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第35話 思わぬ散歩


 オフィスを出て休憩の為に、外に出ることにした。いつものカフェが、満杯で、行列まで出来ていたので、他へ向かうことにした。


「なんか、凄い行列だったな」

 呆れながら、達也が言うと、興水が笑う。


「新作の発売日なんだよ。若い子、みんな新作ドリンク、SNSに掲載したがるからね」

「SNSとか、チェックしてるんだな」


 達也といえば、SNSのアカウントは持っているが、活用出来て居るかと問われると少々謎だ。たまに、風景の写真をポストするくらいなので、フォロワーも殆どいない。


「こういう仕事だから、一応、全年代のリアルなリサーチのつもり……だけど、そんなに上手くはいってないよ」

 興水は笑う。


「そうなんだ」

「……じゃあ、とりあえず、そこの喫茶店にするか。瀬守は行ったことある?」

「ないよ」


 その辺に喫茶店なんかあっただろうか……と思っていると、興水は、裏路地のほうへ入っていった。達也は、立ち入ったことがない道だった。自転車がやっと通れるくらいの細い路地だった。


「え、こんな所に。喫茶店なんかあんの?」

「まあ、ついてきなよ」


 妖しい店じゃないだろうなあ、とは、すこし警戒する。

 細い路地は、すこし湿っていて、土っぽい匂いがした。


「あっ、猫……」

 道の真ん中で、でっぷり太った三毛猫がのんびり昼寝している。きっと、人通りがなさ過ぎて、道の真ん中で寝ていても、誰も気にも留めないのだろう。


「……瀬守は猫派?」

「えっ? うん、まあ、猫派かなあ。たまにストレスが溜まったときとか、猫の動画とか見てるし……」


「あー、やってそう」

 興水が、楽しそうに笑っている。なんとなく、居心地が悪く感じながら、「大体の人間は、猫動画で癒やされるだろ」とぶっきらぼうに告げると「ま、ちがいないよね」と興水は納得したようだった。


「あっ、瀬守、こっちだよ」

 路地から、さらに細い道を入っていく。こんな所に、本当に店があるのだろうか。大通りの喧噪も、今は聞こえない。


「なあ、本当に……」

 と達也が聞きかけたとき、コーヒーの香りがしてくるのを感じた。香ばしい薫りだった。


「えっ、コーヒー……? 本当に?」

「こんなことで嘘なんか吐かないよ。た、ただ……あんまり沢山の人には教えないでね。会社の人間が沢山居ると、俺が気詰まりだし」


 なんとも身勝手なことを言うものだと、達也は苦笑する。


「お店の売上げに貢献とかは考えないのかよ、勝手なヤツだなあ……」

「ああ、確かに、考えたことはなかったな。俺は、……どちらかというと、好きなものは独り占めしたい性格なんだよ」


 なんとなく、そこに、別な意味が滲んでいるような気がして、なんとなく、気分が落ち着かなくなる。


「……まあ、俺は気長だし」

 と一度言葉を切ってから、興水は達也の耳元に囁いた。「ネトラレも興奮するタイプだけどな」


 吐息混じりの囁きに、腰が甘く震えるのを感じながら、「ちょっ! お前っ!」と抗議の声を上げるが、興水は、しれっと告げる。


「えっ? だって、今の、そのまま普通に話せば良かった? まあ、俺は、別に、特定の誰かのこととは言ってないけど」

「……おまえっ……っ!」


「ま、コーヒー飲んで落ち着こう。……ここのは本当に美味しいんだよ」


 大通りから入った路地、そのさらに先。猫くらいしか通らないような細い道の道沿いに、無垢材の引き戸が印象的な、小洒落た店が建っていた。珈琲焙煎所という看板と豆のマーク。それに、黒板が出ていて、今日の焙煎上がりの銘柄が書いてある。


「コーヒーの焙煎所……」

「そうそう。コーヒーって、薫りが命だから、本当に美味しい珈琲を飲みたかったら、焙煎所併設のところが一番だよ。ただ、コーヒーと、ちょっとした焼き菓子しかないけどね」


 店内は、こぢんまりとしていた。

 炭火焼きのような、香ばしい薫りに満ちていて、すこし薄ぐらい店内に、イートインスペースが八席あった。小さな店だ。


 焙煎らしき装置に加えて、ネルドリップの装置も見える。


「こんにちは」

 店の人は、焙煎の作業中だったようなので、気長に待つ。

 程なくやってきたので、今日のお勧めという珈琲を注文した。


「では、お席にお持ちしますね」

 店主が一人で切り盛りしているのだろうか。達也と、大差無い年齢に見えた。


(独立して、一人でやっていくのは大変そうだな……)

 けれど、こんな場所で、イートインも少なそうだし、商売になっているのだろうか。そんなことを心配していると、見透かしたように、興水が壁に貼りつけてあった、QRコードを指さした。


「ん? これ……?」

 スマートフォンを取りだして、QRコードを読み込んでみる。

 すると、表示されたのは、この店のホームページというか、ECサイトのようだった。出店という形で、珈琲を販売しているようだった。


「通販が殆どだと思うよ。それと、ここの焼き菓子、同じECサイトに出店している別のお店とコラボだよ」

「へぇ……」


 この仕組みがあれば、地方の小さなお店が、全国の客を相手に商売が出来る。

 店舗まで来て珈琲を飲んで貰うことは出来ないかもしれないが、通販の客は、集客を工夫すれば、次々増えていくだろう。


達也には考えも付かないようなことを考えて、実践している、大差無い年齢の人がいる、というのを実感して、なんとなく、焦りのようなものを感じてしまった。


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