(お父様がどうして――、ああ、イザベラ女王の護衛をしていたから、それに同行していたのかしら)
ミランダは突然の父親の登場に、戸惑っていた。
ソーンクラウン公爵は軍部の中枢を担っており、首都から滅多に出てこない。
今年も学園祭にソーンクラウン公爵が来るはずがないと、ミランダは諦めていた。
イザベラのチェルンスター魔法学園、来訪。
ソーンクラウン公爵はイザベラの護衛のため、たまたまミランダの様子を観に来たのだ。
「ライサンダーの話には聞いていたが、面白いことをやっているようだな」
数年ぶりの再会だというのに、ソーンクラウン公爵はミランダの様子を聞くことなく、三年A組の出店について関心を持っていた。
(面白いこと!? お父様は公爵令嬢のわたくしがメイド姿で平民に接客していることに不服なのかしら……)
ミランダはソーンクラウン公爵の発言の意図を予測していた。
上級貴族として平民の模範となるような振る舞いをしろと、ミランダは幼少期からソーンクラウン公爵に厳しく育てられた。
ソーンクラウン公爵の目には、公爵令嬢が給仕の恰好をして平民に媚びているようにみえてしまっているかもしれない。
「えっと、お父様。この姿はわたくしのクラスの催しで――」
「らしいな。ミランダ、席に案内しておくれ」
「はい!」
ミランダはおどおどとした口調で、自分の姿についてソーンクラウン公爵に説明する。
ソーンクラウン公爵は席に案内するようミランダに告げる。
ミランダはこれまでにない緊張をしつつ、ソーンクラウン公爵を空いた席に案内した。
「……」
席に座ったソーンクラウン公爵は、険しい表情でテーブルに置いてある紙を黙読している。
(昔から、お父様の考えは全然読めない)
ミランダは目の前にいるソーンクラウン公爵の考えが分からず、怯えていた。
兄のライサンダーもそうだが、二人は寡黙で何を考えているか分からない。
首都の屋敷にしたときも、戦闘訓練では「弱い」「戦闘だったら死んでいたぞ」と叱られ、日常生活でも「令嬢は礼儀正しく」「家族しかいなくても、身なりを綺麗にしろ」と厳しかった。
「お父様、ご注文はどうなさいますか?」
「紅茶と焼き菓子のセットを二つ頼もう」
「ふ、二つ?」
「ああ。二つだ」
「か、かしこまりました」
一人客で紅茶と焼き菓子をそれぞれ複数注文する者はいないため、ミランダは聞き返した。
ソーンクラウン公爵の注文の仕方に戸惑いつつも、ミランダは彼の言う通りに紅茶と焼き菓子をそれぞれ二つずつテーブルに置いた。
「ミランダ、そこに座りなさい」
「は、はい」
指名された場合、その客が店を出るまで相手をするのがこのメイド喫茶の決まり。そして、客と会話を楽しむのもこの店の楽しみである。
ただ、メイド服を引っ張ったり、身体を触ろうとした場合、飲食を提供している男子生徒たちが強制的に退店させ出禁になる。
ミランダは向かいの空いている席に座った。
「どうぞ」
(お父様はわたくしの分を注文してくださったのね)
ソーンクラウン公爵が注文した紅茶と焼き菓子をそれぞれミランダに勧める。
ミランダはそこで、ソーンクラウン公爵が二つずつ注文した理由が判った。
「……ライサンダーが学園に来て驚いただろう」
ミランダが紅茶を口に入れたところで、ソーンクラウン公爵がぼそっとミランダに話題を投げかける。
「ライサンダーからは”属性魔法同好会”という活動を共にしていると聞いた。後輩たちの指導を丁寧にしていて、彼らもお前のことを頼りになる先輩として慕っているように見えたとも」
(お兄様、お父様と頻繁に連絡を取っているのね)
ミランダはソーンクラウン公爵の口ぶりから、兄と父親はこまめに連絡を取り合っていたことを知る。
その事実が先行して、ソーンクラウン公爵がミランダを褒めていたことは彼女の耳に入らない。
(わたくしには三年間、一度も手紙をよこさなかったのに……)
事実を知ったミランダは、視線をソーンクラウン公爵から、カップのふちに伏せ、自身は兄のライサンダーと違って期待されていないのだと思い込む。
