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第44話:ルナーダ

 ラケルタの森は今、二人の男が放つ殺気によって静まり返っていた。

 かつてのボスであるバルバルと、今のボスであるルナーダは、互いに武器を握ったまま身動き一つせず睨み合っている。剣抜弩張の空気が森を支配する。


 先に動いたのは、バルバルだった。巨斧を地面に叩きつけ、衝撃波を発生させる。いくつもの亀裂が地を走り、ルナーダを目掛けて邁進した。


 ルナーダは全く動じていない。フン、と鼻を鳴らすとその場で深くしゃがみ込み、空高く跳び上がった。その頂点で長い柄の斧を構えると、バルバルに狙いを定め真っ直ぐ突っ込んでくる。

 ルナーダの斧は先端が鋭く槍状になっている。刺突と斬撃どちらにも使える、ハルバードと呼ばれるタイプだ。その鋭い切先がバルバルへと迫る。

 ところが、バルバルは避けようとしない。ルナーダの渾身の一撃を真正面から受け止めるつもりのようだ。


「愚かな。露と消えるがいい!」

「甘ェなァ!」


 バルバルは半歩身を引き、重心を大きく下げた。そして地を踏む両足にぐっと力を籠め巨斧を大きく横薙ぎに振り上げる。

 バルバルの一撃はルナーダの斧を正確に捉えた。両者の得物が激しくぶつかり、空気をビリビリと振動させる。

 斧の横腹から強烈な衝撃を与えられたルナーダはバランスを崩し、彼の落下攻撃はバルバルの肩口を微かに掠めただけで華麗にいなされてしまった。


「ぐっ……」


 そのまま地面に叩きつけられそうになったところを辛うじて踏みとどまり体勢を整えたルナーダの頭上から、大きく振りかぶったバルバルの斧が迫る。

 間一髪のところで後ろに跳び、ルナーダは自身の得意とする間合いまで離れようとした。だが、バルバルがそれを許さない。

 猛然と踏み込み、次から次へと重たい斬撃を繰り出すバルバルに、ルナーダは防戦一方だ。押され続け、とうとう体勢が崩れたところに強烈な横薙ぎが襲い掛かる。


「っ……!」


 バルバルの斧がルナーダの左腕を裂いた。一文字の傷口から鮮血が滴る。

 バルバルは斧を振り付着した血と鱗を払うと、不機嫌そうに口を歪め、怒鳴り声を上げた。


「どォしたァ!? てめェの力はこんなもんじゃねェだろ!?」

「……」


 バルバルの怒号にもルナーダは一切動じることなく平然としている。自らの左腕から滴る血液にも然程興味なさげに、ルナーダは得物のハルバードを握り直し、リーチを活かした突攻撃を繰り出す。

 しかしそれらの攻撃がバルバルまで届くことは無かった。速さと間合いで有利を取ろうとするルナーダを、バルバルは圧倒的なパワーで押し返してしまう。

 暫く切り結んだ二人が再び距離を取ると、いつの間にかルナーダの頑強な皮膚は所々裂け、生々しい傷口が覗いていた。痛みも出血量も相当なものだと考えられるが、ルナーダは全く意に介していないように見える。


「なぁユイ、あのルナーダってやつ……」

「確かに変。ダメージを受けているはずなのに、全くそうは見えない」


 それどころか……とユイが言葉を続ける。


「ルナーダはダメージを受ければ受けるほど、強くなっている」


 ユイの言う通り、間違いなくバルバルの攻撃が一方的に通っていたはずなのに、気がつけばルナーダが優勢に立っている。

 バルバルもそのことに感づいているようだ。


「クソッ……どうなってやがる……」


 肩で息をしながら睨みを利かせるバルバルに、ルナーダは口の端を歪め、憐れむように言葉をかけた。


「愚かなる旧時代の王バルバルよ。貴様に教えてやろう。俺は偉大なる魔王様の配下、操師あやつりしティロ様より闇の力を授かったのだ」

「何だとォ」


 ルナーダの言葉にシマノたち一行も思わず顔を見合わせた。


「やっぱり! あのムカつくチビだぜ!」

「? 我らより奴の背丈の方が高かろう?」


 悪気なく発せられたムルの正論にキャンが凹んでいる。

 いや、そんなことを気にしている場合ではない。どうやらティロの魔力によって、ルナーダは操られるばかりか強化までされているらしい。いくらバルバルでもこれは相当厳しい戦いになるのではなかろうか。

