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―第七十五章 別れ―

 ただ、ただただ真っすぐに、その刀は振り下ろされた。

 さながら、古い時代に存在したという断頭台の刃のように。迷いもなく、悪しき男の首を落とすためだけに、振るわれた。

 凄まじい衝撃が起き、辺り一面に土埃が舞い上がった。もはやここが女王の間だったとは思えないほど天井も壁も崩落し、瓦礫の山となっている。

 そんな中でも、オークスのスペシャルスキルである“絶対防壁”は自身と主君の身を守り続けていた。一切の衝撃をも通さない黄金色の半球体の中で、二人は土煙が晴れるのを待つ。

 やがて、土煙は落ち着き、代わりに城下町から立ち込める黒煙が姿を見せ始めた。黒煙を背景に、二人の男が姿を現す。


「……」


 拓真も、アキヒトも、両者共に立っていた。違う点を挙げるとすれば、アキヒトの左腕は肘から下が落ちている。とめどなく血が溢れる腕の切り口を見て、アキヒトは呟いた。


「……いたい」


 その顔は微笑んでいるものの、少しずつ痛みに歪められていく。そして膝をつくと、左腕を抱えて大声を上げた。


「いたいいたいいたいいたいいたいいたいぃぃぃ!」


 これまで余裕ばかりを見せていたアキヒトが、ついにその表情を崩した。痛みを訴え、両目から涙を流し、地面に転がり始める。


「うわあああああ! 痛いよおおお! 血が出てる! ぎゃああああ!」


 あまりの変貌ぶりに、“絶対防壁”の中から見ていたオークスとミルフェムトは、呆然としていた。


「な、なんだ……突然、子どものように泣き出して……」

「わかりません……やたら大袈裟なせいか、妙に不気味ですね……」


 アキヒトの絶叫が響き渡る中、拓真だけは静かに刀を構え直していた。転げまわっていたアキヒトは不意に身体を丸め、すすり泣き始めた。


「ああ、痛い……痛いなあ……嫌だ……痛いのは、嫌だ……パパ……」


 そんな言葉を聞いても、拓真は刀を振りかざすのをやめない。

 ミルフェムトは言った。王都からこの男を出すわけにはいかないと。ミルフェムトが動けない今、アキヒトの命を絶てるのは拓真だけだ。

 アキヒトは拓真が迫っていても、逃げる気配はなかった。


「いたい……いたいよお……パパ……パパぁ……」

「うるせえな」


 刀を握る拓真の手に、無駄に力が入る。


「俺の父さんと母さんは、もっといたかった」


 そして、刀が振り下ろされたその瞬間。



「パパ! 約束したよね!」



 アキヒトが叫んだ。

 拓真は何かを感じ、その場から退く。次の瞬間、拓真の立っていた場所に斬撃が飛んでくるのが見えた。


「……あんたは」


 退いた拓真が、疑問を投げかけるように目を細める。

 アキヒトを守るように立つ、下半身が馬の形になっている半獣の男。彼はほんの少し前に、拓真に民をドルミナの町へ逃がせと助言してきた男だった。

 半獣の男と対峙する拓真だったが、男は武器に手をかけることもせず、戦う気はなさそうだ。代わりに、男の視線がちらりとアキヒトへと動く。それを見て、拓真は次に男が何をするのか察した。


「まて!」

「……ごめんね」


 男は悲し気に眉根を下げると、アキヒトを抱え、凄まじい脚力を持ってその場から跳躍し、去っていった。拓真に攻撃の隙を許すことなく。

 瞬く間に去っていった男の後を見て、拓真は唇を噛み締めながら膝をつく。


「くそっ……くそおおおおっ!」


 何度も地面を殴る。拳に血が滲んでも、なおのこと殴る。

 あまりにも不甲斐ない。あまりにも情けない。またも拓真は、アキヒトを仕留めそこなったのだ。


「ころす……ころす、殺す、殺す!」


 だが、今の拓真はいつまでも悔やんでいられないと、理解していた。刀を握り直し、立ち上がって踵を返す。城を降りて、彼らが去っていった方角へ行けば、エルヴァントへ着くはず。もうここまできては、本拠地に乗り込むしかないと、完全に頭が茹だっていた。


