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―第七十七章 痛みの記憶―

 大きくてふかふかなクッション。柔らかな毛布。きらびやかな包装紙に包まれた甘い菓子。

 それらが散乱する部屋の奥で、アキヒトは切り落とされた左腕を抱えながら眠りについていた。




 古い古い、忌まわしい記憶。アキヒトは、少年時代の自分を見つめていた。


『なんでこんな点数を取ってきたんだ!』 


 酒瓶で殴られ、少年のアキヒトは顔面が腫れている。頭を殴られ過ぎて、視点は合っていなかった。割れた酒瓶のせいで左腕には大きな切り傷が出来てしまっているが、誰も心配などしてくれない。

 父は酒が入ると、いつも以上に暴れる人だった。母も止めはせず、父に加担してアキヒトを殴っては蹴り、ひどい言葉の数々を投げかけるような人だった。


『本当、こんなんじゃ中学受験なんてできないよ! 山中さんのところは余裕で受かるくらいだってのに、この出来損ない!』

「ごべんなだい、ごめ、なだい」

『なに言ってんのかわかんねえよ! 親を馬鹿にしてんのか! あぁ⁉』


 激しく繰り返される暴力。防ごうとすると余計に逆上させるので、黙って受け入れるしかなかった。泣き声を上げると面倒になるからと、痛みに声を上げることも許されなかった。

 隙間風の入りこむ古い家屋なのに、どうして誰もこの音を聞いて助けにきてくれないのか。少年のアキヒトは、助けてくれない世間を恨んだ。

 なにより許せなかったのは、周りの人々から向けられる哀れみの目。よく聞こえてきた言葉は、とても冷たいものだった。



『かわいそうに』



(ああ、僕って可哀想なんだ)


 己が哀れまれていると理解したアキヒトは、同じような子どもを探した。だが、目に映る子どもはみな親に愛され、幸せそうに笑っている。心の底から笑えず、その場を取り繕う笑みしか浮かべられないアキヒトは、自分以外の子どもを羨み、そして呪った。

 自分だって、父と母に、愛されたかった。



(なんで僕だけが可哀想なんだろう)



 親からの暴力に屈したまま、アキヒトは成長した。高校には通わせてもらえなかった。両親はアキヒトが良い大学に行き、良い仕事に就くことを願っていたようだが、そんなことは到底叶えられそうになかった。

 ならばここまで育てた金を返せと、両親はアキヒトに働くことを強要した。そしてアキヒトが得た労働の対価は、家に入れなければならなかった。そうしなければ、アキヒトに暴力を振るうからだ。もう十分に抵抗できる体躯も力もあったはずなのに、アキヒトはどうしても両親に逆らうことができなかった。

 成人のお祝いもされず、ただただ両親のサンドバックとして生きていた、そんなある日。アキヒトは、とあるニュースを目にした。ある殺人事件の話だ。被害者の男女には子どもがいた。子どもだけが取り残されたという悲劇の話題に、人々は口々に言ったのだ。



『かわいそうに』



 それを聞いて、アキヒトは気付いた。


(そっか。そうすればよかったんだ)


 可哀想な子どもがいないのなら、可哀想な子どもを作ればいい。

 そう考えたら身体が熱く滾り、衝動のままに動いていた。


(やっと僕にも、仲間ができる! 可哀想なのは、僕だけじゃない!)


 だが現実は、アキヒトを許さなかった。

 幾人もの『仲間』を作ったあと、大量殺人犯としてアキヒトは確保された。ある団地で殺人を犯した後、すれ違った夫婦の証言で足が付き、逮捕されたのだ。





「……いたい」


 左腕の切り口が熱く、アキヒトはうっすらと瞳を開いた。忌々しい記憶に蓋をし、ゆっくりと身体を起こしたところへ、ちょうど半獣の男がやってくる。


「気分はどうかな」


 あまりそう思っていないような声色で、半獣の男は問う。


「……良くはないかな」

「そうだろうね。顔色がそう訴えているよ」


 アキヒトは半獣の男を見上げると、子どもが抱きしめることを強請ねだるように、両手を広げた。半獣の男は真顔で馬の足を折りたたみ、アキヒトの求めに応じた。


「パパ……痛いよ……」

「だけど、治らないんだろう?」

「うん……彼の魔法を絶つ力が強すぎて、もう腕は治せないってさ。あはは、僕の身体に流れる魔力が強すぎるから」


 半獣の男は、アキヒトの背を慰めるように、優しく叩いた。


「腕がなくとも……君は十分戦えるだろう」

「そうだよ。さすがパパ、良く知っているね」


 苦々しい表情で、半獣の男はアキヒトを離した。アキヒトは、どこか満足げな表情を浮かべている。

 半獣の男にとって、アキヒトはひどく歪んだ存在だった。自分と同じくらい、下手すれば年上の男であるはずなのに、その精神性はひどく幼い。現に、本来の親子関係ではないのにも関わらず、父と呼んで甘えてくる。

 しかし、時にアキヒトは半獣の男を従える者として、冷酷な顔を見せる。


「それにしても、助けに来るのが少し遅かったよね」


 眼差しが、変わった。先ほどまで甘えていた男は、打って変わり支配者の顔になる。溢れ出る魔力の圧に、半獣の男は首を垂れる他なかった。


「……機を、狙っていた」

「いくらでもあったでしょ」

「君と彼の間に入るのは……勇気が必要だった」

「嘘はやめてくれない? 彼が僕を殺せるかもって、期待していたんでしょ?」


 半獣の男は、沈黙を貫いた。それがとても苛立たしかったが、苛立つだけ無駄だと、アキヒトは思う。


「それでも王都認定騎士なの? まあ、今は違うけど」


 ふ、と身体にかかる圧が消え、半獣の男は顔を上げた。アキヒトは哀れみの目で、男を見つめていた。


「まあ、でも、そうだよね。あの時の彼……すごかったもんね。あはは。僕の仲間と呼ぶに相応しい顔をしていたよ」


 ふと、アキヒトはどこかを見た。方角で言えば、王都アダルテがある方向だ。


「……ねえ、きっと彼はここに来るよ。僕を殺しに。だからさ、おもてなしをしてあげないと」


 立ち上がり、半獣の男は指示を聞く姿勢を示す。アキヒトは指揮棒を振るように、右手を上げた。


「魔獣を率いて、入り口で彼を出迎えてあげて。半殺しくらいまでなら許可するよ。できなくてもいいよ。どうせ僕が最期に戦うことになるだろうからね。もし彼がお友だちを連れてきているなら、そっちは殺していいよ。優秀そうな人は残して、魔獣の材料にしてもいいかもね」


 ペラペラと喋るアキヒトは、だんだんと楽しそうに顔を綻ばせていく。あまり同意していない雰囲気ではあったが、半獣の男は頷いた。


「承知した。君は……どこへ?」

「ちょっと屋上に出てくる。お客さんが来そうな気配があるんだよね。ああ、心配しなくていいから。それじゃあ、頼むよパパ。いや……」


 アキヒトは、半獣の男とすれ違いざまに、その肩を叩いた。


「アドルフ・ライトフィールズさん」


 アキヒトが部屋を出ていき、扉が重たく閉じる。

 半獣の男は瞳を閉じ、己のこれからの行いにうなだれるだけだった。

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