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第六服 二虎競食(伍)

みてきそ


 数日後の夕刻、稙国からの知らせが届いた。畠山稙長が敗走したという。畠山義宣は高国の予想とは異なり、東高野街道を使わず、中高野街道を進軍した。これは明らかに罠であったのだが、稙長は誘い出されて和泉野田で伏兵に遭い、畠山義宣に敗れる。しかも、稙国の着陣前に高屋城は戦らしい戦もせずに落城、義宣が入城してしまい、稙長は大和へと落ち延びた。


「なんということよ……」


 高屋城に入れなかった稙国は、八尾城に入り畠山総州勢が高屋城より北上せぬよう警戒しているという。稙国はそれで良いが、転戦させる予定であった香西元盛と柳本賢治がそこに足止めされていることが問題だった。本来ならば、錦部郡の日野に稙長が攻め入り、稙国はその後詰めをする役割である。稙長が義宣を敗れば、そこから香西元盛と柳本賢治の両人と細川晴宣の軍勢で挟撃体制を整えることが出来たのだ。このままでは晴宣の手勢が手薄になってしまう。かといってすぐに増援に出せる手駒はない。


 ならば、城の守りを稙国に任せ、二〇〇〇を残し、香西元盛や柳本賢治は直属の兵一〇〇〇のみを率いて晴宣の援軍とするしかなさそうだ。


 二人が居らずとも、守備だけならば稙国だけでどうにかなる。高国の懸念は他にあった。


 総州勢の北上は警戒せねばならぬが、奴らの意識は稙長が落ち延びた大和に向いている。何故なら元々総州家の地盤であった大和は赤沢朝経に奪われ、朝経の死後は尾州家に横取りされている。取り戻したいと考えない方が不自然だ。


 つまり、この余勢を駆って八尾城や若江城に攻めてくることは考えにくい。大和に侵攻するためにも、まずは勢力の維持――すなわち国人らとの関係の回復を優先するであろうからだ。


「ならば、まだ手はある!」


 大内義興が去って以後、高国の政権はなかなか安定しなかったが、ようやく落ち着きを見せたばかりなのだ。世の中を理解せず、いたすらに戦を続けなければならないようなまつりごとしかできぬ讃州家の田舎者どもに幕府は任せておけぬ。義晴を戴いて、やっと幕府の栄光を取り戻す一歩を踏み出したのだ。此処でつまずく訳にはいかない。


右馬頭細川尹賢偏殿これに」


 小姓に命じて細川右馬頭尹賢を呼び出す。


 稙国は八尾城から動かさず、義宣を排除するのと同時に岸和田城の細川刑部大輔元常を除かねばならぬ。義宣の蜂起と元常の岸和田城復帰は連動しているに違いない。ならば、尹賢にその繋がりを断たせればよいのだ。


 大和より筒井や十市らを呼び寄せれば、稙長とて直ぐにでも復帰出来る。その為には、大和衆を一時的にでも稙長の麾下に加えるしかなかった。稙長を排除するのは、細川氏の内訌を終わらせてからでなければ、自分の首を絞めるだけである。


(このまま澄清すみきよ如きにいいようにされてたまるか)


 澄清とは澄元の実子・六郎のことである。本来、京兆家当主の仮名である六郎を公に名乗っており、将軍家より一字拝領も受けられず、当主の通字も用いられず、その故にもとひと名乗っていた。だが、高国は六郎が澄元の子であることを以て、貶めるために渾名を付けたのである。それが澄清であった。


「必ずや、あのわからず屋どもをって、義晴公の許に天下泰平を成し遂げて見せる!」


 高国の想いは唯一つだ。養父政元が起こした将軍家の分立を解消し、幕府の威光を取り戻すことである。そのためにも、六郎には負けられなかった。


 高国にとって、六郎元は志の無い孺子こぞうに過ぎない。そしてその側近の可竹軒周聡と三好主膳正元長は室町幕府を根柢から覆そうとする不逞の輩と写っていた。


 特に三好元長の父・筑前守之長の無双振りは、高国とて知っている。戦に強く、政にも長けていた之長は嫉妬と畏怖を以て細川家中から排除された。高国はそれを間近で見ていたのだ。


 この高国の予感は正しい。だが、その予感が正しいことを誰も証明することはなかった。

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