「まさかこんなところにいい場所があるなんてなぁ」
シマノが感嘆の声を漏らすと、ニニィがウインクで答える。
「でしょ♡ あたしの情報網、ナメてもらっちゃ困るんだから」
そう言いながら、ニニィの視線がふと遠くの一点に移る。シマノもそちらに目をやると、そこにはバルバルとキャンの姿が見えた。
「あの二人、意外と馬が合うみたいね」
「ええっ、本当に?」
それはシマノにとって俄かには信じがたい光景だった。あの「力こそすべて」を体現したかのような凶悪な存在が、キャンと仲良く薪を拾っているように見える。実際には、暇を持て余したキャンが一方的にバルバルに付きまとっているだけではあるのだが。
「うーん、全然いい枝落ちてねーなー。なーなーバルバルのオッサン~、その辺の木からテキトーに枝折ってくれよ~」
「お前は森のことが何も分かっちゃいねェ。いいか? 折った枝じゃ火がつかねェ。燃えやすいのは落ちて乾いたこういうヤツだ」
「へー、オッサン物知りだな! すげー!」
「うるせェ。黙って手ェ動かせ」
どうやらキャンはバルバルにすっかり懐いたようで、何度もオッサンオッサンと呼びかけては鬱陶しがられている。
その様子を見て呆気にとられたシマノであったが、一方でどこか安心している自分にも気が付いた。たとえ少しの間だとしても、共に戦うメンバーである以上仲良くできるに越したことは無いのだ。
「ちょっとシマノ~! サボってないでそっち結んで~!」
ニニィの声にシマノはハッと我に返った。二人でバルバルたちを眺めていたつもりだったのに、いつの間にかニニィはキャンプの設営作業に戻っていたようだ。
「ごめんごめん、ちょっと待ってて」
ニニィに言われた通り、シマノは頑丈なロープを高い木の枝にしっかりと結びつける。そこに大きなぼろ布を張り、タープのように屋根を作った。
そういえば、こっち来てからキャンプって初めてだなぁ、とシマノは空を見上げた。だいぶ日の傾いた空は、ほんのり赤く染まり始めている。
元の世界での記憶が無い以上正確なところは分からないが、恐らく自分はキャンプとかするタイプじゃなかっただろうな、とシマノは分析する。
だが、夕暮れ前、だんだんと暗くなっていくこの時間帯特有の、全てがうすぼんやりとしていくような感覚。人工の光が入らない場所でしか味わえないこの感覚は、素直に心地よいと感じていた。
いや、感傷に浸っている場合ではない。本格的に暗くなる前に、設営を終わらせなくては。ニニィの咎めるような視線が痛い。
日が完全に沈みきる少し前、シマノたちは無事キャンプの設営を終え、ちょうど戻ってきたユイとムルを交えて全員で焚火を囲んだ。
なんと、バルバルが薪拾いのついでに兎によく似た一角の小動物――ウサックスというらしい―を仕留めたというのだから驚きだ。生で喰うのが一番うめェと豪語するバルバルを必死で説得し、食べやすく捌いてもらったその肉を何とか焚火にかけることができた。
炎に焙られ食欲をそそる香りを発する肉を前に、シマノはふと、キャンプによる体力の回復量って宿と違ったりするのかな、などと考える。……今回の場合は強制イベントっぽいし、ちゃんと全快してくれないと困るな。
「我は寝る。火の番が必要なら起こせ」
地底まで行ってきた疲れもあるのだろうか、食事を必要としないムルは一足先に眠りについた。シマノとしては王都の要求に地底のみんながどう反応したのか聞いておきたかったし、何より大切な仲間の一人としてムルにも一緒に火を囲んでほしかったのだが、まあ無理強いは出来ない。おやすみ、と声をかけてその背を見送った。
「まさかこのバルバル様が人間のガキと同じメシを喰うなんてなァ」
焼きたての肉を豪快に噛みちぎりながら、バルバルがぼそりと呟く。不思議とその声には、人間という種に対する侮蔑の色がなかった。それよりも寧ろ、何もかもを失った自身への落胆が多分に含まれているように聞こえる。
「バルバル……」
振る舞いこそラケルタの森で出会った時から変わらず粗野で豪快に見えるが、見下していたはずの人間に敗れ、部下に裏切られ、冷たい地下牢にたった独り閉じ込められていたのだ。シマノが思っている以上に、その心は深い傷を負っているのかもしれない。
