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第48話:身体半分を部屋の外に出したままギリギリのところで本を取

 シマノは今、茶色の扉の先、試練の間にいる。凡人に専用装備など無いと判明したものの、ただぼーっと皆の帰りを待つのはあまりにも暇すぎたのだ。

 凡人のために用意されたその部屋は、試練の間と呼ぶにはかなりこじんまりとしていた。せいぜい四畳半といったところだろうか。中央に電話台のような小机が設置され、その上には大方の予想通り、黒い本が置かれている。これまでの記憶「IT系の社畜」「可愛い妹」に連なる記念すべき三冊目だ。

 また妹が出てきてくれるかもしれない。シマノは逸る気持ちを何とか抑えつつ、そっと本に触れた。


 暗い部屋。隅には四角いモニターが煌々と輝いている。一冊目の記憶「IT系の社畜」に出てきたのと同じ部屋だ。そばにはエナジードリンクの空き缶が転がり、一人の男――シマノがモニターの前に座っている。ここまでは一冊目と同じだ。

 だが、三冊目のシマノは座ったままぼーっとしていた。あれだけ必死にキーを打ち込んでいた手を一切動かさず、だらりと垂らしている。

 さらに、モニターの黒い画面に白い文字はなく、代わりに薄緑色の大きな光の輪のようなものが一つ、呼吸をするようにゆっくりと明滅していた。

 その輪が、意思を持ったかのようにはっきりと光り、合わせてモニター横のスピーカーから聞き慣れた音声が流れてきた。


「全てのデータを削除する、でよろしいですか」

「ああ、頼むよ」


 ユイの声だ。予想外の出演に、記憶を見ているシマノの意識は激しく動揺する。

 一方記憶の中のシマノは俯いたまま、モニターを見もしないで音声に答えている。


「……本当に、よろしいですか」

「もう疲れたんだ。頼む。消してくれ」

「……承知しました」


 言い終えると同時に、薄緑色の光の輪が消える。続いて、白い文字が画面の上から下へ次々と流れていく。どうやらデータ消去が実行されているようだ。

 流れ続ける文字列を、記憶の中のシマノは力なく顔を上げて一瞥すると、吐き捨てるように呟く。


「ありがとう……ユイ」


 そこで記憶は終わっていた。


「また社畜系記憶……」


 何の根拠もなくまた妹の記憶を拝めると思い込んでいたシマノは一人勝手に落ち込む。


「いや、そんなことよりユイだ」


 記憶の中のシマノは、ユイにデータの削除を依頼していた。でも、ユイ本人はこの世界アルカナの住民だとずっと主張していたはず。それなら、元の世界にいるはずがないし、そもそもユイはデータを見ることは出来ても操作は出来ないはず。


「嘘をついている?」


 だとしても、何のために? 理由を考えてみても、シマノには思い当たる節がない。

 それに、仮に嘘だとしても今この世界にいてアルカナ住民を自称しているユイは、間違いなくこの世界の元となったゲームに深く関わっているはず。

 そんなユイに依頼したということは、まさか、俺が消そうとしたのって……。


「確かめなきゃ」


 でもその前に。黒い本にセーブデータが残っていないか見ておかなくては。一冊目はカナミと遊んだ時のデータだった。二冊目は見るタイミングを逃したからわからない。

 シマノは小机に置かれた三冊目のページをめくり、中身を確認する。……あった。一番最後のページに、セーブデータが記録されていた。


「えっ……これ……」


 シマノは思わず目を疑った。サムネイルは真っ黒、プレイヤー名は文字化けして読むことができない。そのセーブデータは見るからに破損してしまっていたのだ。

 嫌な予感がする。とにかくユイに会って、この記憶のことを話さなくては。

 そういえば、この黒い本は持ち出せるのだろうか。図書館の蔵書だったりドタバタしてそれどころではなかったりで全く試したことはなかったが、持ち出せるのなら持ち出してユイに見てもらいたい。

 シマノは黒い本を小机からそっと取り上げる。恐ろしいトラップが発動する……ようなことはなく、拍子抜けするほどあっさりと本を手にすることができた。

 だが油断してはいけない。部屋を出ようとすると何か起きるタイプの罠かもしれない。シマノは一つ深呼吸をし、扉の方へと振り返った。


「無い」


 そこにあった扉が、見事に姿を消している。シマノは黒い本を机の上に戻し、もう一度振り向いた。


「ある」


 つまり、そういうことである。

 こういう時、自分が画面の向こうでコントローラーを握っているだけだったら「身体半分を部屋の外に出したままギリギリのところで本を取ると同時にメニューウインドウを開き、その状態で……」的なグリッチを是非とも試したいところなのだが、生身の身体でやるのはリスクが高すぎる。本を取った瞬間ドアが消失、身体の半分も一緒に消失、なんてことになりかねない。


