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第62話 興水と出張


「同室とは思っていなかったけど、まさか、ここまでやるとは」

 行きの特急列車の中で、興水が、ため息を吐いた。


 凪が今日の宿泊先を手配してくれたのだが、なんと、電車で数駅離れた場所だった。



 凪曰く。

『課長さんは、都内だったら、宿泊費一万二千円までOKですけど、係長さんは、都内九千円なんですよね』



 ということで、自己負担も多少あるが、グレードが多少異なるホテルを選択したと言うことだった。


 さすがに、数駅離れた部屋から、興水がやってくるとは思えなかったので、凪には『良くやった』と心から誉めてやりたい気分だった。


「……水野は、お前と二人の出張だったら絶対に同室にしてたと思うよ」

 ぐちぐちと言いながら、昼食のサンドイッチに手を伸ばす興水に、達也は冷たく言う。


「あのさ。さすがに、仕事に行くんだから、そんなことはないでしょ。仕事は仕事優先ですよ、俺も凪も」


 興水は黙ってサンドイッチを食べている。

 その姿を見て、多少、溜飲が下がった。




 ORTUS社は、東京の都心、丸の内にある。

 大きなオフィスビルで、東京駅から有楽町方面に少し行ったビル街にある。低層階は飲食店やファッションブランドが入っていて、人の行き来がそれなりにある。


「達也、これ似合いそうだな」

 示されたのは、高級ブランドのメンズラインだった。


「ジャケット一枚で給料が飛ぶような服は、分不相応だよ」


「これそのものがっていう意味じゃなくてさ、こういうスタイリング?」


 見れば、おそらくK-POPのアーティストらしい、整いすぎた顔立ちの男性が、素肌にジャケットを羽織っているポスターが張り出されている。


 素肌に黒いジャケット。細身のチャコールグレイのパンツ。ブランドのアイコンとも言えるクラッチバッグ。大きなゴールドのピアス。真珠のネックレス。


「……いやいやいやいや」

「素肌にパールのネックレスはエロいと思う」


 耳元に囁かれて、とっさに肘で鳩尾を突く。


「おまえ、そのセクハラ発言なんとかしろよ! 今から、大事な会議なんだぞ!」

「ああ、わるいわるい」


 ちっとも悪いと思っていないような口振りだったので、達也は思わずため息が出た。


「……お前は、こういうセクシー路線じゃないよな。顔は整ってて美形だとは思うけど」

「? じゃあ、何路線?」


「んー……、もっと、オーセンティックな感じ?」

「三つ揃えのスーツとか?」


「そーそー」

「俺はそんなに堅苦しい感じかな」


「お前の部屋を見るまで、大体の人間が、スタイリッシュな、生活感のない部屋で過ごしてる、クール系だと思っていると思う。俺もそうだった」

「今は?」


「生活感に溢れまくった部屋と、人には公開出来ない類いの趣味部屋をもつ、割合危ないヤツ」

「そっか」


 興水が、身体を二つに曲げて笑う。


「引かれてても、全部捨てろとか言われなくて良かった」

「捨てろって言ったら捨てるのかよ」


「捨てたくない。……苦労して撮った写真ばかりなんだ」


 達也は一瞬、元カレと家でいろいろしていた時の写真を撮られていないだろうかと、ひやっとするが、そういう写真を撮ったら、きっと、興水は理不尽に怒り出しそうだとは思ったので、多分、そういう写真はないのだろう。


 つくづく、同室で出張に行かずに済んで良かったと胸をなで下ろす。


 一緒に出張に行っていたら、何をされたか解らないし、どんな記念撮影をされたか解ったものではない。


「とりあえず、先方の会社に入ったら、こういう話は一切止めろよ!」

「わかったよ。勿論」


 達也と興水は、ORTUS社のエントランスへ向かった。




 エントランスは、強固なセキュリティシステムに守られている。

 ゲートがあって、通常は、社員証で通過出来るが、今回は、ゲストの為、通過の仕方が違う。


 約束の時間の十五分前になると、先方からメールで『入館許可証』が届く。それは、オンラインで先方のセキュリティシステムに繋がる。あらかじめ、専用のセキュリティシステム・アプリを入れておけば、決められた時間ないだけ入退室可能なQRコードが発行される。


 それをかざして入場するシステムだった。

 QRコードをかざすと、


『ORTUS社へようこそ。

 それでは瀬守様、奥の6号エレベータで42階大会議室までおいでくださいませ』


 と音声で案内してくれる。圧倒されながら、佐倉企画の執務室ほどの広さがあるエレベータホールで、到着を待つ。なんと、セキュリティシステムが、エレベータまで呼んでいるらしい。


「……大企業って、なんか違うよなあ」

「そうだね。オフィスも凄く綺麗だし……」


 こういう企業の、イベントを担当するのだ―――つまり、この程度の事ならば、驚かないような人たち、が相手の仕事だと思うと、背中から冷水を浴びたような心地になった。


 いくら、田舎の会社にいるからと言っても、意識は変えなければならないだろう。


「とりあえず、解らないことは正直に解らないって言うことにする。ヘンに、知ったかぶりしても仕方がない」

「そうだな……」


 興水の方も、すこし、緊張しているのか、顔がこわばっているのが印象的だった。


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