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第30話 朝比奈の相談


 文字面だけみれば『イベントの手伝い業務』という、それほど大きくはない案件なのだが、規模の都合で話が大きくなってしまった。


「うちの会社で、チーム作らないとならないような超大型プロジェクトって、なかなかないですもんねぇ」

「そうそう。スーパーさんの物産展とかだって、うちではこんなに人数掛けないからね」


 このあたりにだけ展開しているスーパーマーケットが、年に一度、『北海道物産展』というのを開催する。大手百貨店の規模と比べれば、あまりにも小さな規模のイベントなのだが、それでも、達也たちの会社にとっては、一大イベントだった。


 準備に数ヶ月かけ、印刷の手配から、出店業者とのやりとり、チラシの作成などなど、さまざま遣ることがあったため、そのシーズンになると、残業と休日出勤が増えるというおまけ付きだった。


「なんでうちなんですかねぇ」

 とは凪の言葉だ。


 社内のミーティングスペースで、第一回目の顔合わせをすることになったのだった。まだ、先方から話を聞いていないので、今は、頭合わせという状況だ。


「ああ、それはね」と藤高が身を乗り出した。「先方が、前にうちが会議の手伝いをしたときの対応が良かったから、あちらの社内で、そういう情報が残っていたと言っていたよ」


「へぇ、その時のメンバーって誰ですか?」

「ああ、もう辞めちゃった人と、あと、瀬守君なんだ」

 凪と興水の視線が、達也に集中する。


「凄いですね。何年も前のことなんですよね?」

「そうなんだよ、何年も前の事なのに、社内で共有して下さって、ありがたいことだよね。だから、うちの会社じゃなくて、瀬守のメールに入ったんだよね、この話も」


「プライベートのメールアドレスとかじゃなくて、会社の個人メールですよ」

「でも、一担当者の方に連絡が来るって凄いですね」


 口々に誉められて、なんとも、こそばゆい気持ちになる。会社員になると、それほど日常で誉められることがなくなる。褒め言葉は、そのまま、甘く心に忍びこんで来る。


「そういえば、ORTUS社さんの企業動向は、大体纏めてきました」

 とは凪だった。「共有しておきましたので、あとでチェックお願いします」


「えっ、もう調べてたのか?」

 驚いた藤高が声を上げる。


「はい、リサーチは十分にするように、いつも瀬守さんに指導頂いているので……ただ、まだ、アウトラインだけなので、不十分なものだとは思いますが」


 謙遜して言う、凪の言葉を聞いた達也は、舌を巻く。

 自分の成果を提示するだけでなく、達也にまで花を持たせるのだから、大したものだった。


「さすが瀬守だなあ。瀬守と水野は、結構仲良くやれてるみたいだよな。良い事だよ。これで、良いチームを作っていけると、なおさら良いよね」

 うんうんと藤高は頷いている。


「ご期待に応えられれば良いですが」

 曖昧に受けて、達也は、笑顔を張り付かせる。なんとなく、空気がピリピリしている。興水と凪の間に、バチバチと火花が散っているので、達也は頭が痛くなった。





 頭が痛くなったミーティングを終えると、定時を回っていた。もう少しやることはあったが、疲労感が強く、在宅勤務に切り替えようかと思ったところだった。


(在宅で片付ければいいや)


 なんとなく一人になりたくて、帰り支度をして居ると、隣の席の朝比奈が「あれっ、瀬守さん、もう帰るんですか?」と声を掛けてきた。


「ああ、そろそろ帰ろうかなと……あとは、在宅でも出来る仕事だから……」


「そういう在宅の仕方してると、永遠に仕事するようですよ」

 朝比奈が笑う。


「まあ、それはそうなんだけど……」

 なんとなく会社にいたくないんだよ、とはさすがに後輩には言いづらい。


「それより、瀬守さん、ちょっと、今から時間とかありますか?」

「いまから?」


「うん。……ちょっと、相談があって……」

 朝比奈が口ごもる。達也は、(自分で相談になるんだろうか)とは思ったものの、ただ単に話を聞いて貰いたい、と言うこともあるかも知れないと思って、

「ああ、それなら、どこかで飯でも食いに行く?」

 と誘う。


「えっ、いいんですか?」

「まあ、用事もないし」

 在宅で片付けようかなと思っていた仕事があるくらいだ。明日遣っても問題はない。


「やった。じゃあ、どこにします?」

 どの程度、人に聞かれたくない相談なのかにも依るよな、とは達也は思う。恋愛くらいならばどこでも良いだろう。会社の愚痴なら良いが、もうちょっと込み入った話なら、半個室か個室が良いだろう。


「ちょっと思いつかないや。朝比奈の方でどこかある?」

「あっ、ありますっ! 瀬守さん、野球好きっすか?」


「えっ? ……うーん、別に好きでも嫌いでもないなあ」

 しいて言うならば、子供の頃、スポーツ少年団で熱血指導を受けたのが、多少トラウマになっているくらいで、贔屓のチームも居ないが、オリンピックとかそういう時にだけ、すこし熱心に見るくらいのものだった。


 贔屓のチームの話になると、途端に機嫌が良くなったり悪くなったりする人がいるが、ナショナルチームだと、大抵悪く言わないというのがあるからだ。


「そうなんですか。そっかー」

「なんで? スタジアムにでも行きたいの?」


「そうじゃなくて、スポーツバーに行きませんっ? って話です」

「スポーツバー……行ったことないな」


「うん。今日は、野球の試合やってるから、多分野球です。で、ビールとか、フィッシュアンドチップスが美味いんですよ~」


 朝比奈が笑いながら言う。相談というより、単に、一緒に飲みに行きたいというような話なのかも知れないなとは思ったので、

「じゃあ、そこに行くか」

 と快諾した。


「やった。じゃあ、行きましょ!!」

 朝比奈と一緒にオフィスを出て行くとき、「お疲れ様でした」と声が掛けられるが、ことさら冷えた声だった。凪、だった。



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