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第84話 変わりゆく関係

「はぁ……はぁっ……!」


 大急ぎで浴衣に着替えて、更衣室を出る。


 急いでも意味がないことなんて分かっていた。寛司を置いて飛び出しても、きっと由那達はまだ温泉にいる。俺一人がこうしたところですぐに会えるわけではない、と。


 でも、そうせずにはいられなかったのだ。


 一秒でも早く由那に会いたい。会って、俺の気持ちを伝えたい。


「……あれ? ゆー、し?」


「え!? 由那、お前なんでもう……?」


「えへへ、なんかゆーしに会いたくなっちゃって。一人で抜け出してきちゃった」


「っっっ!!!」


 ほんのりと顔を赤くし、緩やかな雰囲気を纏った彼女は。妙な色気と限界のない可愛さに満ち満ちていた。


 少しとろんとしている目元も、甘えるようにしてくる上目遣いも。ただでさえ普段から可愛いと思っている部分が、今は何倍増しにもなって俺の心に突き刺さる。


「あれ? ゆーしも一人……? 渡辺君は?」


「置いてきた。俺も、早く由那に会いたかったから」


「ふえ!? わ、私に!?」


「他に誰がいるんだよ。由那なんて珍しい名前、そうそういないだろ」


「……あぅ」


 自分から言うのは良くても、言われるのはダメなのか。ほんのりと耳元が赤くなって、横髪を手でいじいじしている。


 ああ、好きだ。さっきから可愛いところばかりが見つかって仕方がない。


(本当に、惚れてるんだな。俺……)


 寛司は言っていた。この感情こそが、恋愛において最も強い武器になると。


 俺は今その意味を、文字面だけではなく身体でも理解してしまった。


 由那を好きだと言うことに元々疑いはない。けれどこのハッキリとした自覚の有無は、きっと覚悟の固さを変えてくる。


 今まで、ビビって逃げ続けてきた。告白は”いつかできたらいいな”と。そんなふざけた心情で、俺は好きを露呈させなかった。


 でも今は違う。早く。早く伝えたい。俺は由那のことが好きだ。大好きだ。この気持ちはそれを後押ししてくれる。


 まさに、一番の武器だ。


「由那、俺と来てくれ」


「へ? ど、どうしたの?」


「お前に、どうしても伝えたいことがあるんだ。誰にも見られない、二人っきりの場所で」


「……へぇぇぇっ!?」


 すっ、と。ベンチに腰掛ける由那に、右手を伸ばす。


 ここでは周りに人が多すぎる。きっと、何かしらの横槍が入ってしまう。


 だから、今から告白の地を選ぶ……なんて悠長なことはできないけれど。せめて周りに誰もいない、そんな場所で。


 想いを、伝えたい。


「ふ、ふふふ二人っきりで、って。伝えたい、ことって……」


「それはまだ内緒だ。でも、すぐに言うよ」


「…………期待して、いいの?」


 期待、か。


 由那は俺の告白を喜んでくれるだろうか。俺の、このどうしようもなく溢れ続ける”好き”の感情を、受け入れてくれるだろうか。


 俺は今まで、その確信が得られずに尻込みをしてしまっていた。


 でも────


(もう、どうでもいいことだな)


 由那が俺のことを異性として好きでいてくれているのか。そんなことは告白してみれば分かることで、二の次だ。


 俺は俺の気持ちを伝える。そこに一切の迷いはない。まずはこちらが心の内を明かさなければ、相手の気持ちを知ることなんてできるはずがないのだから。


「そうだな。良くも悪くも、俺達の関係を変える言葉を……伝えるつもりだよ」


「関係……。そっ、か」


 由那は呟き、俺の手を取ると。ゆっくりと立ち上がって、じっと目線を合わせる。


 俺は、伝える覚悟を決めた。そして由那もまた、何かを俺から伝えられる覚悟を決めたようだった。


「勝手かもしれないけど、すっごく期待してる。トクントクンッて、心臓がドキドキしちゃってるくらいには」


「……奇遇だな。俺のもバクバク言ってるよ」


 手を繋ぎ、ゆっくりと。歩き出す。


 どこへ行こうか、なんてことはお互いに口にしなかった。




 ただ、静かな場所を求めて。身体は自然と、進んでいたから。

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