 こっそりスワップを使って助太刀しようにも、ルナーダのHPバーが見えない。つまり、今のシマノたちは戦闘中扱いになっていないようなのだ。バルバルが手出しをするなと言ったからだろうか。

 とにかくバルバルが心配だ。手出しはできないが、シマノたちは彼の戦いを固唾を呑んでじっと見守る。


「なァにがティロ様だ……」


 バルバルが唸るような低い声を発した。怒りのあまり、斧を持つ手がブルブルと震えている。


「てめェは昔からいけ好かねェ野郎だった……あン時だってそうだ……だがなァ、魔王だか何だか知らねェが、そンな奴の下で媚びへつらって満足するような腑抜けた野郎じゃァねェはずだ。そォだろ!?」


 バルバルの怒気を浴びながらも、ルナーダは眉一つ動かさず涼しい顔をしている。


「フン、見苦しいぞバルバル。そんなにこの力が羨ましいか」


 その言葉はバルバルの神経をより一層逆撫でする。だが、ルナーダはそれを止めない。


「なら貴様もこちらに来るがいい。この場で跪き力を乞うならば、俺からティロ様に口を利いてやっても良いだろう」


 その時、バルバルの怒気が引いた。


「……もういい。これ以上喋るな」


 バルバルの纏う殺気が、静かに凪いでいく。一瞬の静寂。直後、森中の木々に隠れていた鳥たちが一斉に羽ばたき飛び去った。

 同時に、シマノのすぐそばでとさりと何かが落ちる音が響いた。振り向くと、一緒に戦いを見守っていたキャンが腰を抜かしている。


「シマノどうしよう……オッサンたち、死ぬ気だ」


 キャンの声は震え、顔色は青褪めていた。凡人のシマノにはわからないが、恐らく何かまずい展開になっているのだろう。とにかく戦いの行く末を見届けようとシマノは視線を二人のリザードマンに戻した。


「喋るな、だと? こちらの台詞だ。もう命乞いも聞いてやらんぞ」


 瞬間、バルバルの巨斧が空を切りルナーダの眼前に迫る。バルバルが斧を投げたのだ。

 十分な間合いを確保していたはずのルナーダは驚き、急いで横っ跳びに凶刃を回避する。

 その跳び先に、バルバルが待ち構えていた。


「! しまっ……」


 得物を持たないバルバルは、四つ足で素早く回り込んでいた。低い姿勢でルナーダの迎撃を躱すと、その腕に思い切り噛み付いた。

 肉食の強靭な顎が、ルナーダの堅い皮膚を易々と喰い破り肉を削ぎ取る。


「このっ……!」


 喰らい付いたバルバルを引き剥がそうと、ルナーダは渾身の蹴りを繰り出した。

 まともに喰らったバルバルは、二三歩ふらつきながら後退りする。齧り取った肉片と鱗を吐き捨て、口元に付いた血を乱雑に腕で拭うと、次の攻撃に備え再び四つ足の体勢をとった。ルナーダから片時も離さないその眼は、底知れぬほど深く暗い。

 一方大きく後ろに引き間合いを取ったルナーダは、直立した姿勢から真っ直ぐバルバルを見下ろす。バルバルに噛まれ抉れた腕で平然と長大な槍斧を持ち、その切先を違うことなくバルバルの眉間に向け、余裕の面持ちで口を開いた。


「この程度の攻撃と引き換えに得物を手放すとは愚かな奴だ。獣らしいその浅はかな脳天に刺突の雨を降らせ……」


 言い終える前にバルバルが地を蹴った。予備動作の一切ない踏み込みに面食らいながらも、ルナーダは一歩も退くことなくハルバードによる素早い刺突攻撃をお見舞いする。

 その正確無比な一撃は確実にバルバルの眉間を突き刺し頭蓋を破砕する……はずだった。バルバルがそれを躱したのだ。

 ルナーダは若干の焦りを覚えた。自らの得意とする間合いで、正面から愚直に突っ込んでくる大きな的相手に外すなど、本来あり得ない。バルバルがこちらの所作を見切り、完全に先読みで回避したのでなければ。

