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第58話 俺は、もう、誰も好きにならない


 興水はタクシーに乗り込むとすぐに寝入ってしまい、一度も起きなかった。


 達也の自宅前まで連れてきた貰ったので、興水のマンションも近くのはずだ。


「おい、おきろ。お前の家まで連れて行ってやるから」

「あー……うん」

 まだ、覚醒がしっくりきていないようだった。


 ぼんやりしながら、半ば反射的になのか、ふらふらと歩いて行く。肩をかしてやりつつ、家へと連れて行く。昨日は、こうして、達也が凪に連れて行ってもらったことを考えると、すこし、変な気分だった。


 興水のマンションは、達也のマンションとは通りを挟んだ向かいだった。


「興水、何階?」

「七階」


 エレベーターに乗り込んで、七階へ向かう。達也の部屋は四階だ。七階の位置からでは、四階の達也の部屋は、電気が付いたのを察することくらいは出来るだろうが、生活の様子まで探られることはないだろう。それだけはホッとした。


「興水、何号室? 鍵は?」

「鍵は……、ここ……」


 カバンの中から鍵を取りだして、手渡され、達也は指定された部屋へ向かう。


(コイツの部屋って、結構片付いてそうだよな……)

 モデルルームのように、スッキリとして、生活感のない部屋のイメージだ。社内の誰に聞いても、そう言うだろう。


 鍵を開けて、中に入るなり、達也は「はっ?」と声を上げてしまった。


 部屋に入ると、作り付けの大きなシューラックがあるが、そこにはDMとおぼしきゴミと共に乱雑に靴が詰め込まれ、水回りらしき扉、通路があってその先にリビングと、もう一室あるようだったが、廊下には、ゴミ袋が山積みになっていた。正直、足の踏み場を見つけることが出来ない。


「えっ、え……っええっ?」

 これは本当に興水の部屋だろうか、と達也があっけにとられていると、「踏んで構わないから」と興水が言う。踏んで、というレベルではないが、興水は、部屋のゴミを踏みつけて歩いているのだろう。


(えーと、部屋は綺麗でありますように……)

 と一縷の願いを託して部屋に行くと、同じような惨状が広がっていた。


(なんだこりゃ……、生活が、全く出来てない……セルフネグレクト……)


 あっけにとられつつ、「とりあえず、お前はもう寝ろ! ベッドは寝られる状態なんだろうなぁ」と寝室に向かい、中へ入って、電気を付けて、今度は別の意味で絶句した。


「は……っ? なに、なにこれ?」

 部屋の中は、一面、達也の写真で埋め尽くされている。壁中、天井に至るまで、達也の写真で埋め尽くされている。どれもこれも、取られたのが身に覚えのない写真ばかりだ。


(あ、ストーカーって、コイツだったんだ……)

 部屋の中の盗撮らしき写真もある。


(これ、訴えたら、完全に、俺が勝つ気がする……)

 しかし、いつまでも、この部屋に居るのは危険だ、と達也はすぐに気持ちを切り替えた。


「じゃ、お前は寝てろよ! じゃあ……」

 最後まで、達也の言葉は紡ぐことは出来なかった。とん、と押されて、ベッドに倒れ込んでしまったからだ。そこに、すかさず興水が覆い被さってくる。


「興……水……っ」

「……きのうは、水野としたの?」


 興水の声は、冴え冴えとしていた。昼間の熱気は、不思議と感じなかった。ずっと、冷房を付けているらしかった。


「お前には関係ないだろ……」


「あるよ。……頭がおかしくなりそうだった。俺は、会社で、一人で、トラブル対応をやってるのに、今頃、お前の事を、あいつが好き勝手してるんだって思ったら……」


「どういう妄想してるんだよっ! あと、この部屋はなんなんだよっ! 俺にだってあるだろう、肖像権っ!」


「……まあ、ほぼ盗撮だから、誉められたもんじゃないのは確かだけど……ここでさ」


 興水は、達也の身体の上から退いて、ベッドに転がった。そのまま、達也を抱き寄せる。脚まで絡められて、容易には逃げられそうもなかった。


「……ここで、毎日、瀬守とするのを妄想しながら、一人で抜いてたんだよ」


 興水は陶然と呟く。達也は、と思わず、ぞっとした。


「……セフレが欲しいんだろ。だったら、俺でも良いだろ。……ねぇ、凪には、何回やらせたの?」


「お前なっ! いい加減しろっ! 取り合えず、寝ろっ!」

 心配して損をした、と達也は吐き捨てて、目一杯の力で興水を突き飛ばす。


「なあ、瀬守」

 やっとの思いで興水の腕から抜け出した達也に、興水は静かに聞いた。


「なんだよ」

「瀬守は、凪が好きなの?」


「えっ」

 思わず、聞き返していた。シンプルな問いに、達也はどう答えて良いか、一瞬、躊躇った。


「好きなわけないだろう……どこまで行ったって、男同士なんだから、惚れた腫れたがやりたかったら、そういう相手を探せよ。俺は、そういうのは、うんざりなんだよ」


 神崎の件で、完全に懲りていた。

 もう、ああいう思いはしたくない。


 本気で恋なんかしたくない。

 それは、相手が、凪であろうと、興水であろうと同じ事だった。


「俺は、瀬守が好きだよ。部屋中、こんなふうにしちゃうくらい好きだよ」


「……好きって、こんな風にすることなのか?」

 存外、冷たい声が出たものだ―――と達也は思う。


 興水も、驚いていた。


「俺は……俺だって、好きな相手くらい居たけど、こんな風じゃなかった」


 もっと――――おろかだったかも知れない。

 気分が、凪いで、冷えていくのを達也は感じていた。


 最初から遊ばれていただけだと知ったときの絶望感は―――今思い出しても、全身の血が凍るようなものだ。


 神崎のすべてを知りたくて溜まらなかった。神崎の一番になりたくて溜まらなかった。だが、神崎を、『推し』のように崇拝することはなかった。だから、興水のこの部屋を見た時、コレが本当に、恋なのかと、疑問が出て、一気に冷えた。


「俺は、お前が好きだよ、瀬守」

「……でも、俺は、もう、誰も好きにならない」


 見下ろした興水は、傷ついた顔をしていた。呆然と、達也を見ている。縋り付くような顔をしている、とも思ったが、達也は気にしなかった。


「じゃ、俺は帰るよ。ちゃんと寝ろ。ここ、オートロックだよな? じゃ」


 また明日。

 興水は、微動だにせず、一言も言葉を発しなかった。




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