「まあ、事務所の話はまだ表に出さないでくれ。正式な発表があるまではな」
「わかりました」
ようやくしおりお姉ちゃんの腕から解放された時には、ひすいさんはどんどんお菓子の袋を開けていて、まりは勝手に冷蔵庫を開けてお茶のおかわりを自分で入れていた。みんな自由すぎない?
まあでも、ひすいさんからの大事な話も聞き終えたため、自由にしていても別にいいか。一息つくのは大事かもしれない。
「そういえば、ひすいさんとしおりさんって同級生……なんですよね?」
「む? そうだな」
「ひすいさんは、しおりさんのことどう思ってるんですか?」
「む? どう思ってるとは?」
「いや……その、好きとか嫌いとか」
まりの突然の問いかけに戸惑いながらもひすいさんは真剣に考えているようだった。というより、なんだか楽しそうに微笑んでいる。
「君たちは本当にそういう話が好きだな」
ひすいさんは突然笑いだし、まりは呆然としていた。おそらくひすいさんの言った言葉の意味が分からないのだろう。私には心当たりがありすぎるので何も言えない。『君たち』というのは私のことも含まれているだろうから。
突然ひすいさんが笑いだしたことが気に入らないのか、はぐらかされていると思ったのか、まりはとても嫌そうな態度をとる。
「もういいです……」
「悪かった悪かった」
ひすいさんは笑いながら謝る。いつもクールで凛々しいのに、笑うと可愛くなるひすいさんはとてもずるいと思う。私がこんなこと言ったらからかわれそうなので絶対言わないけど。
「しおりのことはもちろん好きだ。だけどそれは友達として、だ」
「ふぅーん」
ひすいさんは至って真面目に答えたが、まりは納得がいっていない様子で適当に相槌を打つ。予想していた答えと違ったから面白くないのだろうか。
「おやおや、なにか違ったかな」
「あー、まりのことは気にしなくていいと思います」
「そうか? いやー、君みたいに複雑な顔すると思ってたんだがな」
「っ!」
ひすいさんは私の顔を見ながらにやりといたずらっぽく笑う。もうそのことは擦らないでほしいのだが、ひすいさんの精神年齢は子供だからこれも仕方ない……のかもしれない。
「と、ところで、ひすいさんは好きなタイプとかはあるんですか? 優しい人が好きーとか、面白い人が好きーとか」
「そうだな、我は……」
ひすいさんは少し考えるような仕草をしてから、しおりさんの方を見た。そして、また私の方を見て、にこっと微笑んだ。
「我は……君みたいな人かな」
「え?」
ひすいさんは私に近づきながらそう答えた。そして私の目の前で止まり、じっと私を見つめたまま動かない。
……また、からかわれているのだろうか。綺麗な顔が近くにあって心臓が持たないけど、その言葉を本気にしているわけではない。
私はできるだけ感情を殺してひすいさんを見つめ返すが、ひすいさんはずっと微笑んだまま動かない。これは、私から何か言わなければいけないのだろうか。
「ひ、ひすいさん、からかわないでください。私みたいなのがタイプなわけないじゃないですか」
「なんで? 我は君のこといいなって思ってるよ?」
「なっ!」
そんなまっすぐな瞳で見つめられながら言われたら誰だって勘違いする。それにひすいさんは普段からぐいぐい来るような人だから余計にタチが悪い。
私は思わず後ずさる。ひすいさんは私を追いかけるように一歩前に出て、また私の目を見つめる。そしてそのまま私の耳元に顔を近づけ、そっと囁いた。
「君は本当に罪な女だよ」
「え? ……あ」
その言葉で、ようやく周りを見た。まりはすごく嫌そうな顔でこっちを見ているし、しおりお姉ちゃんもなんだか怒っているように見えた。
「ひ、ひすいさん!」
「ふふ」
私が怒ると、ひすいさんはいたずらっぽく笑って私から離れた。そして何事もなかったかのようにお茶をすすっている。
ひすいさんは本当に読めない人だ。私の反応を楽しんでからかっているのは分かっているけど、その余裕な態度が悔しく感じてしまう。きっとみんなの反応がこうなることまでわかっていてやっているから私はいつも遊ばれるんだ。
「……なんかむかつく」
「ふふっ」
そんな私を見てまた笑うひすいさん。本当に意地悪だ。それでもそんなひすいさんのことを嫌いになれないのは……いや、やめておこう。
まりはやっぱり私のことを睨んでいるし、しおりお姉ちゃんも変わらずずっと複雑そうな顔でこっちを見ている。だけどそんな中でもひすいさんだけは楽しそうに笑っていた。……帰りたい。ここ私の家だけど。
「む、お茶が冷めてしまうぞ? お菓子もなくなっちゃうんじゃないか?」
「誰のせいだと! はぁ……」
私は脱力しながら自分のお茶をぐっと飲み干した。恥ずかしさといたたまれなさとで火照った体を冷やすために冷たいお茶を一気に飲み干したのに、全然効果はなかった。
「ははっ。まあでも、我がこんなことしても二人は我のこと好きでいてくれるだろう?」
「えっ? そりゃまあ、今更嫌いになったりしないよ」
「あっ、あたしも別に嫌いってわけじゃ……」
すごい。あんなに空気が悪かったのに、ひすいさんがまた簡単に雰囲気を変えた。これがみんなから愛されて頼られるカリスマ性……というやつなのだろうか。
それにしても空気が変わりすぎである。ひすいさんの影響力に驚きを隠せない。なぜここまで人を惹きつける力がひすいさんにあるのだろう。
「まあ、ひすいさんはそういう人ですよね。私も別に嫌いになったりしないですよ。むしろ好きです」
私は少し冗談めかして言った。だけどそれは嘘ではないし、私の中でひすいさんが憧れの存在であることは間違いなかった。
「ありがとう」
ひすいさんはそう言って微笑んだ。その微笑みはさっきみたいにいたずらっぽいものではなく、本当に嬉しそうに笑っているように見えた。
……やっぱりずるい人だ、この人は。そんなことを思いながら私はまりの方に視線をやった。すると、目が合った瞬間ふいっと目をそらされた。……あれ? なんでだろう。さっき私に怒っていたこともあって気まずいのかな?
「ははっ。我が言うのもなんだが、君たちは本当に仲が良いんだな」
「え?」
ひすいさんは笑いながらそんなことを言った。私とまりは確かに仲は良いと思うけど、この状況をわかってて言っているのだろうか。仲のいい要素はどこにもなかったと思うけど。
「ほら、そうやってすぐ見つめ合っちゃって」
「いや別に私は……あっ」
まりに視線を向けると、やはり同じように私を見つめていた。そして、私が視線に気付いたのを確認するとすぐに視線をそらす。……ん? これってもしかして……またからかわれてる?
「……ふふ、君たちは本当に可愛いな」
ひすいさんはそんな私たちを見てまた笑うのだった。