「タクマ・イトー」


 そんな拓真に、オークスが静かに声をかける。


「悪い、あとにしてくれ」


 そう言って立ち去ろうとしたが、オークスの方を見て、拓真は足を止めた。

 絶対防壁を崩したオークスの腕の中で、ミルフェムトが力無く抱えられていたのだ。


「……ミルフェムト」


 少しだけ、頭が冷える。拓真はオークスへ歩み寄り、そっとその隣に膝をついた。ミルフェムトはまだ呼吸があるようだったが、もう長くないことはわかりきっていた。


「すまないな、タクマ……あまり、役に立てず……」


 そう言うミルフェムトに、拓真は首を横に振る。


「俺の方こそ……すまん。何も、できなかった」

「そんなことは、ない……今まで傷一つ、負わせられなかったのが、腕を落としたんだぞ……この功績は、大きいさ……」


 声はすっかり細くなってしまったが、威厳は女王のままだ。

 なんと声をかければいいかわからなくなった拓真に、ミルフェムトは残った左手を伸ばし、傷ついた頬に触れた。じんわりと温かくなったかと思うと、拓真の頬の傷は癒えていく。


「……ありがとう」

「ふ……女王である私が自ら、癒してやったんだ。誇るといい」


 拓真の頬に触れていたミルフェムトの手が、力が抜けて地面に叩きつけられる。その衝撃で左手が割れてしまい、ミルフェムトはため息をついた。


「奴がこの場を離れ……緊張の糸が、解けてしまい、この様だ。情けない女王、だろう……」

「いいや……限界を超えて、頑張ってくれたんだろ」

「……ああ。私は、この王都を守る女王、だからな……」


 乾いた音がして、何かが割れ行く音がする。見てみると、残ったミルフェムトの結晶化した身体が、少しずつひび割れてきていた。


「ミルフェムト……いろいろと助けてくれて、ありがとう」


 終わりを悟り、拓真は静かに言う。ミルフェムトの表情は、もう変わらない。


「助けられていたのは、私たちのほうだ。世話に、なったな……。ありがとう、道端の……いいや、タクマ・イトー」


 ミルフェムトの言葉に、拓真は僅かに微笑んだ。だがすぐに笑みは消え、拓真は立ち上がる。


「俺が必ずあいつを倒す。だから、安心してくれ」

「ああ、わかっているとも。頼んだぞ……。それと……もう一つ、頼まれてくれないか」

「……ああ、なんだ?」

「少しだけ……オークスと、二人にしてくれないか」


 拓真は、オークスを見やる。オークスは強張った表情をしていたが、拓真を見て懇願するように頷いた。


「……わかった。下で待ってる」


 素直に願いを聞き入れ、拓真はその場から去っていった。




 崩れ行く城に、女王と騎士団長、二人。ミルフェムトは、力無く呟いた。


「オークス……私を、玉座へ」


 何も答えず、オークスは女王の命令に従った。

 普段ならミルフェムトが座っている位置に行き、オークスは倒れている玉座を起こした。瓦礫の破片や土埃を払い、自らのマントを破って玉座の上に敷き、その上にミルフェムトの身体を置く。

 そして、オークスはミルフェムトの前に跪いた。


「ミルフェムト様、ご命令を」


 オークスの肩と声が、震えている。だが、その瞳は仕えるべき主へと向けられていた。

 ミルフェムトの身体が、また一段とひび割れていく。少しだけ呼吸音が続いた後、ミルフェムトは言い放った。


「オークス・ライド。今日を以て、貴殿の王都騎士団団長、並びに剣術協会副会長の任を解く。……今から、お前が剣術協会会長だ」

「……拝命、いたしました」


 従うほかないのだ。オークスは深々と頭を下げ、ミルフェムトの言葉を賜った。


「タクマが奴を倒しても……残された脅威は、まだまだあるだろう……。それを打ち払う、のは……お前が率いる、剣術協会だ……」

「……承知しております」

「すまない、な……本当なら、お前と……もっと共に、在りたかったが……」


 ミルフェムトの身体に入る亀裂は、大きくなってくる。オークスは目を背けたくても、背けられない。


「……私の、我儘に……付き合ってくれて、ありがとう……。私が、救った命だ……どうか、長く……お前だけでも、長く……」


 ついに、ミルフェムトの頬にひびが入った。


「ミルフェムト様……お、俺は、一日でも早く、あなたのお傍に……」

「オー、クス……」


 遮るように言ったミルフェムトの表情が、少しだけ動く。結晶体とは思えないほど柔らかく、自然に。


「王都、を……まか……せた、ぞ」




 女王は、眠りについた。永遠に目覚めない結晶体は、命のきらめきを失ってだんだんとくすんでいく。

 オークスは、割れてしまって何もない左腕を手に取った。少しでも力を入れてしまえば割れそうな結晶体の手首を持ち、そこへそっと口付けを落とす。


「ミルフェムト様……あなたのご命令に従いましょう。あなたに救っていただいた、この命が果てるまで」


 黒煙が立ち込め、城が地鳴りを上げている。あれだけ戦闘の衝撃を受け続けていたのだ。まもなく崩壊するだろうと、オークスは立ち上がる。

 女王の間を出て、もう一度だけ玉座を見る。王都に残る女王に向けて敬礼をすると、愛する人を失った男は、前へ向かって歩むのだった。

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