プロジェクターではホーム側のチームの攻撃で、ホームランが出たらしく、店内がドッと湧いた。
「あっ」
思わず声が出てしまったのは、朝比奈がビジター側のファンだというのを聞いたからだった。
「あー、点取られちゃいました」
がっくりと肩を落としたところに、フィッシュアンドチップスが運ばれてくる。
白身魚のフライというか天ぷら、とポテトの盛り合わせだった。
「これって、このまま食べるの?」
「あっ、これです、ケチャップとか、レモン汁とか、酢とか掛けて食べます。俺は、マヨ派です」
朝比奈が小皿に取り分けてくれる。
「あっ、ありがと」
「いえいえ。これ、好きなんですよ」
「そうなんだ。……これってなんだっけイギリス名物だった?」
「そうです。ちょっと、イギリス行ってみたいですよね」
朝比奈が笑う。イギリス、と聞いて、思い出したのは神崎のことだった。一生、会いたくない人物ではあった。イギリスに行ったところで、ばったり出くわすことは無いと思うが……。
「あれ、達也さんはイギリスは、あんまり興味ないですか?」
「あっ? えーと……そうなんだよな、ほら、イギリスってあんまりご飯が美味しいイメージがなくて」
ははと笑う。
「ああ、確かに、三十年くらい前だと『イギリスで一番ご飯が美味しいのは香港』っていう冗談があったらしいですよ」
「え、香港?」
「ええ、たしか……、一九九七年にイギリスから中国に返還されたんですよ、香港って」
返還、と言われても、いまいちイメージが追いつかない。
確かに、世界史か何かでやった気がする。
戦争かなにかでイギリス領になっていた。それが返還されたという話だったか。三十年ちかくも昔のことなのでイメージが付かないが、たった三十年のこと、でもあるだろう。達也は一九九五年生まれだが、達也が生まれて間もない頃、香港は、イギリスだったということになる。不思議なことだ。
「……香港も行ったことないけど、ある日いきなり、今日から、中国人ですっていうことになったのかな、香港の人たち」
「そうでしょうねぇ……」
それも想像出来ない。例えば、会社で考えたところで、イメージが湧かない。ある日、いきなりM&Aでどこかの会社に買収されて、今日から佐倉企画ではなく、A社です、と言うようなイメージが一番近いだろうか。
佐倉企画の瀬守です、と名乗っていたのがA社の瀬守です、となる。落ちつかない感じがした。
「ある意味……」
と、朝比奈が呟く。「女の人って、結婚すると名字が変わるじゃないですか」
「女の人だけに限らないと思うけどな」
「それも、こんな感じなんですかね」
「解らないけど……、今までの人生と切り離される感じはあるかも知れないよな」
想像出来ないことばかり、朝比奈は言う。
「うん、そうなんですよね、俺も、社内恋愛とか、うらやましいですけど……この間、笠原さんと弓月さん、社内結婚したじゃないですか」
「あー……たしかに」
「あれ、うらやましいなあと思って」
朝比奈は、ビールを一気に飲み干した。黒ビールだ。そんな風に一気飲みするようなものではないだろうに、とは思った達也は「おい」と制止するが、朝比奈は、さらに注文を追加していた。
「ソーセージと、ビールと……瀬守さんもビール追加しますね」
達也のグラスは半分くらい残っていたので、慌てて達也も残っていたビールを飲み干す。
「あと、なにがいいだろ。あ、生ハムも注文しよう」
勝手に注文していく朝比奈を見やりながら、達也は「うらやましいって、社内恋愛が? 面倒じゃないのか?」とだけ聞く。
達也は、面倒くさい。近場でごちゃごちゃしたくない。仕事ならば仕事に集中したい。仕事中に、ちょっと接触してきたら、誘ってきたり……こんなことは、全部面倒でたまらなかった。
「……だって……」
と小さく呟いて、朝比奈は、テーブルに突っ伏した。
「お、おいっ!?」
「……だって、俺、社内に、気になる人がいるんですもん」
「えっ?」
思わず大声を上げていた。朝比奈の交流関係など今まで気にしたこともなかったが、まるで気が付かなかった。
「な、マジで?」
「こういう相談って、……本気じゃなかったらしないですよ」
ぷう、と朝比奈が頬を膨らませる。酔っては居るのだろうが、言葉は本気らしかった。
「そ……っか……」
「そうですよぉ~。……なんか、最近、瀬守さんも、ちょっと、雰囲気違うから、付き合ってる人とか居るのかと思ってたんですけど」
鋭い、と達也は背中に冷たい汗が伝っていくのを感じていた。
「別に、俺は、付き合ってるやつなんか居ないよ」
「じゃ、結構、遊んでたりします?」
さらに、鋭い。どう返答して良いか、迷う。実は、マッチングで出会った相手と適当に遊んでいる………今時、普通のことかも知れないが、相手が男だというのは、知られたくない。
「……俺のことはいいだろうが」
「えー、俺だって教えたんですから、教えてくださいよぉ」
朝比奈が、教えて教えて、とせがんでくる。酔っているらしい。酔うと絡み酒になるのか、すこし、鬱陶しい。
「教えない……まあ、今は、全く、誰とも付き合ってないよ」
「そうなんだ。なんか、ちょっと、意外です」
朝比奈が、ポツリと呟く。
「なんで?」
「んー……なんか、瀬守さんって、ああ、笠原さんと弓月さんも言ってたんですけど、なんか、ちょっと、雰囲気が、エロい……? っていうか、色っぽいから?」
「なんだ、それは」
今まで言われたことはないぞ、と言おうとしたとき、ドキっとした。
『だけどさ、お前、って、なんか、ヘンに男を誘ってるような感じがあるんだよ』
『お前って、そういう、雰囲気があるんだよ』
神崎と、初めて会ったとき、そう、言われた。
あの時まで、達也は、男性と、行為に及ぶと言うことを考えたことはなかった。性嗜好としては男性が好きだというのはあったが、学生時代はそこまで進んだことはない。誰かに付き合うにしても、違うエリアの人を選んでいた。けれど、あのまま、神崎に馴らされ、そのまま、神崎に堕ちた。
「……同僚とか、後輩からそう言う目で見られているというのは、ちょっと、気分が悪いな」
ぽつり、と呟くと朝比奈が慌てた様子で否定した。
「す、す、すみませんっ! そりゃ、不愉快ですよね! ……でも、なんか、そういう感じなんですよ。だから、ストーカーとかには注意してください。俺は、他に好きな人がいるから、安心してくださいね!」
明るくガッツポーズを取ってみせる朝比奈に、どう返答して良いか解らず、達也は、はあ、とだけ小さく呟いた。