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第35話:デバッグモード

「…………」


 戦闘開始の気配を感じ取ったのか、夥しい数の石片がムルの周囲をぐるりと囲むように浮かび上がった。一つ一つはシマノの手の平よりも小さいが、その先端はどれも鋭利に研ぎ澄まされ、当たれば無事では済まないだろうことが容易に想像できる。


「失せよ、力なき者ども」


 ムルが右手を開き、前に出す。その合図とともに、全ての石片が一斉に射出された。その狙いは真っ直ぐ、


「俺~っ!?」


 よりによって凡人のシマノが狙われてしまった。前に出ていたわけでもないのにどうして、と半泣きになりながら、シマノはせめてもの抵抗で姿勢を低くし防御態勢を取ってみる。


「させないっ」


 ユイの小型射出機が石片を次々に撃ち落としていく。しかし、石片の数が多すぎて全て落としきることができない。


「シマノ……!」


 ユイが焦った様子でシマノに駆け寄ろうとする。だがこのままでは、間に合わない。


「させませんわ」


 間一髪のところで姫様による光の加護バリアが発動する。シマノの周囲に光の膜が展開し、襲い掛かる石片を全て防ぎきった。


「たっ、助かったぁ……」

「よかった……ありがとうございます、姫様」

「気にすることはありませんわ。作戦に集中なさって」


「こっちだっ!」


 キャンがちょこまかとムルの周りを走り回って注意を引き付ける。ニニィとキャンはシマノが狙われている間を利用してムルにかなり近づいていた。


「…………」


 ムルが大地に両手をかざす。すると、ムルを囲むように地面が盛り上がり、さらに周辺の石が次々と吸い寄せられていく。

 それらはあっという間にムルを守る土壁のドームとなった。


「くっそー、これじゃ手が出せねー」

「あらぁ、困っちゃったわねぇ」


 石と土でがっちり固められたその壁面は、ちょっとやそっとの攻撃では傷一つ付かなさそうだ。ユイの爆撃なら壊せるだろうか。シマノはユイにドームの破壊を依頼する。


「わかった。やってみる」


 ユイは小型射出機を飛ばし、ムルが生成したドームの周囲四か所に配置した。一斉掃射で壁面を打ち崩す算段だ。


「準備完了。発し……」

「待て」


 止めたのはウティリスだった。想定外の横槍に、ユイだけでなくシマノも困惑する。


「ど、どうしたウティリス……?」


 また知らぬ間に逆鱗に触れてしまったのでは……と、シマノは恐る恐る尋ねてみた。この怪力従者は味方であるうちは心強いが、一たび敵に回してしまえば厄介極まりない存在なのだ。


「ここは俺がやる。不用意な範囲爆撃で姫様に万が一のことがあってはならない」


 どうやら怒らせてしまったわけではなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろし、シマノはドームの処理をウティリスに一任することにした。


「わかった、頼むよウティリス。ユイもそれでいいかな?」

「問題ない」


 シマノたちの同意を得たウティリスは、改めて姫様の前に恭しく跪く。


「姫様、少しの間お傍を離れるお許しを」

「構いませんわ。さっさとおやりなさい」

「御意」


 正式に主の許しを得たウティリスは、ムルが生成したドームの前に立った。姿勢を正し呼吸を整え、筋肉のボルテージを最大まで高めていく。


「ヌゥゥンッ!!」


 気合の発声で力を溜め、上腕に意識を集中させる。大地を両足でしかと踏みしめ、はち切れんばかりのその右腕を掲げ、手先を手刀の形に伸ばし眼前のドームに上から勢いよく振り下ろした。


「ハァアアアッ!!」


 ――空手チョップだ。シマノは心の中で一人呟いた。その空手チョップをまともに受け止めたドームの壁面に、みるみるうちに無数の亀裂が走る。ムルを守る堅牢なドームは、ウティリスの一撃であっという間に崩れ去った。


「……!?」


 表情こそ変わらないものの、ドームの崩壊でムルは若干焦ったように見える。ウティリスから距離を取ろうと考えたのか、ムルは咄嗟に後ろへ跳んだ。

 そこへキャンが一瞬で間合いを詰め、背後に回り込む。


「よっしゃー! つっかまえたー!」

「っ!」


 なんとキャンは跳び込んできたムルを全身で受け止め、そのまま羽交い絞めに成功していた。

 ところが、残念ながら操られ状態のムルはキャンより力が強いようだ。逃れようと暴れるムルを抑えきれず、すぐに振りほどかれたキャンはそのまま前方に放り投げられてしまった。


「うわーーーーっ!」

「フンッ」


 ちょうどウティリスに向かって真っ直ぐ投げ飛ばされたキャンは、そのままウティリスに片手で地面にはたき落とされた。ぐえっという声とともにキャンは顔面から地面に着地する。


