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第85話 淑女は復讐を諦める

 仕事終わり、フェリックスはフローラを連れ、チェルンスター学園を出た。

 夜の繁華街は人通りが多く、フローラとはぐれてしまうかもしれない。

 それに、フローラは男が理想とする淑女そのものなため、男の通行人たちの下卑た視線が彼女に集中している。

 フローラは周囲の視線に困惑しながら歩いている。

 彼らがフローラをどんな目で見ているか当人は分かっていないだろう。


(人さらいのこともあるし……)


 フェリックスはフローラに手を差し出す。


「はぐれたら大変だから」

「っ!?」


 フェリックスの対応にフローラは目を見開いて驚いていた。


「夜の町を一人で出歩くのは危険ですものね……」


 フローラはフェリックスの手にそっと触れる。


「エスコートよろしくお願いいたします」


 フローラはフェリックスにニコリと微笑む。


(はあ、これはときめいちゃう)


 フェリックスはフローラの淑女対応にキュンときてしまう。



 繁華街を抜け、人通りが少ない住宅街にきた。


「もうすぐ着くよ」


 フェリックスはフローラに声をかける。


「あの……、手を離しても?」

「あっ、うん!」


 フローラに言われ、フェリックスはまだ彼女と手を繋いだままだと気づき、繋いでいた手を離す。

 手を離したフローラは、ポシェットからハンカチを取り出し、自身の手を拭く。


(えっ、そんなに手汗やばかったかな)


 その様子を見たフェリックスは自身の手汗を気にする。

 その後、これといった会話はなく目的地に到着する。


「ここが僕とミランダの家だよ」

「ミランダお姉さまがここに……」


 フェリックスは家の扉の前に立つ。

 フローラがついてきていないことに気づき、フェリックスは振り返る。

 フローラは家の前で立ち止まっていた。


「……ミランダに会うのが怖い?」


 フェリックスがフローラに話しかけると、彼女はコクリと頷いた。

 フローラはミランダのことが大好き。

 だが、ミランダがそうとは限らない。

 フローラは今のミランダが自分のことをどう思っているのか知るのが怖いのだ。


「大丈夫。僕と結婚しても、ミランダは君の知ってるミランダだよ」


 フェリックスはフローラに優しく話しかける。


「本当……、ですか?」

「うん。だからこっちにおいで」


 フローラはゆっくりとフェリックスに歩み寄る。

 フェリックスの隣に立つと、胸に手を当て深呼吸をした。

 フローラの気持ちが落ち着いたところで、フェリックスは扉を開ける。


「おかえりなさい。フェリックス」


 扉を開けると、エントランスでいつものようにミランダがフェリックスの帰りを待っていた。

 だが、今日のミランダは恰好が違う。


(ミランダはなんでタイミングが悪いんだ)


 フェリックスはミランダの恰好を見て、額に手を当てた。

 ミランダが卒業したチェルンスター魔法学園の制服を身に着けていたのだ。


「わたくしが学生の頃を思い出すでしょ?」


 ミランダはフェリックスをぎゅっと抱きしめ、二人の世界にいるものだと甘えている。

 ミランダは背伸びをし、フェリックスにちゅっとキスをする。彼女の舌先がフェリックスの唇に触れたところで、フェリックスが止める。


「どうしたの?」


 ミランダはフェリックスを見上げ小首をかしげる。


「ミランダお姉さま?」


 フェリックスの後ろに隠れていたフローラがひょっこりと顔を出す。

 フローラの声から異性に甘えるミランダの様子を見て驚いている様子だった。


「きゃあああ」


 ミランダは来客がいることに気づき、悲鳴をあげる。

 フェリックスとのやりとりをフローラに見られていたことに気づいたミランダは、自身を抱きしめ、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。


「フェリックス! お客様を呼ぶときは事前に――」


 ミランダは約束を破ったフェリックスを怒る。


(裸エプロンじゃなくてよかった……)


 フェリックスは謝りつつも、この間のような過激な格好ではなくてよかったと安堵する。



(ミランダお姉さま、フェリックス先生にキスしていたわ)


 フローラはミランダとフェリックスのやり取りに頬を赤らめていた。


「いらっしゃい、フローラ。久方ぶりね」

「ミランダお姉さま、突然の来訪をお許しください。わたしがフェリックス先生にお願いしたのです」

「……そう」


 フローラは制服のスカートを摘み、淑女らしく一礼した。

 その後、怒られているフェリックスのフォローに入る。

 目を細めたミランダがフェリックスを見ていることから、二人の間に約束事があったのだと知る。


「立ち話もなんだから、あがってちょうだい」

「ありがとうございます」


 ミランダはフェリックスにぷいっと背を向けた後、廊下を進んでゆく。


「お邪魔します」


 フローラはフェリックスが用意したスリッパに履き替え、リビングへ案内される。

 そこでは先に席に付いているミランダと、メイドがいた。


「ミランダの隣に座って」


 フェリックスに促され、フローラはミランダの隣に座る。

 向かい合う形でフェリックスが座った。

 少しして、メイドが三人分の紅茶を持ってきた。


(色違いのマグカップ……)