何と声をかけようかと逡巡しているシマノの脇からキャンがヌッと顔を出し、陽気に話しかける。
「だよなー! バルバルのオッサン、ニニィおねーさん、ユイ、ムル、凡人のシマノ、あと姫様と何かこえーやつ。オレもこんなにいっぱい仲間ができるとは思わなかったぜ!」
「おいなんで今わざわざ凡人って付けた?」
シマノのツッコミを完全にスルーし、キャンはウサックスのこんがりモモ肉に夢中になっている。
そんな二人の間の抜けたやり取りを目にしたためか、バルバルはフッと笑みをこぼした。
「全く、ガキどもには敵わんのォ」
「シマノはともかくオレはガキじゃねーし!」
「おい」
キャンに厳しくツッコミを入れつつ、シマノ自身もいつの間にか笑顔になっていた。バルバルは、一度は命の奪い合いをした相手だ。そんな相手と同じ火を囲み、同じ肉を食べるのは確かに不思議な気持ちではあった。だが、案外悪くないものだなとシマノは感じていた。
和気藹々と過ごすシマノたちの様子をユイが静かに見守っている。揺れる炎が彼女の白い肌を暖かく照らす。
その隣に、不自然に空いた空白を見つけ、シマノは初めてニニィの不在に気がついた。
「
突然辺りをせわしなく見まわし始めたシマノに、キャンが口の中を肉でいっぱいにしながら声をかけてきた。
「ニニィ、どこ行ったんだろって」
「ニニィなら、先に休むって」
ユイの答えに、シマノはいつの間にと驚く。ウサックスの肉が口に合わなかったのだろうか。気にはなるが、一先ず目の前の肉を食べきることに集中しよう。
食事を終えると、ユイが火の番を申し出てくれた。ありがたく甘えて、シマノたちは簡易タープに向かい寝床に就くことにする。
当然寝袋などというものは存在しないため、適当に敷き詰めた葉の上に何となく敷いたぼろ布の上で各々雑魚寝である。
驚いたことに、そこには先に休んでいるはずのムルの姿もニニィの姿もなかった。ムルは手頃な岩場を探して一人で休んでいるのかもしれないが、ニニィがいないのは気がかりだ。
おなかいっぱいでほとんど目が閉じかかっているキャンをバルバルに託し、シマノはユイにニニィとムルの不在を告げ、探しに行くことにした。
「シマノ、一人で大丈夫?」
「大丈夫、ちょっと近くを見てみるだけだから。もしいなかったら一度戻ってくるよ」
「わかった。気をつけて」
夜の林は特有の怖さがある。風に草木が揺れ、ざわざわと音を立てる。すぐそばの茂みから突然何かが飛び出してくるかもしれない不安感。
だが一方で、澄んだ空気の心地よさ、夜空を彩る星々、昼間の強い日差しとは異なる穏やかな月明り――夜しか味わえないこの空気感と、一人で出歩く背徳感。それを堪能したくてニニィたちの捜索を名乗り出たという面も、シマノには確かにあるのだった。
とはいえ、もちろん怖いものは怖い。自分の足が枯れ枝を踏んだ音に自分で驚きながら、シマノはおっかなびっくり夜の林を歩いて行った。
満月の明かりが浩々と輝き、下生えに木々の影を落とす。その明るさのおかげで、夜目の利かないシマノでも辛うじて出歩くことができた。
しばらく歩くと、いきなり開けた場所に出た。そこは、水をなみなみと湛えた広大な湖だった。まさかこんな林の中に大きな湖があるだなんて。昨日命がけで下ったリーヴ川もここに繋がっていたりするのだろうか。
その湖のほとりに、小さな影が座っているのが見えた。
「ニニィ」
呼びかけるとその影はピクリと反応し、こちらに振り向いたように見える。
シマノが近づいてみると、特徴的な桃色の髪が月明りを反射して幻想的な光を纏っているようだった。その儚げな美しさに思わず息を呑み、足を止める。
「キミかぁ。どうしたの? 眠れない?」
一切悪びれることなく、穏やかに問いかけるニニィにシマノは少し呆れた。
「眠れない? はこっちの台詞だよ。いきなり一人でいなくなるから心配しただろ」
「あらぁ、ゴメンね♡」
ニニィと並んで湖畔に腰掛け、広大な湖面を眺める。湖面は月明りを映し、ゆらゆらと怪しく、どこか神秘的な輝きを放っていた。
