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第50話:カナミの記憶

 無数の光点と光線が織りなすそらの中を、ユイは縦横無尽に飛び回っていた。どこからか聞こえ続ける巨大なファンの回転音に呼応するかのように、光点はチカチカと明滅し自らの存在を主張している。


「取り戻す」


 ユイは自らの脳内に展開したデータベースネットワーク――この世界の理の一つ――と光点たちを比較し、差分を一つ一つ回収していく。データベース上に存在しない光点に触れると、視界にほんの数秒程度の短い映像が映り、光点とそれを繋ぐ光線がデータベース上に反映される。


 その映像は、どれもこの世界ではないどこかを映し出していた。

 白い部屋。揺れるカーテン。友だちと遊んだ記憶。まだきれいなランドセル。楽しげに響く青年の笑い声。ゲーム画面。手を伸ばす。届かなかったもの。痛み。ぼやけた視界。約束。


「……カナミ」


 間違いなく、それはシマノの妹「カナミ」の記憶だった。どれも断片的ではあるが、この試練の間に散らばっている光に触れると、何故かカナミの記憶が呼び起こされるようだ。


「取り戻せ、って……」


 光点が現れる直前に聞こえた、謎の声。それはユイに「取り戻せ」と告げていた。


「カナミの記憶を、取り戻す? 私が?」


 ユイは困惑した。少なくともユイ自身は、自分がアルカナの住民だと認識している。カナミはあくまでも外の世界の人間であり、シマノならまだしも、ユイには一切関係のない存在であるはずだ。もちろん、カナミとこの世界も特にかかわりなどないはずである。

 それなのに、カナミの記憶を回収することが「取り戻す」に当たるというのだ。


「何故?」


 次から次へと光点を回収しながら、ユイは思考を巡らせる。だが、光点に触れる度再生されるカナミの記憶がユイの思考を阻む。

 全て回収すれば分かることもあるかもしれない。一先ずユイは眼前の課題に集中することにした。


「……これが、最後」


 伸ばした指先が、最後の光点に触れる。視界が白い光に染まり、優しげな少女の声が脳裏に響く。


「あとはお願いね、ユイ」


 視界がほどけ、再び試練の間の光点が現れる。すると、ファンの音が徐々に低くなっていき、無数の光点と光線は徐々に明るさを失っていく。浮遊していたユイの身体もゆっくりと地に下り、やがて試練の間は元通り完全な暗闇となった。とうとう全ての光点の回収に成功したのだ。

 しかしユイは、今しがた自分が見聞きしたものに戸惑いを隠せず、回収完了に気がついていない。


「カナミは、私を知っている……?」


 それはあり得ないことだ。ユイはシマノを守るために作られた、このアルカナの中の存在。これまで、そう自らを定義してきた。その前提が、崩れようとしている。


 ごとり、と何か固く重いものが床に落ちる音がユイの背後で響いた。すぐに振り向くと、暗闇の中、上からの一筋の光に照らされた宝箱が一つ、置かれていた。これが降ってきた音なのだろうか。

 暗闇の中、ユイは感覚を研ぎ澄まして気配を探る。特に怪しげな気配がないことを確認し、ユイは警戒しながらも宝箱に近づいた。鍵のかかっていないその箱をそっと開くと、中には小さな部品が入っていた。


「チップ?」


 それは、ユイの小指の第一関節ほどの大きさしかない一枚のチップだった。少し古びたそのチップは、上からの明かりに照らされ、付着した汚れのようなものが目立っている。


「これをインストールしろということ?」


 ユイがチップをまじまじと見つめていると、宝箱の先にもう一つ明かりが灯った。顔を上げると、そこには緑色の扉が煌々と照らされている。出口だ。どうやら宝箱からこのチップを入手したことで試練達成と見做されたらしい。


「とにかく、シマノに会おう」


 ユイはチップをそっとしまい込み、一人頷く。カナミについて、もしかするとこのチップで何か情報が得られるかもしれない。だが、その前にシマノからカナミのことを聞いておきたかった。もし、ユイとカナミに関係があるとしたら、そこには間違いなくシマノも関わっているはずだ。

