大会議室は、数百人は入ることが出来るだろうという、フロアぶち抜きで作られたスペースだった。
都内の一等地で、この面積を常に確保していると言うことが恐ろしい。
圧倒されながらも、達也は興水と共に、担当に挨拶をして、席に案内された。
秘書課のバッヂを付けた美しい女性社員に案内され、会議の要項と、飲み物まで用意されたのには恐縮した。
「一度、佐倉企画さんとはお話ししたかったんですよ」
ということで、フレンドリーに話をして貰えたのが、ありがたい。
そうでなければ、田舎から来た会社ということで、すみっこのほうで、小さくなっていたかも知れなかった。
会議には、今回のイベントに参加する、十八の企業が出席した。
大会議室では広すぎるとは思ったが、「今日は、重役が応接室を占領しておりまして」と最初に案内があって、合点がいった。
会議自体は順調に進み、各社と連絡先を交換することも出来たので、まずは一安心だった。
会議の予定時間は二時間だったが、それより一時間オーバーしている。
早めに辞した方が良さそうだなと思っていると、担当の菊田が、何やら電話をしているようだった。
「……あ、すみません、佐倉企画さん、ちょっと、よろしいですか?」
菊田が呼ぶので、行ってみると、
「瀬守さんに、お電話です」
と社給の電話を渡された。
「どなたでしょうか?」
「あ、瀬守さんもご存じの方ですよ」
にこっと笑われて、拒否出来ず、電話に出る。
「もしもし、お待たせ致しました。佐倉企画、瀬守でございます」
相手は、一瞬、間を置いたようだったが、すぐに応答があった。
『元気そうだね、達也』
つま先から頭の天辺まで、一気に、ぞわっと怖気が駆け上がってきた。
「か……んざき……さ……」
『よかった。覚えててくれたんだね。……今回、うちのイベントに佐倉企画さんが参加するって聞いて、担当は達也だって聞いていたからさ。ちょっと、本社に来てみたんだ。
そうしたら、今日、君が来てるっていうから、驚いてね。
……インビテーションの書き換えは面倒だから、俺の宿泊先のラウンジで待ってて。久しぶりに食事をしよう』
拒否されると言うことを、前提にしていない会話だった。
顔色が悪くなった達也を心配して「瀬守?」と興水が声を掛けてくる。
「あ……その、前にお世話になった、ORTUSのヨーロッパ支社長の神崎さんから、食事に、誘われたので……」
興水の眉が跳ね上がる。
「……神崎さん、あの」
『同伴の上司がいるかも知れないけど、一人でおいで』
「わ、かりました……それでは、失礼致します、後ほど、お目にかかるのを楽しみにしています……」
それだけを告げて、達也は電話を菊田に返す。
「あ、はい。畏まりました。すぐに……了解です」
菊田は神崎となにやら、やりやりとりをしているようで、電話を終えると「ハイヤーを手配致しましたので、ホテルまでご案内しますね」と達也に言う。
「なにからなにまで、お手数をおかけ致します」
「いえいえ、うちの神崎が、絶対に失礼がないようにと強く念を押しておりましたので。……ハイヤーの方は、もう到着していると思いますから、二階の車寄せまでどうぞ」
「ありがとうございます……あ、興水。俺、ちょっと、神崎さんに誘われてるから……。また、明日は会場直行で」
「それは解ったけど」と興水がぐい、っと達也の手を取り、耳元で聞いた。
「お前、その神崎さんってのと、なにかあったのか? 本気で顔色がおかしいぞ」
「……いや、神崎さん、もう、雲の上の人だからさ……緊張しちゃって……」
手に汗をかいている。緊張は、間違いない。
「お前がそう言うなら、いいけど……」
「うん、じゃあ、俺は、神崎さんと逢ってくるから……この格好で、入れる場所か、ちょっと、迷うけど……」
「あ、大丈夫ですよ。スーツでしたら」
菊田が声を掛けてくれたので、そのまま、エレベータへ乗り込んだ。
車寄せから出る事が出来るのは、『来客』や『重役』だけだ。一介の出入り業者には絶対に許されていない。
ハイヤー、と言っていたはずだったが、待っていたのは、黒塗りの車だった。国産車だったが、最高峰の車だ。そしてそれを運転するのは、重役室付の運転手だった。ORTUS社でも、この車に乗ることが出来るのは、ほんの数名だ。
「神崎より申し使っております。本日の運転手を務めます、横川でございます」
壮年の運転手に丁寧な礼で迎えられ、扉を開いて、中へと誘われる。
こんな対応は、達也が受けて良いはずがなかった。
「神崎は、こののち、二時間ほど遅れます。ホテルのラウンジには、申しつけておりますので、軽食やドリンクをお召し上がりになって待つことも出来るかと思いますが……もしよろしければ、あちこち、車で名所案内なども可能です」
正直、東京観光という気分でもなかったが、食事に誘われているというのに、ラウンジで軽食を食べているわけには行かないだろう。
「それでは、お忙しいところ申し訳ありませんが、名所を案内して頂いてよろしいですか?」
「かしこまりました。もし、お降りになりたい場合は、その都度お申し付け下さいませ」
黒塗りの車は、滑るように走り出す。
エンジン音もしなければ、およそ車に乗っていて感じる負担というのが、一切なかった。
高級車、というのに初めて乗るが、こういうものなのだと言うことを、実感する。
「……横川さんは、運転手歴が長いんですか?」
「はい、入社以後、二十五年、運転手を務めております」
「じゃあ、凄い人も、沢山乗せて走られたんでしょうね……」
「そうですね……、アメリカのIT企業の創業者様などは、お乗せしましたが……、どうも新幹線の方がお好みだったようです」
さらりと告げられた名前に、ぞっとした。
誰もが知る名前。歴史の教科書に名前が載るレベルの人物だ。
「あー……新幹線って、海外の方に、人気があるみたいですよね」
適当な相づちを打ったあと、達也は、思い切って聞いてみた。
「以前、神崎さんにお世話になったんですが、しばらくご無沙汰していたんです。……仕事の面でもそうですが……」
「プライベートで、特にお親しくなさっていたとは、伺っております」
「えっ」
「……秘書室と、運転手は、重役のプライベートな動向は掴んでおります。失礼なことがあると大変ですので」
それは、どういう意味だろうか。
あの時期の達也は、神崎はどう、対外的に説明していたのだろう。
友人、か。知人か。仲間か。……愛人か。
「神崎さんは……、なんと……」
「特別に親しい方と」
特別、という言い方が、まだ、胸に甘く響く。
「何年も逢っていなかったのに、まだ、親しくして頂けるのでしたら、光栄ですね」
なんとか笑顔を作ったが、横川の観光案内もだんだん聞いているのが苦しくなって、早めにホテルに向かうことになった。