その後、ライサンダーはミランダにクリスティーナのことを聞き、満足げに帰って行った。
クリスティーナはレオナールと交際していないが、彼女の帰省についていきたいと迫っているとのこと。
クリスティーナとしては、両親がレオナールに会ったらすぐに結婚を勧められそうだから、連れて行きたくないそうだ。
「もうっ、お兄様ったら……」
ミランダの怒りはライサンダーが帰り、フェリックスと共にベッドに入った後でも静まらなかった。
「それだけライサンダーは本気でクリスティーナの事が好きなんだよ」
フェリックスは怒るミランダの頭を優しく撫で、おでこに軽くキスをした。
「僕は……、ミランダが積極的で嬉しかったけどな」
「あ、あのことは忘れてください……、は、恥ずかしい」
「ミランダ」
フェリックスはミランダの腰に触れ、自身に引き寄せる。
ミランダはフェリックスの胸を押し、離れようとする。
「キスしか知らなかった君が、エプロン一枚で僕を誘惑するとは思わなかったよ」
「あ、あれは気の迷いですわ」
「お義父さんから貰った夜伽の本に書いてあったの?」
「……はい」
観念したミランダは、フェリックスに正直に答える。
「お父様から奥に隠してある下着と共に本を頂いたのです。刺激的なことが書かれていました」
「そ、そう……」
上目遣いのミランダに、フェリックスは可愛いとときめいてしまう。
夜伽の本はともかく、奥に隠してある下着は初夜でミランダが身に着けてたようなエッチな下着だろう。
(お義父さん、結婚前はミランダに何も教えてなかったのに、結婚後はあれやこれやとミランダに押し付けてくるな)
ミランダは結婚前、キスで子供ができるというぶっ飛んだ性知識しかなかった。
結婚後はフェリックスがミランダに少しずつ教えており、彼女は健気についてきてくれる。
そろそろミランダに迫られたいと思ったところに、エプロン一枚で誘惑されたので、ライサンダーがいなければ、興奮収まらずエントランスでいちゃつき始めていたかもしれない。
「フェリックス、一つ聞いてもいいですか?」
「うん」
二人きりにも関わらず、ミランダはフェリックスに耳打ちをする。
「わたくしの口で――」
ミランダの質問にフェリックスの思考が硬直し、以降の言葉は頭に入ってこなかった。
「フェリックス?」
答えが返ってこないことに、ミランダは小首をかしげる。
「君の口からそういうプレイが出てくるとは思わなくて」
イザベラならともかく、ミランダの口からそのような内容が出てくるとは。
フェリックスはあっけに取られていた。
「ミランダ……、どうして急に本に書いてあることを試そうと思ったんだい?」
フェリックスもミランダに質問する。
ミランダの目が泳ぐ。彼女が直前にそういう表情を浮かべるときは大体嘘をつく。
「月ものが終わったから、フェリックスに満足してもらおうと思って……」
ミランダは嘘をついている。
本当の答えを胸の内に隠そうとしている。
「ミランダ。誘惑してくれたのは嬉しいけど……、僕はいつも君に満足してたよ。それは君にも伝わっていると思ったけど、違うのかい?」
「……」
「君の本当の気持ちを話してくれないか?」
ミランダは唇をきつく噛んでいる。
フェリックスはミランダに胸の内に隠そうとしていた本音を教えてくれないかと彼女にお願いする。
「あのね……」
ミランダは本音をフェリックスに話し始めた。
「わたくし、フェリックスの子供が欲しいという気持ちは変わっていないの。でも――」
フェリックスが傷つかないように言葉を選んで話している。
「愛し合う回数を減らしてほしくて……」
「えっ」
「減らす方法として、男の人が喜ぶシュチュエーションを作ったり、手と口を使ってフェリックスの快感を促したりするといいって本に書いてあったから――」
ミランダの本音はフェリックスの男としてのプライドをずたずたにした。
(回数を減らしてほしいって……、僕が下手だからだよな)
ミランダは遠まわしに下手だから、いちゃつくのは必要最低限にして欲しいと。
フェリックスはそう思い込み、ショックを受けていた。
「わかった」
フェリックスはミランダをぎゅっと抱きしめる。
「僕から君に迫るのはやめる。その……、したいときは君から教えてくれないか」
「わかりました」
ミランダはフェリックスの身体に頬ずりをする。
今のミランダはフェリックスを愛してくれている。
無理にいちゃつくことでこの関係が壊れてしまうかもしれないのなら、タイミングはミランダにゆだねた方がいいだろうとフェリックスは判断した。
「おやすみ、ミランダ」
「おやすみなさい、フェリックス」
☆
それから日が経ち、フェリックスがソーンクラウン領へ発つ日となる。
「ミランダ……、本当に来ないのかい?」
フェリックスがミランダに念を押して確認をする。
「はい。わたくしはここでフェリックスの帰りを待っていますわ」
実家であるソーンクラウン領へ戻らず、自宅で留守番をすると言い出したのだ。
フェリックスが「一緒に行こう」と何度も説得するも、「留守番をします」とミランダの意思は変わらない。
「……分かった」
馬車を外に待たせており、もう出掛けないといけない。
その間にミランダを説得するのは難しいと判断したフェリックスは、彼女の意思を尊重することにした。
「ミランダ、僕はしばらく家を空ける。その間、ここをよろしくね」
