乳を同じうして枝を連ねる
そもそも与右衛門は三好之長と付き合いがある。しかし、之長が堺には進出した折、これをいち早く支援したのは他でもない天王寺屋助五郎――津田宗柏であった。天王寺屋助五郎を引き入れたのは、皮屋新五郎――武野紹晋である。
天王寺屋助五郎と皮屋新五郎の繋がりは本願寺である。天王寺屋助五郎は本願寺の御用商人であり、皮屋新五郎は熱心な浄土真宗の信徒であった。
当時、まだ納屋衆に名を連ねていなかった与右衛門は、細川京兆家の御用商人である会合衆・備中屋新兵衛に憚らねばならなかった。だが、大店の天王寺屋が率先して動けば、与右衛門も追従できる。備中屋を出し抜いた天王寺屋助五郎と与右衛門は利を独り占めすることなく、会合衆と利を共有した。
このことで、与右衛門は納屋衆に名を連ねることができた。天王寺屋が三好本家の御用を担ったのに対し、千屋は分家の御用を受けていたが、三好家が阿波に逼塞してから天王寺屋は手を退いている。阿波とは付き合い浅からぬ与右衛門が、その代わりを務め、頼りにされたのは言うまでもない。
三好之秀とはそれ以来のつきあいであり、与右衛門としては三好一族を恃みにしているところもあった。しかし、昨今の情勢はそうもいかない。之長が敗死し、三好主膳正長基が逼塞している現状を与右衛門とて面白くなく見ていた。
「これからな、讃岐の十河まで足伸ばそうと思っての」
十河氏は古代に讃岐に下向した神櫛皇子の流れをくむ植田氏の一族で、山田郡中央東部に位置する十河城を治める東讃の有力豪族である。現在は七代当主左衛門尉存景が細川高国にも澄元にも属さず中立を保っていた。
「ほう、十河殿と申しますと、左衛門尉殿ですかな」
商売のネタになりそうなことであれば、聞き逃すまいと、心の居住まいを正した。
「いや、あそこに若いのがいてな。長基さまの小姓にどうであろうかと思っての」
十河存景には金光丸という十二歳になる男子があった。中立を保つ十河に阿波から楔を打つことで、畿内への進出を容易くしたい意図が明らかである。東讃の最西部に三好の影響が及べば、摂津との経路が一つではなくなり、孤立する危険性が減るのだ。
四国から畿内へと手をのばすには淡路だけの経路では心許ない。最短経路の淡路以外にも補給路や退路は確保しておかねばならぬ。また、軍勢を養う拠点となる摂津にも近い東讃は抑えておきたい重要な土地である。
「なぁるほど、これはなかなかの買い物ですな」
十河氏は植田氏の中でも庶流であり、神内氏、三谷氏らとともに讃岐守護代安富氏の麾下につけられていた。十河氏が阿波の三好氏の後盾が得られれば、この中で一つ頭が抜きん出ることになる。存景が山田郡の惣領を狙っていることを之秀は知っていたのだ。
「ふぉっふぉっふぉっふぉ、そうであろう、そうであろう」
大仰に頷き返す三好之秀。与右衛門にもこれで、三好宗家の長老がワザワザ当主の子を伴い堺まで出てきた理由が分かった。
現在、阿波に逼塞する長基の周囲は刺客の危険性が大きくなっているということだ。刺客を送りつけているのは高国一派、やり手の右馬頭尹賢辺りならやりかねない。
その一方で、長基も調略の手を讃岐に伸ばし、同族の伊予の久米氏にも阿波への移住を呼び掛けているのであろう。ここで十河氏が三好に通じれば安富氏を三好氏の下風に置けるのだ。
「そうなりますと、土産が要りますな?」
にっこりと人好きのする笑顔で商売人の顔となった与右衛門に、一頻り之秀が大笑いをした。
「それよ、それ! 与右衛門殿はそうでなくてはならぬ」
「いつも千屋をご贔屓にありがとうございます」
与右衛門が態とらしく畳に額を擦り付ける。
さらに高笑いをする之秀に顔を上げた与右衛門が戯けた表情を見せると、二人で見合って高笑いを挙げた。