 フローラは内二つが色違いの揃いのマグカップであることに気づく。


(それに、ベビーベッドに、ゆりかごに……、おもちゃまで用意されてる)


 リビングには赤ちゃん用品が置かれており、新しい家族の誕生を楽しみにしているのが見てとれる。


「フローラ、どうしたの?」

「あっ、い、頂きます……」


 ミランダに声をかけられ、はっとしたフローラはメイドから紅茶をもらう。


「あなた、わたくしと同じチェルンスター魔法学園を選んだのね」


 ミランダは制服姿のフローラを見る。


「ミランダお姉さまとお揃いで、嬉しいですわ」

「こ、これは……、フェリックスがよろこ――、驚くと思うかなと思って着たのよっ」


 フローラとミランダの制服はリボンの色が同じ。

 同学年のようで、フローラは少し嬉しくなる。


「……実は校長から『制服を貰えないか』と手紙が届いて」


 ミランダがぼそぼそと本当のことを話し始める。


「渡す前に一度、着たいなと思ったの」


 手放す前に制服姿をフェリックスに見せたかったらしい。


「もう、着られなくなってしまうから」


 ミランダは愛おしげに自身の腹部を撫でる。


「あの……、ミランダお姉さま。ご懐妊おめでとうございます」

「まあ、ありがとうフローラ」

「こちら、つまらないものですが」


 フローラはポシェットから小さな箱を取り出し、ミランダにプレゼントする。

 ミランダがそれを開けると、アロマオイルが二本入っていた。


「植物の香りを中心に揃えました。わたしのお母様が妊婦の時に愛用していたブランドです」


 ミランダはオイルの瓶を開け、香りを嗅ぐ。


「いい香りね。リラックスしたいときに使うわ」


 ミランダはオイルの瓶を閉じ、フローラに微笑んだ。


(お姉さまは今がとても幸せなのだわ)


 フローラはミランダに会って確信した。

 ミランダはフェリックスと結婚して、妊娠して幸せの絶頂にいるのだと。


「フローラ、レオナールと婚約破棄してごめんなさい」


 ミランダはフローラに頭を下げる。


「あなたに辛い思いをさせてしまったわ。わたくしのこと『お姉さま』と慕ってくれていたのに、何も連絡しなくて……」


 ミランダはレオナールと婚約破棄した後の経緯を語る。

 二人が正式に婚約破棄したのは周年の集いの直前。

 その後、ミランダはフェリックスとの結婚の準備で忙しかったのと、婚約破棄によってモンテッソ侯爵が激怒し、当時はソーンクラウン公爵と絶縁状態にあったとか。

 そのような状態で、ミランダがフローラに連絡をとれる手段がなかったと告げる。


「わたしにとって、ミランダお姉さまは理想そのものです」


 申し訳なさそうな表情をしているミランダにフローラは話す。


「でも……」


 フローラの瞳からぽたぽたと涙が落ちる。


(お姉さまは”真実の愛”を手に入れたのね)


 レオナールと婚約していた頃よりも、ミランダの声や表情が柔らかく、素敵な笑みを浮かべていることにフローラは気づき、フェリックスを憎んでいた自分が愚かだったと猛省する。


「お兄様と結婚して、わたしの本当のお姉さまになってほしかった」


 フローラの望みは叶わない。

 それでも、胸の内をさらけださずにはいられない。


「それなのに、お姉さまはフェリックス先生と出会ってしまったの?」


 ボロボロと涙が流れる。

 酷いことを言っているのに、ミランダとフェリックスは何も言わない。


「フェリックス先生のばかあ」


 感情が溢れ、フローラはわんわんと声を上げて泣いた。


「フローラ……」


 大泣きしているフローラにミランダが優しく寄り添う。



 フェリックスは泣き止んだフローラを連れ、自宅を出る。

 フローラを学生寮へ送るためだ。


「お見苦しいところを見せてしまい……、申し訳ございません」


 帰り道、フローラはフェリックスに謝る。


「あんな我儘を口にしてしまうなんて」

「いいんだ。僕は君が憎んで当然のことをしたんだから」


 フローラは我儘を口にしてしまったことに反省していた。


(フローラはミランダと違う教育を受けているんだろうな)


 フェリックスはフローラの様子を見てふと思った。

 ソーンクラウン公爵家はミランダとライサンダー平等に教育していた。

 対してモンテッソ侯爵家は次期当主のレオナールと令嬢のフローラは違う教育を受けているように感じる。特にフローラには良家に嫁ぐための淑女教育を詰め込んでいる。

 住宅街から繁華街に入ったら、二人は手を繋ぐ。

 そして、チェルンスター魔法学園の前に着いた。

 手を離したさい、フローラはハンカチで自身の手を拭かなかった。


 「また遊びにおいで。ミランダと僕はいつでもフローラを歓迎しているよ」


 別れ際、フェリックスはフローラに話しかける。


「……次、お伺いする時は事前に予定をお伝えしますわ」

「そ、そうだね」


 そのことでミランダに怒られたばかりだ。

 フェリックスの表情を見て、フローラはクスッと笑った。


「ごきげんよう、フェリックス先生」

「うん。さようなら」


 フェリックスはフローラと別れ、ミランダが待つ自宅へ戻る。


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