僕、
まず、名前。
学校だとか病院だとか、あと会社に入ってからも、人は僕の名前の漢字を読んでよくこう誤解した。
「えーと、
僕は貴きに士しで〝たかし〟と読む普通の名前だ。でも、よく士を土つちと間違えられて〝キッド〟と誤解された。
名前だけじゃない。
そもそもが口下手で、相手に上手く思いを伝えられないから、誤解が解けることがない。
30代にもなった今だってそうだ。
たとえば、この婚活の席……
場所はスタンダードに落ち着いた喫茶店。目の前には、妙齢の女性が座っていた。
綺麗だ。思っていたよりずっと。
が、しかし
「あの、私何か気に障るようなこと言いました?」
相手は不安げにそう言った。
無理もない。自己紹介の後はすぐに会話が続かなくなり、僕はほとんど相手の話を黙って聞いていただけだ。
(全然そんなことないです! すらっとしてて綺麗だし物腰も柔らかで凄く印象の良い人ですよ!)
心の中でそう叫んでいた。
そう、気に障るようなことなんて何もなかった。
むしろ逆。単に緊張して言葉が出なくなっただけだ。
しかし、僕はここでも最悪の返答をしてしまう。
「……いや」
ただそれだけ。
『あなたが想像よりもずっと素敵だったので言葉が出ませんでした』とか、フォローを入れるべきなのに、それ以上言葉が出てこない。
僕は極度のコミュ症だった。
もっと悪く言えば筋金入りの〝陰キャ〟である。
しかもある変な癖があった。
こうして緊張してしまうと、恐ろしく無表情になってしまうことだ。
彼女から見れば、僕は何の感情も沸かない女だとばかりに、ぶっきらぼうな返事をする男。
自分と会ってがっかりしているのを隠そうともしていないと、誤解されているに違いない。
相手はどん引きするのを必死に表情に出さないよう堪えている。それだけでも十分良い人だ。
でも、僕にはそんな女性を引き留めるコミュ力がない。
「すみません……急に会社から呼び出されたので、今日はこれで」
彼女はスマホに誰かから連絡があった風を装い、早々に席を立った。
そして彼女は財布を取り出した。
あ、まずい、と僕は慌てる。
「……払おう」
僕としてはせめてもの誠意でお会計だけはと思い、同じく席を立って彼女がお金を出すのを止めようとした。
「あっ……」
「……?」
すると、彼女は何かを悟ったかのようにはっとした表情を浮かべた。
「東樹さん、私より背が低いんですね……ヒール履いてきちゃってすみません」
彼女はそう言って申し訳なさそうにした。
(はうあぁっ!!?)
僕のハートに、ガリっと十円玉で引っかかれたような傷が入る音がした。
そう、僕は背が低い。
彼女みたいなすらっとした女性がヒールを履くと軽く越えられてしまう。
それに加えて童顔だ。
婚活において童顔というのは30歳を過ぎた辺りから「若い」という好意的な意味では見られなくなる。
年相応の経験をしてなさそう、とみられがちになるからだ。
「お会計、ほんとにいいですから。じゃあ」
呆然としていると、彼女はさっさとお金を置いて去って行ってしまう。
一人残された僕は、店の前で呆然とする。
すると目の前の道路を、消防車が凄い勢いで通り過ぎて行った。
隣で誰かが足を止め、噂する声が聞こえる。
「また放火か」
「最近多いわよねえ」
「放火って自分の人生に不満がある奴がやるらしいぞ」
「じゃあアナタは関係ないわね」
「ああ。来月結婚だからな!」
「「あははは!」」
そんな幸せな婚約者カップルの隣で、婚活100連敗目を記録した男がいた。そう僕だ。
悪意がない言葉の暴力が僕の心臓を
笑われているのは僕のような気がしてくる。
ちなみに、この直後、結婚相談所から出禁を言い渡された。
「ふっ」
僕は相談所からの電話を終えた後、凹んだのを誤魔化すために、わざと余裕っぽく笑うしかない。
そして
「女に振られる度に5セントもらっていたなら、俺は今頃大金持ちだぜ」
僕はこの世で最もカッコ悪いキメ台詞を口にしていた――
◇
(このまま永遠にひとりぼっちかもな~)
婚活の予定すらなくなった休日。
1人暮らしのアパートで、僕は数少ない自慢の品を磨いていた。
それは〝拳銃〟だった。
といっても、僕は別にヤのつく危ない人じゃあないし、ましてや警察官でもない。
磨いているのはあくまで発火機構のあるモデルガン。
古めかしいリボルバー、つまり回転式弾倉の拳銃だ。
コルト・シングルアクション・アーミー。通称〝SAA〟
西部劇の映画で観たことがある人も多いだろう。
……いや、最近は西部劇なんて古典過ぎて観たことないって人も多いけど。とにかく、そういうレトロなピストルである。
僕は部屋に飾られた数々の西部劇グッズを見つめた。
古い西部劇映画のポスターや、今はなき名優のブロマイド、バッファローの頭部の骨のレプリカなどなど。
僕の憧れる西部の世界がそこにあった。
そう、僕は西部劇マニアだ。
(……自由と冒険、命を懸けた正義と男のロマン)
名優のポスターに写った、眉間に皺を寄せた渋い顔のガンマン。
これが僕の憧れだ。
(多くを語らず、己の信じる正義のために命を懸ける……それが、男の生き様!)