 早くシマノに会わなくては。ユイは試練の間を出るべく、緑の扉に向かって一歩踏み出した。


 その時、暗闇の中から何かがユイを目掛けて飛び出してきた。


「っ!」


 間一髪のところで躱し、ユイは光線銃を構える。銃口を向けた先にあったのは、床面に貼りついた糸だ。


「へぇ、なかなかやるじゃない」


 コツコツと響くヒールの音。暗闇の中から姿を現した女は、緑の扉の前に立つ。前開きのマントに、身体中に巻き付けた深紅の紐。深紅のピンヒールから伸びる白いふくらはぎは、明かりに照らされより一層艶かしく輝く。


「……セクィ」


 ゼノ幹部の蜘蛛女、セクィだ。今日はフードを被っていないため、深紅の髪と瞳が露になっている。周囲の暗闇からは、無数の小蜘蛛の気配が現れだしていた。

 ユイは即座に射出機を発射し、小蜘蛛の襲来に備える。と同時に、手にした光線銃の銃口をセクィに向け、ここに現れた理由を問い詰める。


「目的は何」

「フン、しらばっくれんじゃないわよ。わかってるくせに」


 セクィが不服そうに腕組みをし、カツンと踵を鳴らす。その音に反応して、周囲の小蜘蛛たちがユイに敵意を向け始める。

 しかし、この程度でユイが動揺することはない。


「あなたの蜘蛛は無意味。私の射出機で全て撃ち落とすことが可能」


 ところが、セクィの方も全く動じていないようだ。


「だから何? アタシが欲しいのはそのチップだけ。わかるでしょ?」


 なんとセクィはいくら蜘蛛を犠牲にしても構わないようだ。周囲の小蜘蛛の数が増えたであろうことがユイにも感じ取れた。

 無論、いくら増やされようと全て撃ち落とすだけではあるのだが、その隙にチップを奪いに来られると厄介だ。


「そこまでして、何故このチップを?」


 ユイの問いかけに、セクィは眉間に皺をよせる。


「まさか本当にわからないの?」


 ユイが頷くと、セクィはこれ見よがしに溜息を吐いた。


「なんでまだ思い出してないのよ。面倒臭いわねー」


 そう言い終わるとまた一つ溜息を吐き、セクィは苛立たしげに踵をコツコツと踏み鳴らした。すると、周囲の小蜘蛛の気配が徐々に消えていく。

 突然攻撃の意思を捨てたセクィに、ユイは戸惑った。本当に戦う気がなくなったのか判断がつかず、何となく射出機をしまえないまま、とりあえずセクィの様子を窺いながら探りを入れてみる。


「思い出してない、って?」

「外の世界の記憶を見たんでしょ? なのになんで思い出してないのよ」

「何故、外の世界の記憶のことを?」

を思い出してないんじゃ、エトル様を救えない」


 微妙に噛み合わない会話にユイは小首を傾げた。そして何故ユイの記憶とゼノ幹部のエトルが関係しているのだろう。要領を得ない会話から、どうやって情報を得たものかとユイは思案する。

 そんなユイの様子が、セクィをさらに苛立たせたようだ。


「もういい! こんなんじゃ埒が明かないわ。今日は引き上げてやる」


 セクィの足元に黒い魔法陣が出現する。


「いい? 次にアタシが来るまでに思い出しなさいよ」


 何を、とユイが問いかける間もなく、セクィは魔法陣から現れた黒い渦の中に呑まれていく。


「エトル様をお救い出来るのはオマエしかいないんだから……」


 そう言い残し、セクィは渦の向こうへと姿を消した。


「セクィ……」


 結局彼女の目的は何だったのか。そして、ユイがまだ思い出せていない記憶というのはいったい何なのか。

 外の世界の記憶がゼノの幹部を救う。俄かには信じがたい事態に、ユイは今見聞きした様々な出来事を受け止めきれずにいた。


「情報を整理することが必要」


 そのためにも、シマノと今見た記憶やセクィの話について相談したい。ユイは緑の扉をくぐり試練の間を後にした。


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