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第51話:もうちょっと空気読んでほしかった

 海底神殿の入り口。それぞれの試練の間へと繋がる広間で、緑と茶色、二つの扉が同時に開かれた。


「ユイ!」

「シマノ」


 なんと偶然にもシマノとユイは同じタイミングで試練をクリアしたようだ。一方、先に試練に挑んでいたはずのキャンとムルの姿は見当たらない。まだクリアできていないのだろうか。キャンたちには悪いが、この状況は黒い本の話をするのに好都合だといえる。


「ユイ、聞きたいことがあるんだ」

「私も」


 奇遇だった。ユイもシマノに話があるらしい。それならまずユイの話から聞いておこうと考えたシマノは、ユイに続きを促した。するとユイは、シマノの正面に立ち、何だか思わし気にこちらを見つめてきた。


「シマノ、手を貸して」


 言われるがまま、シマノは右手を差し出す。


「両方」


 ユイの意図が汲めないまま、シマノはとりあえず指示に従い両手を差し出した。その手を、ユイの手がそっと包み、両耳の聴覚デバイスへといざなう。


「……ユイ?」


 誘われたシマノの両手が聴覚デバイスに触れる。するとユイは手を離し、シマノの手だけがその場に残った。傍から見ると、シマノの手がユイの顔をそっと包み込んでいるように見えなくもない。手と手の間からじっと見つめてくるユイに対し、込み上げてくる恥ずかしさに耐えきれなくなったシマノは思わず目を逸らした。

 その逸らした視線の先で、ちょうど青い扉が開いた。中から顔を覗かせたムルと、目が合う。


「……邪魔したな」


 ムルはそう一言こぼすと、扉の向こうへ戻っていく。どう見てもあらぬ誤解をされたとしか考えられない。焦ったシマノが呼び止める間もなく、青い扉は閉じてしまった。


「まっ……待ってぇ……」


 涙目で扉の向こうへと訴えるシマノに、ユイがコホンと小さく咳払いをする。


「シマノ、こっちを見て。今からシマノには、私の記憶を共有する」

「ユイの記憶?」


 涙目のままユイの方に向き直ると、ユイは握りしめた手の平を胸の前でそっと開いた。その中には、古びた小さなチップが置かれていた。


「そのチップは?」

「試練の間で手に入れた。私の……いえ、カナミの記憶に関わるものと推測」


 試練の間で手に入れたということは、これがユイの専用装備ということになる。このチップをインストールすることで何らかの強化が発動するのだろう。

 それよりも気になるのはユイの発した言葉だ。このチップがシマノの妹カナミの記憶に関わるとはいったいどういうことなのか。


「どういうこと? どうして、ユイが俺の妹の記憶を?」

「私は試練の間で、カナミの記憶の断片を回収した」


 シマノは自らの耳を疑った。ユイが、カナミの記憶を回収した? この世界アルカナで生まれたはずのユイが、アルカナとは何の関係もないはずのカナミの記憶を?

 シマノの脳裏に、三冊目の黒い本で見た記憶が蘇る。やはりユイは元の世界と何かしら関わりを持っているようだ。だがそもそも、どうしてアルカナにカナミの記憶が?

 グルグルと巡りまとまらないシマノの思考に追い打ちをかけるかのように、ユイが言葉を繋ぐ。


「カナミの記憶を『取り戻す』こと。それが私の試練だった。けれど全て回収できたわけではない。このチップを読み込むことで、回収が完了する」


 ユイが話した内容にシマノはさらに動揺した。


「取り戻すって、それじゃあまるでユイが……」

「シマノ、貴方にも一緒に見てほしい」


 動揺するシマノを落ち着かせるためか、言葉を遮り、正面から目を合わせて、ユイは穏やかな声色で冷静に語り掛ける。


「……わかった」


 あれこれ考えるより、まずは見てしまった方が早いだろう。シマノはユイの聴覚デバイスに置いた手の平に意識を集中し、目を閉じた。

 シマノの準備が整ったことを確認し、ユイが左耳の聴覚デバイスの後方に触れる。するとカードスロットが開き、ユイはその中にチップを挿入した。


「インストール開始」


 ユイの言葉を合図に、聴覚デバイスがチップの読み取りを開始したようだ。微細な振動がシマノの手に伝わってくる。その振動は左耳から頭部、そして右耳へ。

 ふわり、シマノの手の上に、ユイの手が重なる。聴覚デバイスが帯びる僅かな熱とユイの手の温もりが、シマノの両手を温かく包み込む――ユイって、手あったかいんだな。そんな些末な気づきで、シマノの心は徐々に落ち着きを取り戻していった。