ライサンダーとソーンクラウン公爵が連絡を取り合っているのは、フェリックスの動向を知りたいイザベラの命令だという真実も知らずに。
(やっぱり、わたくしがお兄様と違って、出来損ないだから――)
ミランダの気分は落ち込んでいる。
(フェリックス、お父様が学園祭に来てくれたけど、ちっとも嬉しくないわ)
ミランダは密会にてフェリックスが言った言葉を思い出し、心の中で文句を言う。
「お前をこの学園に入学させて良かった」
「えっ」
ソーンクラウン公爵が目じりを下げ、口元を緩め、ミランダに微笑んでいる。
父親の笑った顔を見たことがないミランダは、目を疑った。
「今日はそれをお前に伝えたかったんだ」
「そう、ですか……」
その後、親子の会話は途切れ、それぞれ紅茶と焼き菓子を平らげる。
ソーンクラウン公爵が席を立ったタイミングで、ミランダは彼を廊下へと案内する。
「では――」
「あのっ」
ソーンクラウン公爵が去る寸前、ミランダは不意に彼に声をかける。
「……なんだ?」
(わたくし、ど、どうしてお父様に声をかけてしまったのだろう……)
ソーンクラウン公爵が振り返り、ミランダの言葉を待っている。
その間、ミランダはソーンクラウン公爵に話したい話題を自身の頭から捻り出す。
少しして、ミランダは思い出す。
「お父様、お願いしたいことがあります」
ソーンクラウン公爵に伝えたいことを。
☆
クラスメイトには休憩を貰い、ミランダはソーンクラウン公爵と校舎裏に来た。
ここは学園祭でも生徒や外部の人も通らず、二人きりで話をするには丁度よい場所だったからだ。
「それで、私にお願いしたいこととは?」
「レオナール・モンテッソとの婚約を破棄したいのです」
「婚約破棄……」
ミランダの願い事を聞いたソーンクラウン公爵の眉がぴくっと動いた。
願いを口にして、叱られるのではないかと内心ミランダは怯えている。
「理由を聞こう」
「わたくしの前に、一生添い遂げたいと思えるほどの殿方が現れたからです」
「ほう、相手の男の名をきかせてくれ」
「……」
フェリックス・マクシミリアン。
ミランダはフェリックスの名をソーンクラウン公爵に告げる直前で、言葉が詰まった。
フェリックスはマクシミリアン公爵の跡継ぎ。
身分としては申し分ない。
フェリックスとは両想いで、向こうにも結婚の意思があるとこの場で告げれば、縁談の話が進むかもしれない。
すべてがミランダの望む方へ進む確率の方が高い。
だが――。
(ここでフェリックスの名前を出せば、私とフェリックスが生徒と教師の間柄で愛し合っていたことが、公になってしまう)
問題はここでフェリックスの名を告げてしまうと、ミランダが卒業する前に二人の秘密の関係が、チェルンスター魔法学園に公になってしまうこと。
ミランダがフェリックスと共に学園を出たことは、幾人かの生徒たちに目撃されており噂にもなっている。
薄々、ミランダとフェリックスの関係を察している者もいるだろう。
現状、確固たる証拠がないからフェリックスは処分されないでいる。
(わたくしたちの関係が公になってしまったら、フェリックスの教師のキャリアに傷がつく)
ミランダはそこを懸念して、ソーンクラウン公爵に話せないでいた。
「公爵令嬢としてふさわしくない相手なのか?」
「いいえ、でも――」
「私には言えない相手なのか」
「……今はお伝え出来ません」
「なら、レオナール殿との婚約破棄は認めない」
悩んだ末、ミランダはフェリックスの名を告げないことを選んだ。
するとソーンクラウン公爵はミランダの願いを却下すると断言する。
「素性もわからない者に、大事な娘を任せられぬ」
「大事な娘……、それはわたくしのことですか?」
「何を言っている。当然であろう」
ミランダの発言に、ソーンクラウン公爵ははっとした表情を浮かべたのち、わざとらしい咳ばらいをする。
「そうだな。口にしないと気持ちは伝わらないのだったな」
ぼそぼそとした声で、ソーンクラウン公爵は呟く。