「あたしなら大丈夫だから心配しないで。この辺詳しいのよ」
「ニニィってこのあたりの出身なの?」
シマノの質問に、ニニィは少し考えるようなそぶりを見せた。
「うーん……このあたりっていうより……ここかな♡」
「ここって……この林?」
「……そう」
ニニィの少し言い淀む様子にシマノは違和感を覚えた。それに、この林自体が故郷だとニニィは言うが、集落らしきものもなければ他のピクシー族だって一人も見当たらない。
シマノの疑念を察したのか、ニニィが重い口を静かに開いた。
「ここにはね、昔、小さな集落があったの。あたしと母さん、他にも何人かのピクシーが住んでいた。木の実を拾ったり、この湖で魚を取ったりしながら静かに暮らしてたのよ」
どうやら会話イベントに突入したようだ。ニニィの過去を知るチャンスにシマノは密かに胸を高鳴らせる。
静かに暮らしてた、とニニィは言った。では、そのピクシーたちはどこへ行ってしまったのだろう。ニニィの言葉尻に不穏さを感じ取り、シマノは固唾を呑んだ。
「あの日。あたしが成人してすぐのことだった。集落を盗賊たちが襲ったの。奴らの狙いはピクシー。高く売れるのよ、あたしたちって」
自嘲するように乾いた笑いを漏らすニニィに、シマノは何も声をかけられず当惑することしかできない。
「そんな……」
「特に成人したてのピクシーは高かったみたいね。集落にいたピクシーは全員捕まったり殺されたりして、あたしたちの集落は――消滅した」
「……酷い」
「ここだけじゃない。他にもたくさんの集落が襲われた」
そこまで語ったニニィがふと口ごもり、シマノをちらりと上目遣いで見上げる。どうしたのだろう、とシマノが顔色を窺おうとしたその時、ニニィがシマノの両手をそっと握った。小さく柔らかい手が、シマノの手を包み込むように握っている。
「ねぇ、シマノ。ピクシーって世界中どこにでもいるじゃない? みんな襲われて売られて、何とか逃げ延びて生きてるの」
「……」
シマノは言葉を詰まらせた。脳裏に、ファブリカギルドの受付嬢が、城下町のカラコン屋が、サピ中央図書館の司書が、次々と浮かんでくる。彼女たちも、そして今隣で手を握っているニニィも、凄惨な人身売買の被害者だったのだ。
「あたしは『ピクシー狩り』を絶対に許さない。首謀者を突き止めて、必ず復讐するわ」
俯き握った両手に視線を落としながら、微かに上擦った声で誓うニニィに、シマノは黙って頷くことしかできなかった。復讐を肯定したくはないが、否定する権利もないような気がする。
「ゴメンね、こんな話に付き合わせちゃって。もう少ししたら戻るから、先に行ってて」
「……わかった。気をつけて」
暫く一人にしてほしい、と言外に伝えるかのように笑顔を見せて手を離したニニィを残し、シマノはみんなのいるキャンプ地へと戻ることにした。
「……シマノ!」
歩き出したシマノの背に、ニニィの声が届く。振り返ると、ニニィは座ったまま上体をこちらに向けていた。
「……ありがと」
満月の光が湖面を煌めかせる。逆光でニニィの表情はよく見えなかったが、何となく微笑んでいるような気がした。
……まだ確認することは出来ないが、さすがに今の会話イベントは好感度が上がっただろう。おおよそこの雰囲気に似つかわしくない身も蓋もないことを考えながら、シマノはその場を去った。
そこはかとなく満足気なシマノを見送り、一人になったニニィは静かに立ち上がった。その手には、先ほどまでシマノの指に填まっていたはずの、金色の指輪が握られている。
「ゴメンね、シマノ」
ニニィは指輪を自らの指に填め、目的地を念じる。その時、少し離れた茂みがガサリと音を立て大きく揺れた。
「っ! 誰!?」
素早くダガーを抜き、ニニィは茂みの奥を注視する。数秒の間を置いて、小さな人影が姿を現した。
「我も連れて行け」
ムルだ。背丈ほどの茂みを掻き分け、こちらに向かってくる。その途中でフードが草に引かれて外れた。透き通るような銀髪と白い肌が月明りを受け神秘的な美しさを纏う。小さな二つの影が、湖のほとりで静かに対面した。