 最初に聞こえたのは、声だった。


「待ってろよー、絶対最高に面白いやつ作ってやるからな」


 シマノの声だ。カナミの声や姿を期待していたところに突然自分の声が聞こえてきて、シマノは少しガッカリした。


「うん。すっごく楽しみ!」


 待ちわびたカナミの声にシマノは歓喜する。さらにカナミの声は続く。


「絶対完成させてね! 私、待ってるから」

「任せとけ! 最高に面白い『アルカナ・レジェンダリー』を創り上げるからな!」


 記憶の中で、シマノとカナミの楽しそうな笑い声が響く。姿こそ見えないが、仲良くお喋りをする二人の様子が今にも目に浮かぶようだ。

 ふと、真っ暗な視界の片隅に、何かが映る。それは何の変哲もない、桃色のランドセルだった。カナミのものだろうか。

 続いて、別の何かが映る。小学生ぐらいの女の子。二冊目の記憶で見たカナミとは別の子に見える。カナミの友人だろうか。

 さらに続いて、また別の何か、そしてまた別の何か、気がつけば視界は様々な記憶の断片によって埋め尽くされていた。これが、ユイが回収したというカナミの記憶なのだろう。いっぺんに再生されてしまったため頭がまるで追いついていないが、とにかく今シマノはカナミの記憶の断片を見せてもらっている。

 無数の断片を背景に、シマノとカナミの楽しげなお喋りが続いていた。


「そうだ、お兄ちゃん。あの子もアルカナに出してほしいの」

「おっ、誰だ?」

「あのね、にこちゃん家にいるワンちゃんなんだけどね、ちっちゃくて、ずーっとキャンキャン吠えてるの! だからね、キャンって言うんだよ!」


「ぶぇえーっくしゅよぉいっ!!」


 あまりにも唐突かつ豪快なくしゃみに、シマノもユイも驚き声のする方へ顔を向けた。そこには、赤い扉を大きく開き、たった今この広間に戻ってきたばかりのキャンが鼻水を垂らしながら立っていた。


「誰だよ~勇者キャン様のウワサしてんのは~。全く困っちまうぜ~」


 鼻をすすりながら勇者は扉をくぐり、広間へと帰還する。その様子をぽかんと口を開けて眺めていたシマノは、数秒後に我に返った。


「あーーーー! 記憶! まだ途中だったのに!」


 急な大声に驚くと同時にキャンはこちらの存在に気がついたようだ。


「シマノ、ユイ! あれっ、ムルは?」

「我も今試練を終えたところだ」


 いったいどこで聞いていたというのか、青い扉からムルが颯爽と姿を現した。ついさっき見た光景については無かったことにしてくれるみたいだ。


「よーし、みんな揃ったってわけだな! シマノどーする!? オレ、強くなったぜ!?」


 キャンは専用装備を手に入れた嬉しさに一人はしゃぎ回っている。

 だが、シマノとしては今そんなことはどうでもいいのだ。くしゃみの勢いに驚き目を開けて聴覚デバイスから手を離してしまったせいで、せっかく見せてもらっていた記憶が中断してしまった。それに、シマノはただ見ているだけだからまだいいものの、もしこれでユイのインストールが中断してしまっていたら大問題だ。


「ユイ、大丈夫……?」


 シマノは恐る恐るユイに声をかける。ユイは呆然とした表情でキャンの方を向いたまま、こちらの声掛けに気づいていない。まだインストール中なのだろうか、それとも……。


「ユイ!」


 シマノが強めに声をかけると、ユイはハッと我に返り、シマノの方に向き直った。


「ごめんなさい、シマノ。私なら大丈夫。インストールは無事に完了した」


 微笑みを浮かべるユイにシマノは安堵の溜息を吐いた。

 すっかり安心したシマノはそのままユイに見せてもらったチップの内容について考察を始める。聞こえてきたカナミとの会話と、これまでに見た記憶から導き出される答えはたった一つ。この世界の元となったであろうゲーム「アルカナ・レジェンダリー」を作ったのは、


「俺、ってことだよな」


 どうやらシマノは自分が作ったゲームの世界に一切の記憶を失った状態で迷い込んでしまったようだ。なるほど、ウインドウを開いてデバッグモードが使えるのも、作者だからということなのだろう。

 まずは一歩、失われた記憶の重大な手掛かりを掴むことができた。だが、それでもまだまだ解消しない疑問がたくさんある。引き続き考察を続けたいし、ユイにももっと聞きたいことがあるのだが、全力ではしゃぎまくるキャンがその間じっと待っていてくれるとは考えにくい。


「とりあえず、指輪の回収が優先か」


 結局戻ってこなかったニニィの行方を案じつつ、シマノたちは指輪の完成に期待を込めて工業都市ファブリカへと向かうのだった。

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