ソーンクラウン公爵の慌てた態度をみたミランダは微笑む。
(わたくし、お父様に愛されていたのね)
父親の本意を知り、ミランダの気持ちが安らぐ。
(なら、レオナールとの婚約破棄はまだ、希望がある)
ミランダは諦めず、すうっと息を吸い、ソーンクラウン公爵に告げる。
「お父様、わたくしはチェルンスター魔法学園を卒業したら、レオナールとは違う殿方と結婚したいです。お相手のことは、今はお伝え出来ませんが、いずれ、時が来たらお父様の前にお連れいたします」
「……わかった。婚約破棄は認めぬが、結婚の話は一度白紙としよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし、その男が私の目に叶わぬ場合は……、ミランダ、お前はレオナールと結婚するのだぞ」
ミランダはソーンクラウン公爵の要求に、こくりと頷く。
「話はこれで終わりだな。私は、仕事へと戻る」
「はい。お父様……」
これで三年ぶりの父親との会話は終わる。
「お忙しい中、わたくしの最後の学園祭に顔を出してくださり、ありがとうございます」
「……」
ミランダはソーンクラウン公爵に一礼する。
その優雅な仕草に、ソーンクラウン公爵は言葉を失っていた。
☆
休憩時間が終わるまでまだ時間がある。
(レオナールの見舞いへ行こうかしら)
ソーンクラウン公爵と別れたミランダは、レオナールが医務室で安静にしていることを思い出す。差し入れとして果物を砂糖で絡めた菓子を購入し、ミランダは医務室に入った。
「ああ、行かないでおくれ! 僕の女神よ!!」
レオナールが女の子を口説く言葉が聞こえる。
(元気そうね……)
ミランダはその声を聞き、レオナールが元気であると悟る。
「あら、クリスティーナ」
「ミランダ先輩、助けてください〜」
レオナールが眠っているベッドへ向かうと、そこには後輩のクリスティーナがいた。
クリスティーナはミランダを見つけるなり、助けを求めてきた。レオナールの数々の甘い口説き文句に耐えられなかったのだろう。
「後輩をからかうの、やめてくださる?」
ミランダはクリスティーナをあやしながら、きっとレオナールを睨む。
レオナールはなんとも思っていない。
「僕は本気さ。再び、クリスティーナの柔らかい唇の感触を味わいたいんだ」
「この人ずっとそんなこと言ってるんです!!」
クリスティーナは真っ青な顔でミランダに訴える。
ミランダは深いため息をついた。
「突然、キスしたいなんて迫られたら怖がるに決まってるじゃない。本気だったら、複数の交際している女の子たちとの関係を切るとか……、言葉だけでなく姿勢で示しなさい」
「……ミランダの言う通りだね」
ミランダは椅子を用意し、そこに座る。
「ほら、手軽に食べられそうなものを買ってきたわ。三人で一緒に食べましょう」
ミランダは買ってきたものを、レオナールとクリスティーナの三人で分け合って食べる。
途中、レオナールが「食べさせて欲しい」と懲りなくクリスティーナにねだるため、ミランダが彼の口にねじ込んだ。
「もうちょっと甘やかしてくれよ。僕はこれでも病人なんだぞ」
自分の雑な扱いに、レオナールがいじけてしまう。
「あなたが全魔力を暴発させる無茶をしたからでしょう!」
「……それは反省している」
「わたくしに勝つためとはいえ、どうしてそのようなことをしたの?」
ミランダはレオナールに問う。
トーナメントのレオナールは、いつもの彼ではなかった。
ミランダがレオナールの様子を見に来たのも、理由を問うためだ。
「そうだね。軍部にも同じことを聞かれた。巻き込んだミランダには話さないと」
レオナールはふうと息を吐く。
「じゃあ、私はフリーマーケットに戻りますね」
空気を読んだクリスティーナが、医務室を去る。
ここにいるのはミランダとレオナールの二人だけ。
「学園祭の前日、僕はリリカ・カブイセンから強化薬という試薬を貰った。これを使えばトーナメントで君に勝てる、とね」
レオナールは少女、リリカとのやり取りをミランダに告白する。