フェリックスはミランダをぎゅっと抱きしめる。
「いってらっしゃい」
ミランダはフェリックスの頬にちゅっとキスをした。
抱擁を解いたフェリックスは、寂しそうな表情を浮かべ、家を出た。
一人になったミランダは深いため息をついた。
リビングに座り、セラフィが出してくれた紅茶を口にする。
「私は買い物に行ってまいります」
少しして買い物かごを持ったセラフィがミランダにお伺いを立ててくる。ミランダは手を振り、それを見たセラフィは深々と頭を下げ、買い物へ出掛けて行った。
「大丈夫、わたくしの決断は正しい」
自身に大丈夫だと言い聞かせることで、ミランダは自身の不安を和らげる。
ミランダがフェリックスと共にソーンクラウン領へ行かず、留守番を選択したのは、フェリックスと距離を置いて、一人考える時間が欲しかったからだ。
ミランダは自分の発言のせいで、フェリックスとの関係がぎこちなくなってしまったことに責任を感じていた。
(わたくしが『回数を減らしてほしい』とお願いしたのは……、フェリックスの仕事の様子を聞きたかったから)
二人の関係がぎこちなくなってしまった要因は、ミランダの一言。
それ以降、フェリックスはミランダに触れる際、びくっと身体を震わせ、躊躇することが多くなった。
ミランダから誘った夜も、いつものような激しさはなく、最低限に収めている様子。
愛し合う回数が減ったことで、望み通りフェリックスから仕事や学園の様子を話してくれるようになった。
その前は、文通相手であるクリスティーナから聞くしかミランダには手段がなかった。
(わたくしとフェリックスはすれちがっているだけ。話し合ったら元に戻るはず)
ミランダはフェリックスが帰ってきたら、本音を話す時間を設けようと決めた。
☆
フェリックスがソーンクラウン領へ向かい、五日が経った。
「やっぱり、一緒について行けばよかった」
ミランダは弱音を吐く。
フェリックスが帰ってくるのは八日後。まだ先が長い。
「でも、イザベラ女王に会いたくないのよね……」
ミランダがフェリックスについて行かなかったのは、行く先にイザベラが待っているからだ。
フェリックスがソーンクラウン領へ向かうのは、イザベラとの約束を果たすため。
二人の子供を作るため。
ミランダは二人が愛し合う様子を見たくなかったので、強がってフェリックスについて行かなかったのだ。
「ミランダさま」
「……なに?」
セラフィが用事以外でミランダに声をかけてきた。
ミランダは冷たい声でセラフィに返事をする。
「用もないのに話しかけてこないで」
セラフィが一向に本題を話しかけてこないため、不機嫌になったミランダはトゲのある言葉をセラフィに投げる。
ミランダの言葉を受け止め、怯える表情を浮かべたセラフィだが、呼吸を整えた後、口を開いた。
「メイドの分際でおこがましいのですが……、ミランダさまの友人をご自宅に招いて、お泊り会をするのはいかがでしょう」
「お泊り会……?」
気の知れた友人がいなかったミランダにとって、初めて耳にする行事だった。
ミランダの驚愕する表情を見たセラフィは、戸惑いながらも、提案を続ける。
「クリスティーナさまを自宅にお招きして、夜までおしゃべりするのはいかがかと」
「それ、わたくしの家で出来るの?」
「ミランダさまが計画されるなら、ご協力いたします」
「そ、そう。あなたもたまにはいいことを言うのね」
ミランダは素直に感謝の言葉を告げることが出来なかった。
そんなミランダをみて、セラフィはくすっと笑う。
「じゃあ、クリスティーナ宛に手紙を書くわ。予定は明後日にするから、支度をお願いね」
「かしこまりました」
ミランダはペンを取り、クリスティーナをお泊り会に誘う。
翌日の夕方に参加の返事が届き、ミランダはクリスティーナに会えることを楽しみにしていた。
☆
お泊り会当日。
ミランダはチェルンスター魔法学園の門の前で、クリスティーナを待っていた。
「ミランダ」
「アルフォンス先生、お久しぶりです」
背後から名を呼ばれ、振り返るとアルフォンスがいた。
(アルフォンス先生はしばらく休んでいるってフェリックスから聞いてたけれど……)
ミランダはこの場にアルフォンスがいることに疑問を持った。
「フェリックスはどこにいる?」
アルフォンスはフェリックスの居場所をミランダに訊ねる。
「夫は諸事情でソーンクラウン領へ発ちました。しばらく帰ってきません」
ミランダは素直に答えた。
「そうか……」
ミランダの返事を聞き、アルフォンスは深刻な表情を浮かべる。
「あの、夫になにか用があったのですか?」
「ああ。フェリックスに伝言を頼みたいのだが……」
「構いませんわ」
「人がいるところでは話せないことなんだ。ちょっとついて来てくれるか」
ミランダはアルフォンスの言葉を信じ、彼の後ろをついて行く。
二人は人通りが少ない場所まで移動する。
「あの、夫への伝言は――」
ミランダはアルフォンスに伝言の内容を尋ねる。
「っ!?」
アルフォンスは素早くミランダの背後に周り、布をミランダの口元に押しあてた。
「ん、んんっ!!」
抵抗するミランダだったが、布にしみこんでいた液体の臭いを嗅いだ瞬間、眠気が襲ってきた。
そして、ミランダは深い眠りに落ちた。
「すまない、ミランダ」
アルフォンスは懺悔の言葉を呟きながら、ミランダの髪を黒い布で隠したのち、彼女を抱き上げ、誘拐した。