 しかし考え込んでいる場合ではない。バルバルは一瞬のうちに間合いを詰め、間もなくルナーダの懐に入り込もうとしている。阻止しなければ、待つのは死だ。


「舐めるなッ!」


 ルナーダはハルバードの長い柄を活かし、迫るバルバルを横薙ぎに払った。大柄なバルバルの身体を完全に跳ね飛ばすことは難しくとも、奴の攻撃を往なし、再び自身の得意な間合いへと持ち込むことには成功した。

 ルナーダに薙ぎ払われたバルバルは倒れ込むように茂みの中へと身を潜め、気配を絶った。つい先ほどまで眼前で這いつくばっていたはずの相手が見えなくなったことに、ルナーダは少なからず戸惑いを覚える。何処だ。何処から来る。上か、下か、左右か後ろか。

 込み上げる焦燥をぐっと飲み込み、気配に神経を研ぎ澄ませながら冷静に思考を巡らせる。奴の体格で跳んだり木に登るのは困難だ。上はない。であれば、採るべき択は一つだ。深くしゃがみ込み、一息に跳び上がる。確実に相手がいない上空を、自ら先んじて支配する。

 上空から俯瞰すると、すぐに四つ足で潜むバルバルの姿が確認できた。ルナーダはフンと鼻を鳴らす。


「地を這う愚かな俗物よ。我が刃の贄と成り果てるがいい」


 大きく振りかぶった槍斧をバルバルの脳天目掛け投擲しようとした、その時だった。突然バルバルが身を起こし、目にも留まらぬ速さで大きな石礫いしつぶてを投げつけてきたのだ。


「小癪な……っ!」


 予想外の行動に、ルナーダは慌ててハルバードを構え直し、石礫の衝撃に備えた。見事飛んできた石礫を弾くことに成功したが、肉の抉れた腕では衝撃に耐えきれず、ハルバードが手から滑り落ちてしまった。


「クソッ」


 ルナーダは夢中で手を伸ばした。が、その指先は落ちていく得物に届かない。千切れそうに目いっぱい伸ばされた右腕を、闇の魔力が千切れぬよう繋ぎ止めている。

 そこにもう一つ石礫が飛来した。ハルバードに気を取られていたルナーダの視界の隅にそれが映り込む頃には、最早回避行動をとることなど出来はしなかった。

 石礫はルナーダの下顎に直撃し、意識を手放した彼の身体はだらりと力なく自然落下する。先に落下したハルバードが大地に突き刺さり、ルナーダの身体も近くの茂みに落ち、動きを止めた。バルバルの勝利だ。


 ぐったりと横たわったルナーダの元に、巨斧を手にしたバルバルが近づく。その目的を察したキャンが腰を抜かしたまま、懸命に叫ぶ。


「待って、ダメだオッサン! そいつ、ティロに操られてたんだろ? 悪いヤツじゃないんだろ?」


 だが、バルバルは歩みを止めない。


「うるせェ。黙って見とけ、ガキ」

「なんでだよ……大事な、仲間なんだろ!?」

「掟は掟だ。オトシマエってモンをつけなきゃなンねェ」


 二人のリザードマンが、静かに対峙する。


「……醜態を晒してしまったな……すまない」

「なァに、あン時の借りを返すだけだ」


 一度気を失ったことで闇の力が離れたのだろうか、ルナーダの瞳は淡い翡翠色に変化していた。


 バルバルが、巨斧を構える。ルナーダは、小さく微笑み、そっと目を閉じた。


「貴様が……変わらず強い男で……よかった」


 バルバルの振り下ろした斧は、致命の一撃となった。


 バルバルの攻撃を受け、闇の魔力を完全に失ったルナーダの身体は見る見るうちに風化していった。


「どういうことだ……?」


 シマノは困惑を隠せず呟いた。仲間たちも眼前の状況に多かれ少なかれ戸惑っている。


「……あいつはあン時とっくに死んでんだ。俺を庇ってな」


 地面に膝をつき、たった一つその場に残された頭蓋骨を抱えると、バルバルは俯く。


「悪ィ、俺の代わりに捕まったやつらを解放してやってくれ」


 シマノたちにそう告げたバルバルの声は、微かに震えていた。


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