西部劇の主人公は多くを語らない。
寡黙で、余計な言葉は口にしない。多弁は小物のやることだ。
そして、その銃の腕前だけで運命を切り開いていく。
弱者のためにただ一人で悪党どもに立ち向かう。流れ者であるガンマンに、そこまでする義理なぞないのにだ。
そんな流れ者のガンマンを、小さな街の町娘が陰から慕っているのである……
今時流行らないロマンである。
それ以外の何物でもない。
(寡黙で銃の腕が立つ男……ふふ、まるで僕じゃあないか)
〝陰キャ〟と〝寡黙な男〟は違うというツッコミが飛んできそうな気がするが、敢えてそれからは目を逸らす。
僕は磨いていたモデルガンの輝きに、何だか楽しくなってきた。
久しぶりにガンマンの衣装を着込んでみよう。
婚活で女性受けの良い服をと、窮屈な思いをずいぶんしてきたけど、結婚相談所を出禁になった今やそんなことはしなくていい。
・
・・
・・・
着替えて部屋の姿見の前に立った。
頭には西部劇といえばこれ。シンボルマークである目深に被ったカウボーイハット。
首にはスカーフ、腰まですっぽりのポンチョ、その内側にはベストにブラウス、腰にはガンベルトを巻き、その下にはジーンズと拍車付きのブーツ。
あ、ちなみにジーンズなんて現代的なもの履いてるのはおかしいって思うかもだけど、ジーンズの発祥は西部開拓時代のカウボーイだったりする。
僕は衣装にもこだわっているから、今着用しているものはほとんどがレプリカではなく本物だ。
本革でできたホルスターは重さといい艶といい、まさに重厚である。
まあ、問題があるとすれば着ている僕が小さいから様にならないことだけど。
「……
低く、渋い声で言ってみる。
気分は決闘前のガンマンである。
目の前には因縁の敵が立っているつもりだ。
埃混じりの風に乗り、あのなんかガサガサ転がっていく草の塊……タンブル・ウィードという……が横を通り過ぎる。
「っ!!」
刹那、引き抜いた拳銃が火を噴く。
轟音と共に白い硝煙が眼前を覆い、しばらくの静寂が辺りを包む。
硝煙が晴れると、宿敵の姿はそこにない……はずだった。
「あれ……?」
妄想に没入していたけど、硝煙が晴れない。
白い煙が、もくもくと目の前に流れ込んでくる。
おかしいな。競技用の火薬も使ってないのに。
「か……」
そこに至って僕は悟った。
「火事だあああああ!!」
慌ててアパートの外へ出ようと駆けだす。
でも駄目だった。玄関にはもう火の手が回っている。
この火の巡りの速さはただの火事じゃない。
放火だ!
そういえばここんとこ周辺で不審火が多いってニュースでやってた。
「でもよりにもよって僕んとこかよ!」
窓から飛び降りるしかないか?
いやこの部屋は5階だから飛び降りると普通に死ぬ高さだ。
「げほげほっ!! うわーっ!?」
煙の苦しさから逃れようと窓を開けると、新鮮な空気を取り込んだ炎が一気に背後から吹き出してきた。
バックドラフト現象というやつだ。迂闊だった。
僕は全身を炎と煙に包まれ、意識が遠のいていく。
(え……僕ここで死んじゃうわけ?)
よりにもよって、西部劇のコスプレしている最中に。
独身で彼女もいないままで!?
死ぬ間際に未だに婚活に未練たらたらだった。
と――
『……生きたいか?』
頭の中に声が聞こえた。
「は? だ、誰?」
『残り時間は少ないぞ。もう一度聞いてやる。生きたいか?』
渋い男の声だった。
一酸化炭素を吸って幻聴でも聞いてるんだろうか。
いや、たとえそうだったとしても……
「生きたいに決まってるだろ!」
僕は最後の力を振り絞ってそう叫んだ。
すると――
(扉……!?)
炎と煙を裂くようにして、不釣り合いに綺麗な木製ドアが現れる。
もう逃げ込める場所は、そこしかなかった。