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第72話 君の魂の名前を訊いてるの

 担任の振り分けから、一週間が経った。

 チェルンスター魔法学園の入学式を終え、一年生が実践室から教室へ戻ってゆく。


「今年の新入生にめっちゃ可愛い子いるじゃん!」

「学園一じゃね?」


 一年生が通り過ぎるたび、男子生徒がひそひそと一人の女生徒に注目する。

 亜麻色の緩やかなウェーブがかった長髪、大きくて丸い翡翠色の瞳、真っ白な肌に、高い鼻筋と小さくてぷっくりした唇。そして、女性らしい丸みのある身体。

 男子生徒が焦がれる女性像そのものである。

 フローラは凛とした表情で歩いていた。その歩き方は模範的な令嬢そのもので、育ちの良さも感じられる。


(男の人たちからの視線を感じるわ……)


 内心、フローラは向けられる視線に戸惑っていた。

 十五歳まで屋敷で育ったフローラは同性の友人は何人かいるものの、異性は家族しか知らない。彼女は箱入り娘で、自分の容姿がずば抜けて美しいことを知らないのだ。

 教室に入ったフローラは、自分の席に座る。


「やあ」


 隣の席の男子生徒に声をかけられた。

 黒髪、黒目で、彫刻のような綺麗な顔立ちをしている。


「オレはエリオット・テロクメイ。あんたは?」

「……」


 エリオットに声をかけられ、フローラは目を丸くした。


「エリオット様、人に名前を尋ねるときは”あんた”ではなく”貴方”でしょう? 言葉遣いが汚いわ」


 フローラはエリオットの言葉遣いを注意する。

 屋敷でフローラは様々なことを学んできた。言葉遣いもその一つである。

 フローラに注意されたエリオットは大笑いした。


「これはこれは失礼しました、お姫様。貴方のお名前を教えていただけませんか?」

「……フローラです」


 異性との付き合いが皆無なフローラでも、エリオットにからかわれたのだとすぐに理解した。


(この方とは関わらないほうがよさそうね)


 フローラの直感がそう告げている。


「フローラちゃんか。名前も可愛いな」


 エリオットの笑みを見て、フローラは背筋に悪寒が走った。

 フローラの名を呼んださい、エリオットがニヤついた表情を浮かべたのだ。

 フローラはぷいっとエリオットから視線をそらす。


「フローラちゃん、こっち向いてくれよ」


 ガチャ。

 エリオットがフローラに話しかけたと同時に教室のドアが開いた。

 クラスメイトたちは、皆、教室にいるため、入ってきたのは担任教師。


「っ!?」


 フローラの前に現れたのは、彼女が復讐したい男、フェリックス・マクシミリアンだった。



(緊張するなあ……)


 一年D組の廊下でフェリックスはドアノブを握ったまま、立ち尽くしていた。

 初めて受け持つクラス。

 生徒たちがフェリックスを歓迎してくれるか、そうではないか、それはファーストコンタクトにあるとフェリックスは思っている。


「フェリックス殿、そろそろ教室に入ろう」

「こ、心の準備が……」


 フェリックスの発言に、ライサンダーはため息をついた。


「これではいつまでたっても入れない」


 ライサンダーはドアノブを握っているフェリックスの手を握り、強引に回した。

 そして、ドアが開かれたと同時に、フェリックスの背を押す。

 背を押されたフェリックスはバランスを崩し、教壇につまづき、転んでしまった。


(いって!)


 教壇に顔面をぶつけてしまったため、とても痛い。

 クスクスと生徒たちの笑い声が聞こえる。

 フェリックスは転んだ痛みと失笑されている羞恥に耐えながら、教卓の前に立った。


「一年D組の皆さん、はじめまして! 僕はこのクラスを担任するフェリックス・マクシミリアンと申します」


 フェリックスは何事もなかったかのように挨拶をする。


(あ、やばい。考えた文章、頭から吹き飛んじゃった)


 前日から自宅で考えてきた自己紹介スピーチ文。その内容が吹っ飛んでしまった。


「専門は属性魔法を担当していて、えっと……」


 思い出しながらはなすも、担当している授業くらいしか浮かばなかった。


「フェリックス先生は結婚してるんですか?」

「えっ!?」


 言葉に詰まっていると、生徒から質問が飛ぶ。

 フェリックスに質問したのはエリオットだった。

 きっと、フェリックスの左手にはめられている指輪に気づいたからだろう。


「あ、はい。結婚したばかりです」


 フェリックスの答えに、一部の女生徒から関心を持たれている。


「じゃあ、奥さんとラブラブなんですか?」


 エリオットが更にフェリックスに質問をしてくる。


(ミランダとの新婚生活、あんまり人に言いたくないんだよな)


 フェリックスは答えに迷う。

 隣に義兄のライサンダーがいるのと、妻のミランダは元生徒なので、二学年の生徒や教師全員、彼女のことを知っているから。


「仲はいい方だとおもいます」


 フェリックスのこの答えは学園中に噂で広まると思い、最低限にとどめた。


(なんか、エリオットの隣にいる女の子が怖い顔でこっちを見てるんだけど……)


 亜麻色髪の可愛い女の子。

 質問に答えただけなのに、この子に恨まれることをしただろうか。


「僕の話はここまでにして……、副担任の紹介に移りますね」


 話を逸らし、フェリックスはライサンダーの紹介に移る。

 ライサンダーの自己紹介の時は、女生徒が「かっこいい~」と盛り上がっていた。フェリックスを睨んでいた女生徒もキラキラした表情でライサンダーを見ている。


(あ~、これは僕の魅力の問題かあ……)


