興水はコーヒー豆を買って帰ったが、焙煎された状態の、丸のままのものを買ったようだった。
「その……なんだ? ガリガリするやつ、もってんの?」
会社への帰り道、気になって、達也は聞く。
「ああ。持ってるよ。面倒なときは電動のミルだけど、手回しのやつもあるよ。一日、仕事して帰って、家の中で自分の為にゆっくりコーヒーを入れる時間が、最高の幸せだからね」
「へー……。なんか、綺麗な、モデルルームみたいな部屋に住んでそうだな、お前」
しかし、その部屋からは、達也の部屋を覗いているのだ。そのことは、気になったが、とりあえず今は、気にしないようにした。
「気になる?」
「……ま、ちょっとくらいは」
けれど、絶対に興水の家に、のこのこ行くことは出来ない。
(なんでか知らないけど、俺狙いっていう話だしなあ……)
それでなければ、近所の同僚の家に行くというのは、そんなに悪いことでもないのだが……と思う。
「まあ、気が向いたら来てよ……。瀬守は、水野の家には行ったことがあるの? 逆に水野は、瀬守の部屋に入ったことはある?」
「行き来なんかしないよ」
「じゃ、どこかのホテルなんだ」
さらっと結論を出したことに驚きつつ、「お前なあ、そう言うことを言うかな、普通」と溜息を吐く。
「だって、気になったから仕方がない」
「それにしたって、デリカシーはあるだろうが」
「……ところで、俺にもおススメのラブホの一つや二つあるんだが、一緒に行かないか?」
「何でカフェ感覚で誘うんだよ」
信じられない。とたんに、どっと疲れる。
「一回くらい良いんじゃないかと思って」
「なんでそうなるんだよ……」
「まあ、でも気になったら、声かけてよ。あ、なんなら、高級ホテルでも構わないけど。ちょっと、憧れるよね、高級ホテル」
ドキッとした。高級ホテル。何度か、利用したことがある。神崎と過ごすとき、わりと、高級ホテルが多かった。エレベーターが違うのが便利だ、と神崎は言っていた。エグゼクティブフロアまでたどり着くためには、専用のキーがなければエレベーターが動かない。エレベーターは、一般客室のエレベーターとは異なっていて、一台は目立つ所にあったが、もう一台は駐車場に近い裏側の通用口近くにあって、駐車場から直行できる。
(あれは、今思うと、年間リザーブかなにかだったんだろうか……)
一泊十万円ちかくするような客室を、年間押さえていると幾らになるのか解らない。
神崎は、そして、きっと。
(俺だけじゃなくて、いろんな愛人がいたんだろうなあ……)
神崎には、もう会うことはないだろうが、会ったとしても、昔のように胸がひりつくような気持ちになることはないだろうと思っている。
「誰のこと考えてるの? 昔の男?」
興水が、達也の方を見ずに聞く。
「……別になんだっていいだろ。ただ、まあ、高級ホテルって言っても、メシが出るわけでもないし、寝るだけなら、その辺のビジホでも変わんない気がするけどなと思っただけで」
「特別感って言うのはあるだろう? 雰囲気とか」
「……わりと、雰囲気とか、そういう演出するの好きなんだな」
そういえば、一軒家レストランも、雰囲気は良かったなと達也は思い出す。
「だって、デートなら雰囲気作りは大事だろう?」
「で、デート……って……」
「まあ、また、デートしよう。どこか気になる店とかあれば、予約取るよ、俺は、おうちデートでも構わないけどさ」
「……お前とサシのみは行かないよ」
「そこはガート固いんだな。誰でもいいなら、俺でも良いだろ」
「……だから、近場でごちゃごちゃしたくないんだよ、俺は」
「また、面倒くさいって?」
「そうそう。全部面倒くさいよ」
お前らしいなと、興水は笑う。達也は、なんとなく居心地が悪くて仕方がない。
「会社とか仕事の時に、そういうことを言うのはやめて欲しいんだけど」
「でも、個人的に連絡したら、電話もメールもLINEも無視するだろ」
「無視しないかも知れないし」
大抵は無視するだろうなとは思った。無視しないタイミングがあれば、よほどの緊急事態とか、そういう時かも知れない。
「……お前からも連絡はしないだろ」
「いや、解らないよ。もしかしたら、部屋に……ネズミが出たとかさ、そう言うときなら呼ぶかも知れないし」
「便利屋の番号教えてやるけど、ネズミなんか居るのか?」
「意外に居るよ? 雨が降ると、なんかちっちゃいネズミがあちこちウロチョロしてたりするよ。うちの近くに川があるだろ。あの辺から上がってくるような気がする」
「それは……嫌だな」
興水が心底嫌そうな顔をして呟く。
「じゃ、川の近くじゃないところに引っ越したら良いんじゃないか?」
そうすれば、達也も、家が離れるから万々歳だ。
「今の家は気に入っているんだよ。それに、賃貸じゃなくて、購入しちゃったからなあ……」