だが、目は確実にアキヒトを捉えている。

 その奥に見えるのは、闇。あまりにも底の見えない暗さに、思わず全身を震わせたのはアキヒトだった。


「どうしちゃったの? ねえ、急にさ、どうしちゃったのさ!」


 炎の柱を放ち、土の波を作り出し、拓真へと攻撃を繰り出すも、それらは全て刀によって薙ぎ払われた。拓真は魔法を見てはいない。自然とその手が、魔法を掻き消しているようだった。


「そんな目ができるなら、やっぱり仲間に欲しいなあ。今の君は、僕が欲しい……」

「黙れ」


 脱力したまま、拓真は下から抉り取るように刀を振るった。虚しくも空を切り、アキヒトには届かなかったが、斬られた前髪が僅かに落ちていく。刃が届いている、確かな証拠だ。

 得体のしれない状態の拓真から距離を取るため、アキヒトはあえて天井付近へと飛んだ。魔法を使えるおかげでアキヒトは高度を保てるが、拓真にここまで飛び上がる能力はないはずと踏んでの行動だった。

 だが、次の瞬間、拓真はアキヒトの目の前までやってきた。


「殺す」


その刀を足元から天に駆けて振り上げ、両手でしっかりと柄を握る。刃の方向をアキヒトへと向け直し、拓真は静かに言った。


「宮本武蔵伝授、“一輪 地之巻”」


 直後、アキヒトを襲った一太刀は大地のように重く、その身体は地面へと叩き落とされるのだった。

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