 フェリックスは無意識に悪人を魅了するようで、これまでに悪役令嬢のミランダを妻にし、女王イザベラに猛アタックを受けている。

 今回は効果が逆に働いた。つまり、フェリックスはいい子に嫌われるのだ。

 女の子はとても性格の良い子に違いない。



 一年D組のホームルームを終え、教室を出たフェリックスは緊張を吐き出した。


「……押さなくてもいいじゃないですか」


 フェリックスはライサンダーを睨む。彼のせいで恥をかいたからだ。

 ライサンダーは明後日の方向を見て、誤魔化している。


「すみません、フェリックス先輩」

「せん……、ぱい」


 ライサンダーに『先輩』と呼ばれ、フェリックスは一年前のアルフォンスのような態度をとる。


「嫌でしたか? 自分はフェリックス殿の副担任なので”先輩”と呼びたかったのですが……」

「あ、いえっ、僕も二年目なんだなあと思ってただけですから!」


 フェリックスの反応を見て、ライサンダーはバツ悪そうな態度になっていた。


(そうか、僕に後輩が出来たんだ)

「あの……、先輩を睨んでいた女の子なのですが、あの子がフローラです」

「えっ、あの可愛い女の子が!?」


 亜麻色髪の可愛い女の子。彼女がレオナールの妹のフローラ。


「僕を睨んでた理由は……、ミランダだね」


 ライサンダーは頷く。


「フローラは妹のことを慕っていましたから」

「そ、そうなんだ……」


 ミランダとレオナールの婚約は八年間続いた。

 その間に両家の交流があったはず。

 ミランダは婚約していたレオナールは仲が悪かったが、他の家族とは良好な仲を築いていたようだ。


「婚約破棄になってから、妹はフローラと会っていません」

「それじゃあ、僕はミランダを奪った悪者になってるってこと!?」

「そうなりますね」


 ライサンダーの話を聞いたフェリックスは、フローラが自身を睨みつけていた理由を知り、慌てふためいていた。


(これは魅力どうのこうのじゃない、私念じゃないか)


 フローラの恨みを解決する術はない。できるとすればミランダだろう。


「では、自分の専門はスポーツなので、帰りのホームルームで」


 ライサンダーは自身の授業の準備をするため、フェリックスと別れる。


(家に帰ったら、フローラのことミランダに話そう)


 それまで、フェリックスは自分の仕事に専念することにした。

 フェリックスは廊下を歩き、階段を上り、職員室まで戻ってきた。


「あ、いたいた」


 職員室前の廊下でミカエラと会う。

 ミカエラはフェリックスを探していたようだ。


「ミカエラ、そっちはどうだった?」

「普通だよ。ほとんどリドリー先輩が仕切ってたから自己紹介するだけ」


 ミカエラの話だと、去年のようにリドリーが仕切ってくれたらしい。


「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」

「えっと、リドリー先輩に――」

「あたしが聞いておいたよ。一時間くらいだったらフェリックス君を借りていいって」

「そう。なら大丈夫」

「じゃあ、ついてきて」


 ミカエラに誘われるも、フェリックスはすぐに返事を出せなかった。

 属性魔法の授業は午後からだが、準備があるかもしれないのでリドリーに声をかけたほうがいいと思ったから。

 それはミカエラが事前にリドリーに確認を取ってくれたらしく、フェリックスの返事のみだったようだ。



 フェリックスとミカエラは校舎裏へ向かう。

 校舎裏は人通りが少なく、密談をするのにぴったりの場所である。


「うん、不良生徒はいないね」


 ミカエラはキョロキョロと周りを見て、授業をサボっている生徒がいないか確認していた。


「それで……、話ってなに?」


 フェリックスはミカエラに本題を問う。


「うーん、なんて切り出したらいいのかな?」


 ミカエラは頬に人差し指を当て、明後日の方向を見つめる。

 本題はあるはずなのに、とぼけている様子。


「うん、これでいこう」


 ミカエラの中で答えが出たらしく、独り言を呟いた。


(あっ)


 答えを決めた瞬間、ミカエラの顔つきが変わった。

 いつものニコニコ笑みを浮かべている表情から、真摯な表情に変わったのだ。

 フェリックスはミカエラの変貌に息を呑む。


「君は……、誰?」


 ミカエラはフェリックスに問う。


「え? 僕はフェリックスだけど……」


 フェリックスはミカエラの問いに当たり前のように自身の名を答える。

 ミカエラは胸の下で腕を組む。彼女の爆乳が強調され、フェリックスの視線はそこに釘付けになった。


「ちがうよ」


 ミカエラは首を横に振った。


「私の目の前にいるのは、六年間共にいたフェリックス君じゃない」

「っ!?」


 フェリックスはミカエラの発言に驚愕する。


「姿はフェリックス君だけど……、魂は違う」


 ミカエラの鋭い視線を浴び、フェリックスは生唾を飲み込んだ。


(ミカエラには完全にばれてるんだ)


 両親、セラフィ、先生たちが気が付かなかったことを、目の前にいるミカエラにはお見通しなのだとフェリックスは悟る。


「さあ、教えてよ。君の名前は?」


 ミカエラは再び問う。


「……朝比奈大翔です」


 観念したフェリックスは転生前の名をミカエラに告げた。 



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