「仕方ないか……」


 無理にリスクを冒す必要もないだろう。シマノは黒い本を小机の上に戻し、試練の間を後にした。


 ***


「おまえのからだを、ちょうだい」


 それは石から届いた初めての、明確な意思表示だった。これまでの曖昧な感情のようなものとは一線を画す、明瞭で具体的で、地底民のムルにとっては命令に等しいもの。

 受け入れよ、というこの試練の命題を鑑みるに、恐らくは自身の身体を差し出す必要があるのだろう。


「……よかろう」


 ムルは自らの身体の所有権を手放す事を決めた。この身は本来主のために作られたはずのものだ。主が望むならば、そう在るべきであろう。


「もらうね」


 瞬間、全身を焼くような怨念の渦が身体を支配する。地上の者への恨み、憎しみ、復讐心だけが強く色濃くムルの意思を塗り替えていく。

 このまま、全てを手放し、完全に人形となるのだろうか。薄れゆく意識の中で、ムルの脳裏にある光景が再生された。廃村で、屍の峡谷で、自分がシマノたちに対して術を放ち、皆を石で傷つけようとしている。

 と同時に、ムルの身体にはティロの術によって操られていた時の感覚が鮮明に蘇った。


「――嫌だっ!!」


 まるで何かを突き飛ばすかのように、ムルは両手を思いきり前に突き出した。石の声による支配は途絶え、ムルは感覚の戻った自身の身体を確かめるように手を握っては開いている。

 先程思い浮かんだ光景。あれはきっと、ティロに操られていた時の記憶だろう、とムルは結論付けた。思い出せなかっただけで、実際は仲間たちにあんなに酷い攻撃を仕掛けていたとは。背筋に薄ら寒いものを感じたムルは、今一度石の声と対峙する。


「くれるって、いったのに」


 その声には望みが叶わなかった落胆と、人形にまたしても裏切られた怒りとが混在していた。


「うそつき」

「すまぬ。この身体を明け渡すわけにはいかなくなった」

「どうして」

「お前は我の身体で地上の者に復讐するつもりだろう。我はお前に、地上の者を無闇に傷つけてほしくないのだ」


 ムルは正直に理由を告げた。しかし、当然ながら石の声は許してはくれない。


「また、うらぎるの。おにんぎょうのくせに」

「違う!」


 つい声を荒げてしまったが、それでもムルはどうしても否定したくなってしまったのだ。


「我は、仲間を傷つけたくない。たとえ主であろうと、仲間を傷つけさせたくない。だから、お前に身体を渡すわけにはいかぬ。我には我の、意思があるのだ」


 ムルの言葉を聞いた石の声は、確かに動揺を覚えたようだ。これまでの明確な意思表示とは異なり、あちこちで様々な声がざわめきだしている。


「おまえはこころをもってしまったの」

「ずるい、ずるい」

「わたしだって、ほしかったのに」

「わらったり、おこったり、できるの」


 どうやら石の声はムルがムル自身の意思を持っていることでショックを受けたらしい。

 さて、どうしたものかとムルは考える。先程思いきり拒絶してしまったが、この先どうやってこの試練「受け入れよ」を達成したらよいというのか。

 途方に暮れつつあるムルを尻目に、石の声は落ち着きを取り戻したようで、またはっきりとした声で語り掛けてきた。


「おまえはひとりじゃないんだね。もう、わたしのおにんぎょうでもないんだね」


 石の声の問いかけに、ムルは黙って頷く。暫しの沈黙。やがてぽつりと石が呟いた。


「うらやましい」


 ムルはそれを聞き逃さなかった。


「我とともに、来い」


 ムルの誘いに、石の声は答えようとしない。

「我は、お前たち主のことを、もっと知りたいのだ」


 それでもまだ石の声は答えない。重苦しい沈黙が流れる。それがどれほどの間続いただろうか。石の声は、徐に口を開いた。


「わたしたちはそちらへはいけない。でも、わたしたちのいちぶをおまえにあげる。だから、おまえのこころに、いっしょにいさせて」


 それは今のムルにとって十分すぎる返事だった。


「もちろんだ。石よ、我とともに」


 ムルの身体に埋め込まれた鉱石が青い光を発する。その輝きは徐々に石の涙全体へと広がっていく。石の涙が丸ごとすべて、ムルを魂から受け入れてくれているような、不思議な感覚。

 やがて水底が盛り上がり、石の柱となってムルを水面まで押し上げる。そのままムルの身体が水面から完全に外に出ると、そこは地底ではなく、元いた試練の間――青の間であった。


「……どうなっている?」


 ゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡す。さっきまであった石の涙は跡形もなく消え去り、そこには不思議そうに首を傾げるムルと、少し離れた位置に小さな祭壇が一つだけ残されていた。

 何が起きているのかは分からないが、試練は突破したとみてよさそうだ。ムルは祭壇へと向かう。


「これは……」


 祭壇の上には、小さな宝箱が設置されていた。一寸の躊躇もなく開くと、中には小さな鉱石が入っていた。


「石?」


 ムルは宝箱の中から鉱石を拾い上げ、まじまじと観察する。

 乳白色のその石は、見たことのない輝きを湛えていた。光の当たる角度によってほんのり七色に輝くのだ。それを見ていると、何だか温かい気持ちで満たされていくような気がする。


 ムルが石を見つめている間に、しれっと扉が出現していた。それに気がついたムルは宝箱の鉱石を大切にしまい込み、扉を開いて青の間からの脱出に成功した。


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