オフィスを出て休憩の為に、外に出ることにした。いつものカフェが、満杯で、行列まで出来ていたので、他へ向かうことにした。
「なんか、凄い行列だったな」
呆れながら、達也が言うと、興水が笑う。
「新作の発売日なんだよ。若い子、みんな新作ドリンク、SNSに掲載したがるからね」
「SNSとか、チェックしてるんだな」
達也といえば、SNSのアカウントは持っているが、活用出来て居るかと問われると少々謎だ。たまに、風景の写真をポストするくらいなので、フォロワーも殆どいない。
「こういう仕事だから、一応、全年代のリアルなリサーチのつもり……だけど、そんなに上手くはいってないよ」
興水は笑う。
「そうなんだ」
「……じゃあ、とりあえず、そこの喫茶店にするか。瀬守は行ったことある?」
「ないよ」
その辺に喫茶店なんかあっただろうか……と思っていると、興水は、裏路地のほうへ入っていった。達也は、立ち入ったことがない道だった。自転車がやっと通れるくらいの細い路地だった。
「え、こんな所に。喫茶店なんかあんの?」
「まあ、ついてきなよ」
妖しい店じゃないだろうなあ、とは、すこし警戒する。
細い路地は、すこし湿っていて、土っぽい匂いがした。
「あっ、猫……」
道の真ん中で、でっぷり太った三毛猫がのんびり昼寝している。きっと、人通りがなさ過ぎて、道の真ん中で寝ていても、誰も気にも留めないのだろう。
「……瀬守は猫派?」
「えっ? うん、まあ、猫派かなあ。たまにストレスが溜まったときとか、猫の動画とか見てるし……」
「あー、やってそう」
興水が、楽しそうに笑っている。なんとなく、居心地が悪く感じながら、「大体の人間は、猫動画で癒やされるだろ」とぶっきらぼうに告げると「ま、ちがいないよね」と興水は納得したようだった。
「あっ、瀬守、こっちだよ」
路地から、さらに細い道を入っていく。こんな所に、本当に店があるのだろうか。大通りの喧噪も、今は聞こえない。
「なあ、本当に……」
と達也が聞きかけたとき、コーヒーの香りがしてくるのを感じた。香ばしい薫りだった。
「えっ、コーヒー……? 本当に?」
「こんなことで嘘なんか吐かないよ。た、ただ……あんまり沢山の人には教えないでね。会社の人間が沢山居ると、俺が気詰まりだし」
なんとも身勝手なことを言うものだと、達也は苦笑する。
「お店の売上げに貢献とかは考えないのかよ、勝手なヤツだなあ……」
「ああ、確かに、考えたことはなかったな。俺は、……どちらかというと、好きなものは独り占めしたい性格なんだよ」
なんとなく、そこに、別な意味が滲んでいるような気がして、なんとなく、気分が落ち着かなくなる。
「……まあ、俺は気長だし」
と一度言葉を切ってから、興水は達也の耳元に囁いた。「ネトラレも興奮するタイプだけどな」
吐息混じりの囁きに、腰が甘く震えるのを感じながら、「ちょっ! お前っ!」と抗議の声を上げるが、興水は、しれっと告げる。
「えっ? だって、今の、そのまま普通に話せば良かった? まあ、俺は、別に、特定の誰かのこととは言ってないけど」
「……おまえっ……っ!」
「ま、コーヒー飲んで落ち着こう。……ここのは本当に美味しいんだよ」
大通りから入った路地、そのさらに先。猫くらいしか通らないような細い道の道沿いに、無垢材の引き戸が印象的な、小洒落た店が建っていた。珈琲焙煎所という看板と豆のマーク。それに、黒板が出ていて、今日の焙煎上がりの銘柄が書いてある。
「コーヒーの焙煎所……」
「そうそう。コーヒーって、薫りが命だから、本当に美味しい珈琲を飲みたかったら、焙煎所併設のところが一番だよ。ただ、コーヒーと、ちょっとした焼き菓子しかないけどね」
店内は、こぢんまりとしていた。
炭火焼きのような、香ばしい薫りに満ちていて、すこし薄ぐらい店内に、イートインスペースが八席あった。小さな店だ。
焙煎らしき装置に加えて、ネルドリップの装置も見える。
「こんにちは」
店の人は、焙煎の作業中だったようなので、気長に待つ。
程なくやってきたので、今日のお勧めという珈琲を注文した。
「では、お席にお持ちしますね」
店主が一人で切り盛りしているのだろうか。達也と、大差無い年齢に見えた。
(独立して、一人でやっていくのは大変そうだな……)
けれど、こんな場所で、イートインも少なそうだし、商売になっているのだろうか。そんなことを心配していると、見透かしたように、興水が壁に貼りつけてあった、QRコードを指さした。
「ん? これ……?」
スマートフォンを取りだして、QRコードを読み込んでみる。
すると、表示されたのは、この店のホームページというか、ECサイトのようだった。出店という形で、珈琲を販売しているようだった。
「通販が殆どだと思うよ。それと、ここの焼き菓子、同じECサイトに出店している別のお店とコラボだよ」
「へぇ……」
この仕組みがあれば、地方の小さなお店が、全国の客を相手に商売が出来る。
店舗まで来て珈琲を飲んで貰うことは出来ないかもしれないが、通販の客は、集客を工夫すれば、次々増えていくだろう。
達也には考えも付かないようなことを考えて、実践している、大差無い年齢の人がいる、というのを実感して、なんとなく、焦りのようなものを感じてしまった。