「だ、だすがった……ぜぇ……?」


 果たしてこれは助かったと言えるのだろうか。キャンなら大丈夫だろうが、せめてもう少し優しく助けてほしいものだ、とシマノはウティリスに抗議しようとする。

 いや、その前にニニィだ。ムルに近づける絶好のチャンスを逃してはならない。


「まったく、キミだけ先にタッチしてどうするのよ……」


 見ると、ニニィは溜息を吐きながらも、既にちゃっかりムルの背後に立っていた。


「はい、あたしも捕まえた♡」


 ニニィの手がムルの肩を軽く叩く。反射的に振り向いたムルの目を、ニニィはじっと見つめる。


「なぁに? ニニィちゃんと遊びたいの?」


 柔らかなほっぺにかかる桃色の髪を指に絡め、くるくると弄びながら僅かに首を傾げ、上目遣いでムルを誘う。

 離れて見ていたシマノには、今のムルにそれが効果的だとはとても思えなかったが、まあ、情報を盗ってくるのはニニィなのだ。ここは気の済むようにやらせてみよう。


「…………」


 ムルがニニィとの間に岩壁を生成する。突如出現したその壁に驚いたニニィが距離を取ると、その直後、壁が崩れ無数の石片がニニィに襲い掛かった。


「ニニィ!!」


 間一髪のところでニニィは横っ飛びに石片を躱したようだ。そのまま地面に倒れ込んだニニィに、すぐさまムルが追撃の石を向ける。それをユイが射撃で牽制し、ニニィは隙を見て起き上がりシマノに駆け寄った。


「お待たせ♡」

「ニニィ大丈夫!?」

「へーきへーき♡ それよりムルのこと、バッチリわかっちゃった♡」


 そう言ってニニィは得意げにウインクをしてみせる。


「本当に!?」

「もちろん♡ ……と言いたいところなんだけど」


 急に勢いが失速したニニィに、シマノは一抹の不安を覚える。


「ニニィ……?」

「ごめーん! 盗れたのは盗れたんだけど、あたしじゃ全然わかんないのー! 助けてシマノ~!」


 どうやら、盗った情報が難しすぎて何が何やらわからないということらしい。


「わかった、俺が見てみる」


 シマノとしても正直不安しかなかったが、とにかく見てみるしかないだろう。ニニィに情報の共有を求めると、どういう理屈なのかウインドウにニニィが盗った情報が表示された。便利なものである。


「ちょっ、これって……」


 シマノは思わず目を疑った。ニニィがムルから盗み出した情報、それは、


「プログラム……?」


 それはどう見ても何らかのプログラムが書かれたソースコードだった。黒い背景に白い文字で書かれているのがいかにもを強調していて憎らしい。


「これを、どうしろと?」


 当然ながらシマノにプログラミングの心得など皆無である――いや、待てよ? 確か最初に黒い本で見た回想。シマノは一心不乱に何かを打ち込んでいた。あれこそまさしくソースコードではなかろうか。


「いやいや今の俺には無理だって!」


 シマノの駄々洩れた心の叫びを聞き、ユイが心配して駆けつけた。ユイが抜けた穴はキャンとウティリスが埋め、代わりにムルと対峙してくれているようだ。といっても、それを気にしている余裕は今のシマノにはない。


「シマノ、何があった?」

「ユイ、プログラミングできる!?」

「プロ……?」


 もちろんユイに通じるはずもない。詰んだ。

 がっくり肩を落とすシマノを案じつつ、ユイはニニィに何があったのかを尋ねる。


「これなんだけど……」


 ニニィから提示された情報に、なるほど、と一言呟きユイはシマノに声をかけた。


「シマノ、私にいい考えがある」

「いい考え?」


 ユイが真っ直ぐシマノの目を見て頷く。


「ここに書かれているのは、この世界アルカナの理を司る言葉。そうでしょう?」

「まあ、そう言えなくもない……かな」

「もしそうなら、私たちこの世界の民には触ることが出来ない。でも、シマノは違う。外の世界から来たシマノは、この言葉を操作できるはず」

「いやいやそんなこと言われても……」


 それが出来たらどんなにいいことか。だが、今のシマノにはどう足掻いてもコードを操作できるとは思えないのだ。

 しかし、ユイは引き下がらない。


「シマノ、思い出して。この世界の外から来た者には皆何か特別な能力が与えられる」

「特別な能力……」

「シマノにも、あったでしょう? その能力を、もう一度思い出して」


 自分の能力。ラケルタの森で、リザードマンの長バルバル相手に初めてウインドウを開いた時のことを思い出す。


「……そうだ。この能力は」


 あの時、ウインドウの中央に表示された文字。


DEBUG MODEデバッグモード


 シマノの呟きに呼応するかのように、ウインドウがあの時と同様に青白く輝く。その光が収まると、今までの半透明のウインドウと重なって、新たに黒い背景に白い文字のウインドウが現れた。そこにはニニィから受け取ったソースコードが表示されている。

 よく見ると、コードの所々に文字の色が異なる部分や下線が引かれた部分があるようだ。もしかすると、何かヒントが貰えているのかもしれない。こうなったら、腹を括ってやるしかないだろう。


「……やってやるよ。必ず、ムルを取り戻す」


 シマノは大きく深呼吸し、改めてウインドウと対峙した。

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