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―七十九章 道標―

 いつか、ランディが言っていたことを、拓真は思い出していた。

 時代は今、混沌が訪れようとしている。

 その言葉を表すかのように、拓真の頭上は、重苦しい黒い雲に覆われていた。


「……」


 空を一瞬だけ見やり、拓真はすぐ前へと目を向ける。

 王都から歩いて、どのくらい時間が経ったのだろうか。雲のせいもあって、少し前から辺りはだいぶ暗くなってきていた。もう日は沈んでいるものだと思われる。

 それでも、討つべき敵のいる先へと歩みを止めない。隣の大陸とは聞いているが、どうやって渡るかは考えていない。考えるよりも先に、憎悪が拓真を突き動かしていた。


「……ん?」


 暗い視界の奥で、ぼんやりと灯りが見えた。それは、町の灯りではない。


「襲われているのか……」


 火の手が上がっている。馬の嘶きと共に、人々の騒ぐ声が聞こえた。気付けば拓真は、走り出していた。


「いやー! やめてください! やめてえええ!」

「うるせえ、おとなしくしろ! もう王都は落ちたんだ、お前らを助けに来る奴なんざいねえんだよ!」


 町に入り込み、拓真はそっと様子を伺った。どうやらエルヴァントからやってきた人攫いたちが、豪快に町を襲っているようだった。抵抗した者たちは殺され、女は当然のように連れていかれている。いつかも見た光景だったが、拓真の心は異様に凪いでいた。


「……」


 今の自分であれば、この人攫いたちから町を救うことができるだろう。どうやら魔獣は入り込んではいないようなので、相手は人間だけだ。ただの人間であれば、複数人相手取っても問題ないと感じていた。

 しかし、拓真にとって彼らは討つべき敵ではあるが、今は違う。


「あそこか」


 拓真は町の外で、あるものを探した。人攫いたちの本来の目的である、人を詰め込む馬車である。それは、とても簡単に見つけ出すことができた。


「おい、とっとと入れ! エルヴァントまで走らなきゃならねえんだぞ!」


 人攫いたちが、忙しなく馬車の中に人を詰めていく。両手両足を縄で結ばれた人々は、おとなしく従うほかない。拓真は、落ちていた町の人の羽織を肩にかけ、そっと馬車へ向かう人の列に紛れ込んだ。


「おら、早く入りやがれ!」


 間抜けなことに、人攫いは乗せる人がどんな者であるのか確認もせず、拓真を馬車へと乗せた。

馬車の中では人々がすすり泣く声で満たされており、皆が俯いている。その中で、拓真だけが静かに座っていた。


(これでエルヴァントへ行ける。あいつを殺すことができる……)


 人々と同じように膝を山にして抱え込む。静かに細く、息を殺すように吐き、拓真はただただその時を待つばかりだった。



※   ※  ※



 一方、ドルミナの村。


「ライラ・カスタルス……オルポス諸島の領主であるカスタルス家が、ロザリン嬢のご親族だったなんてね」


 ランディへ応えるように、コウテツが肩を竦めた。


「ワシも驚いたもんだ。大昔に姪がいるという話は、聞いておったがな」

「あっはっはっは! ここしばらくはそんな話もできないくらい、忙しかったからねえ」


豪快に笑うライラを前に、ロザリンは涙を拭って立ち上がった。


「叔母様、お久しぶりです。どうして、ここに……?」


「コウテツが突然竜巻と共に帰ってきた時に、聞いたんだ。王都が危険だ、ってね。アドルフの奴も、まだ行方知れずなんだろう? それでロザリンのことが心配になって、きたってわけさ」


 ライラはロザリンへ歩み寄ると、優しくその肩に手を置き、申し訳なさそうに眉根を下げた。


「すまなかったね。手紙もしばらく返せず、寂しい思いをさせて……。エルヴァントの畜生共が、やたらとちょっかいをかけてきていてね。あたしは諸島を守ることに手一杯だったんだ」

「ううん……いいの。エルヴァントがとても強大で、恐ろしい国だっていうことは、よくわかっているもの……」

「そうだろう。そしてそんな今だからこそ、あんたに渡したいものがある」


 そう言ってライラは、手に持っていた槍をロザリンへと差し出した。それを見たロザリンは、訝し気に首を傾げる。


「これは……?」

「昔、姉さんが……あんたのお母さんが、使っていた槍さ」


 ライラの言葉に、ロザリンが目を見開く。


「か、母さんが……⁉」

「そう。姉さんは身体が弱くなる前まで、カスタルス家の女としてきっちり槍を使っていた」

「でも、そんな話……聞いたことがなかったわ……」

「そりゃそうさ。姉さんは剣を使いたいっていう、あんたの意見を尊重したんだから」


 ロザリンは、胸を抑えた。心臓が、強く鼓動している。


「……聞いたことがある。カスタルス家は、一流の槍術専門の家系だって」


 ランディの言葉に、ライラは頷いた。


「それも、ずっと古くから継いできたんだ。ロザリン、なんであんたには剣の才能がないか、これでわかっただろう?」


 普通であれば、胸を突き刺すような一言だ。しかしロザリンは、ここまでで理解していた。自分に流れている血が、父と母の血が、与えてくれる力を。


「私は……もしかして……」


 震えながら伸ばされたロザリンの手に、ライラはしっかりと槍を握らせた。

 その瞬間、ロザリンは自分の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。それと同時に、不思議なことに安らぎすら覚えていたのだ。



『ロザリン……』


 不意に母の声が聞こえ、ロザリンは空を見上げた。重苦しい雲が覆う、黒い空を。


『わたしの槍で……あなたのするべきことを……やりたいことを、貫きなさい……』



「かあ、さん……」


 ロザリンの瞳から涙が零れ、頬に新しく道を作った。

 ランディはその様子を心配しつつも見守り、コウテツは頷き、ライラは不敵な笑みを携えていた。


「さあ、ロザリン。答えな。あんたは今、何がしたい?」


 落ちてきた涙を手の甲で拭うロザリンは、ライラを見つめた。

 その目は強い輝きを宿し、決意を秘めている。


「私は……タクマと共に戦いたい! あの人と共に戦って、エルヴァントの支配者を倒してみせる!」


 ロザリンは、ようやく自分のやるべきことを見つけたのだった。

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