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第66話 別人とわかっていても

『あー、あー……聞こえるかな?』

「はい、大丈夫ですよ」


 今日もひすいさんに呼び出され、通話している。今回はどんな用事なのだろう。用件を伝えられずに誘われることにすっかり慣れてしまっていた。


『今日君に通話を誘った経緯はわかっているね?』

「いえ全く」

『なんだって!?』


 そんな大袈裟なリアクションをされても、聞かされていないのだからわからないに決まっている。いつも自由で勝手で……しかし意味のない通話はしたことがなかった。コラボや今後の方針、さらには私のメンタルケアなどをしてくれることもある。

 どうしてその悩みを持ってるのがわかるのかつくづく謎だし、あまりにもタイミングがよかったりする。勘だけでは言い表せない〝なにか〟がひすいさんに眠っているような気がした。


『……ま、いいや。本題に入るよ』

「お願いします」

『実は配信でもコラボしてほしいって声がたくさんあってね。君さえよければ対談とかしてみないかい?』


 確かに最近コメント欄でひすいさんとの対談を求める声が多くなっていた。特に雑談をしてほしいとの声が多い気がする。私としては嬉しい限りなのだけれど、ひすいさんはどうなのだろうか?

 私とのコラボを好意的に受け止めてくれているのだろうか。でも、どこまでが計算かわからない彼女のことだ。自分からそれを提案するなんて、何か考えがあるのかもしれない。


「嬉しいお話ではあるんですけど、ひすいさんはいいんですか?」

『我? どうして?』

「えっと……私なんかと対談なんて」

『いいや。君だからいいんだよ』


 あまりにも真っ直ぐな言葉に顔が熱くなる。それが嘘じゃないことも、ひすいさんの本心だという事もよくわかる。わかるからこそ、余計に恥ずかしくなった。

 通話でよかったかもしれない。対面だったら、真っ赤になっているのを隠せなかっただろうから。


「わ、わかりました……」

『うむ! 楽しみにしているよ』


 そう笑うひすいさんの顔が浮かぶ。察しのいいひすいさんのことだからきっと私の顔も向こうに勘づかれているだろうけど、それでも良かった。


『ところで、なんだか君に会いたい気分になってきたな』

「……はい?」


 言葉の意図が読めなくて、思わず聞き返す。いくらひすいさんが自由人でその言動に慣れたと言っても限度がある。いきなり「会いたい」だなんて言われると思わなかった。

 私とひすいさんがリアルで会ったのは一回スタジオに呼ばれた時だけだ。あの時はちゃんとした理由とちゃんとした場所を提示されたから向かったけど、今回の発言はなんなのだろう。ひすいさんなりの裏の意味が隠されていたりするのだろうか。


『お、その様子は何かを期待しているね?』

「いいえ、全く」

『それは残念だ』


 残念なんて少しも思っていない声色。私の反応を見て楽しんでいるようだった。もしかして、私がどう返すかも全て計算されているのだろうか? いや、流石に深読みし過ぎだろう。


『君の反応が面白いから、つい色々言いたくなってしまうな』

「こっちはいい迷惑ですよ」

『我は君ともっとお話したいのに。君はそうじゃないのかい?』


 ひすいさんの言葉に詰まる。決してそういうわけではないけれど、面と向かってそう言われると照れくさいものがある。なんて返事をすればいいのかわからず、私は黙り込んでしまった。


『沈黙は肯定と受け取らせてもらうよ』

「……もう好きにしてください」

『ふふ、我は君を楽しませる天才だからな』


 その自信を別の場所に活かしてほしいものだ。そんな思いを込めてため息をつく。でも、それが楽しくないわけではないから強く言えないのだ。

 ふと、会話が途切れて静寂が訪れる。でもそれは居心地の悪さを全く感じさせないものだった。通話越しのひすいさんの息遣いが心地よくて、このまま寝れそうなくらいだ。


「ひすいさん」

『ん?』

「……配信に遊びに行ってもいいですか?」

『当たり前だろう。いつでもおいで』


 通話越しに聞こえてきた声だけで、優しく微笑んでいるのがわかった。その姿に推しが重なるのはなぜだろう。キラキラと輝くカリスマ性、圧倒的な歌唱力、全てを赦してくれるような包容力……声も態度も喋り方も推しとは似ない。だけど、根本的な部分は似ているような気がして、別人とはわかっていながら期待せずにいられなかった。


「あの、ひすいさん」

『なんだい?』

「……またこうやって通話しませんか?」


 自分でも何を言っているんだろうと思う。でも、私の口は止まらなかった。電波に乗せてしまった言葉はもう元には戻せない。すぐに我に返って後悔する私に返ってきたのは、やはり楽しそうな笑い声だった。


『いいとも。これからも、君とたくさんお話したいからね』


 その声があまりにも優しくて、ひすいさんに似合わないななんて思いながらも私は不思議と温かい気持ちになった。こういうところが推しと似ているのかな。


『さて、そろそろお開きにしようか』

「そうですね」


 ひすいさんとの通話はいつだって唐突に終わる。特に時間制限があるわけではないけれど、配信もしたいだろうし、私としても長々と話すつもりはなかったのでありがたい。


「それじゃあ、ひすいさん」

『またね』


 通話を切ったあとも、ずっとひすいさんの声の余韻が残る。そんな不思議な感覚を覚えながら、配信の準備をする。ここ最近しおりお姉ちゃんに振舞った料理を紹介しながら簡単な料理配信をしようと思う。

 あまりそういうのは需要がないだろうと思っていたけど、案外リスナーからやってほしいとの声が多かった。何かに使えるかもしれないと、作った料理の写真を撮っておいてよかった。……機会があればひすいさんにも振舞ってみようかな。


「……まあ、いつかね……」


 いつか自分の料理を振舞って、喜んでもらえたら……そんな思いを抱きながら、私は配信の枠を取る。違うとはわかっていても、別人だと知っていても、きっとひすいさんに喜んでもらえたら推しに喜んでもらった時と同じくらい嬉しくなるだろうから。

 まあでも、そんな機会いつ訪れるかなんてわからないし、仮に訪れたとしても料理を振る舞えるかどうかは別問題だ。私は小心者の方だから、きっと勇気が出ないだろう。それにもしひすいさんの口に合わなかったら……想像するだけでゾッとしてしまう。


「ま、今考えても仕方ないか」


 そう言いながら配信開始のボタンをクリックした。ひすいさんと話していて推しが消えた悲しみも思い出してしまったが、その思いを振り払うように私は配信を始めるのだった。


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