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―八十章 卵―

 アドルフはアキヒトの指示に従い、魔獣を率いるために地下室へと向かっていた。アキヒトの住まうこの城の地下にはいわゆる実験室があり、そこで魔獣は生み出されている。

 その道中、窓から見える空を見上げた。分厚い雲は動きがあるようで、どこかへ向かって流れている。


「……嫌な空気だ」


 その言葉を肯定するかのように、空気が揺れた。


「……な、なんだ?」


 その次に足元が揺れ、アドルフは壁に手をついた。

 アキヒトが住まうのは、エルヴァントの高い山の上に位置する城だ。そこでアドルフもアキヒトのために働き、魔獣の管理を行なっている。

 地下室で魔獣を生み出す際に城が揺れることはあるが、その揺れとはどこか違う。大きくなることもなく、ひたすらに小刻みに揺れているのだ。


「一体……なにをするつもりなんだ……?」


 アドルフは、今の主がいるはずの、上層階を見つめて呟いた。




 その視線の先、エルヴァントの城の屋上部。そこではアキヒトが、客人を出迎えていた。


「いらっしゃい。久しぶりだね、女神様」


 空を見上げ、両腕を広げて歓迎の意を表すアキヒト。それを見下ろすのは、輝きを失ってしまった女神、ウェルファーナだった。


「……しばらくぶりですね。私の力を使い、世界を破滅へと向かわせている気分はいかがなものですか?」


 ウェルファーナの言葉に、アキヒトは微笑みを絶やさずに答える。


「楽しいね! 僕の仲間が各地に生まれていると思うと、気分がいい! これが幸せっていうんだね! あなたには本当に感謝しているよ!」


 本当にそう思っているのか、いないのか。あまりにも軽々しい言葉に、ウェルファーナは無表情を一切崩さない。


「でも、これがあなたの望んだことでしょう? 僕に言ったじゃない。その力で、人の敵となれって」


 アキヒトの言葉に動じることなく、ウェルファーナは受け入れた。己の罪を自覚し、輝きを失った瞳を閉じる。


「たしかに、私はあなたに託しました。この世界の人々の、敵となるようにと。それは、私がこの世界を想ってのことでした」


 再び開かれたウェルファーナの瞳には、輝きが戻ってきていた。


「争いばかりだったこの世界に共通の敵がいれば、人々は手を取り合うようになる。そんな私の考えが、浅はかだったのです」


 ウェルファーナは、手のひらをアキヒトへと向けた。アキヒトは首を傾げるが、逃げようとしてはいない。


「あなたには申し訳ないことをしました。あなたは呼び起こしては、この世界に招いてはならない魂だった。私はこの世界の神として……この世界の敵である、あなたを封じ込めます」


 そう言い放ったウェルファーナの手から、白い帯が凄まじい勢いで伸びた。それはアキヒトの身体を素早く巻き取り、動きを封じ込める。

 アキヒトは狼狽え、自身の身体を巻き取る帯とウェルファーナを交互に見やる。その表情は、だんだんと焦りに変わっていく。


「そんな! 僕は死ぬのか⁉」

「いいえ、あなたはこの世界の外側の魂。私にあなたの命を奪うことはできません。ですが、魂を永遠の時の中に封じ込めることならば可能です」

「そんなの、死ぬのと一緒じゃないか! 嫌だ! 死にたくない! せっかく楽しくなってきたんだ、僕の人生を返してくれ!」

「ごめんなさい。私の勝手で、あなたに希望を与えてしまって」


 白い帯に包まれていくアキヒトは、やがて卵のような形になっていった。もはや言葉は聞こえず、意識があるかどうかもわからない。

 ウェルファーナは地上に降り立ち、白い帯でできた卵に触れた。


「あなたに分け与え、そして奪われた魔力……返していただきますね」


 触れたところが輝くと、細かな魔法の粒子が宙に舞い、それらがウェルファーナの身体へと吸い込まれていった。

 はあ、と息を吐き、ウェルファーナは自身の身体に魔力が返ってきていることを感じた。しかし、それは一瞬のこと。すぐにウェルファーナは、膝を折ることになる。


「これはっ……⁉」


 異変に気付いたウェルファーナは、すぐにその場から離れようとした。だがアキヒトを包む白い帯が少しだけ解け、それが素早くウェルファーナの肉体に絡みついた。


「……まだ抵抗しますか!」


 ウェルファーナも負けてはいない。白い帯を魔法で切断し、宙に戻って距離を取ろうとする。しかし、無駄だった。今度は先ほどよりも多い数の白い帯がウェルファーナを捉え、卵側へと引き寄せた。


「くっ……!」


 抵抗するも、ウェルファーナはどんどん身体の力が抜けていくのを感じていた。 白い帯から力を抜き取られているのだとわかり、切断できるものは切っていくが、切っていくだけ新しい帯が飛んできて絡めとられる。

 四肢の自由を奪われると、ウェルファーナの頭の中にアキヒトの声が響いて来た。


『学習しないなあ……一度、同じことがあったよね。お仲間の精霊も連れてきたのに、僕を止められなくて、力をさらに与える羽目になったことが……』


 ウェルファーナは、身体に巻き付く白い帯が、少しずつ黒く染まっていくことに気付いた。禍々しいものを感じ取り、少しでも離れようと身体を捩るがどうしようもならない。


「どうして……あなたは弱っていた、はずなのに……」

『あなたが僕に魔力を与えてくれた時……僕は魔力を与えることと、奪うことを覚えた。あなたの魔力で包まれたなら、あとは貰い受けるだけ……』


 アキヒトを包む卵は、どす黒い色に染まっていた。ウェルファーナが近づくと、帯は裂けて細かい形になり、ゆっくりとウェルファーナを取り込んでいく。

 卵の中は何も見えず、闇が広がっている。暗く冷たいところに足先から取り込まれ、ウェルファーナは悶えることしかできない。


「おやめなさい……こんな、はずでは……」

『ありがとう、女神様。会いに来てくれて』


 ウェルファーナは腕を伸ばすが、空を掴むばかり。そして、その身体はついに卵に全て取り込まれた。




 ――それから少しして、どくん、と卵が脈打った。

 何度か脈打ってからひびが入り、それは広がって、卵は誰に見守られることもなく、割れた。


「……はあー」


 一歩を踏み出したのは、闇を具現化したような、ただただ黒い存在。全身に帯が巻き付いているのか、黒い帯が地面に流れ落ちている。

 首を左右へ揺らしても、音はならない。すでに人ならざる存在なのだと、彼は自身の両手を見た。

 一度失ったはずの腕を掲げ、その指の間から自分を中心に渦を巻く雲を見る。

 なんて気持ちがいいことか。闇は、爛々と輝く瞳を開けた。


「さて、僕の人生を続けよう」

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