レストランを出てから、興水がなにやらスマートフォンでやりとりをしていた。
「あー、もしもし? うん、神崎さん、なんかちょっと、瀬守にセクハラ気味だったんで、出てきました。藤高さん、今どこッスか?」
どうやら、藤高と連絡を取っているらしい。
「えっ、今、上野? あ、じゃあ、どっかでメシ食いましょう! なんか、気分が悪くて!」
「うんうん、あ、解りました~。御徒町ね。りょーかいですっ!」
興水は電話を切って、ハァッ、と一つため息を吐いた。
「飯食いに行こ。皆、居るってさ」
「御徒町?」
「らしい。……韓国料理だって。藤高さん意外だな~」
興水が、ちょうど客を乗せてやってきたタクシーに向かっていき、乗車できるか確認している。丁度、次の予定がないと言うことで、乗せて貰うことにして、御徒町までタクシーで向かった。現在地は、地図アプリでも開けばすぐに解るだろうが、そこから地下鉄を探して移動するのが面倒だったし、
(多分、一刻でも早くここを離れたいんだろうなあ)
とは思った達也だが、特に、何も言わなかった。
御徒町と上野の中間あたり、大通りを挟んだところに、古くからのコリアンタウンがあるという話だった。
「コリアンタウンなら新大久保とかじゃないの……?」
「あっちは、若い女の子が多くて疲れそうだし、流行の食べ物は食べられると思うけどねぇ」
「あとさ……興水、お前、めちゃくちゃ、怒ってる、だろ」
「ええ? なにがぁ?」
すっとぼけているが、怒っているのは明白だ。
「お前、怒ってるとき、めちゃくちゃ食べるんだな。覚えておく。……あと、まあ、俺のことで、そんなに怒らなくても良いと思うけど」
興水は、ピタと脚を止めた。店の前。沢山の食べ物の写真が貼ってあって、居酒屋のような感じだったが、詳しくない達也には、よく解らない。
「お前があんなことを言われたら、あれは、俺にも関係があるんだよ」
「なんで?」
「……お前……、自分が大事にしたい、自分の好きな奴が、目の前で別な男に愛人にしてやるって言われたら、黙ってるわけには行かないだろうが」
「なるほど……いわれてみれば、そういうシチュエーションだった」
そして、言葉にして見ると、中々、凄惨な現場だ。
「今時、愛人はねぇよなあ」
「それだよ。俺は、お前があの人の愛人になるくらいなら、無理矢理でも、お前をモノにするからな」
ドキッと、した。
「な、なんだよ、それ」
興水の眼差しは、真剣で、達也は、その眼差しから、目を逸らす事が出来ない……。
「俺は、真剣だよ」
「それは……見りゃ解るよ」
「……しかし、お前の事狙ってるヤツ多いよなあ。ったく、おちおちしてられない」
「えっ、と別に、そういうことは……」
「俺に、神崎さんに、凪に……あと、妙に慕ってる朝比奈とかも」
「あいつは藤高さんだよ」
思わずぽろっと喋ってしまって「いまのナシで」と口許を押さえる。
「へー……じゃ、そっちは、うまく行くようにアシストしよう。これでうまく行かなくてお前が恋愛相談に乗ってる間に、グダグダ持ち帰られたらたまったもんじゃない」
「いや、俺、そこまで、尻軽かな……」
「割と、流されやすいだろ。だから心配してるんだよ」
尻軽は同意されなかった。けれど、流されやすい、と言われて、確かにそうだと納得してしまう。
「大方、凪だって、流されて、だらだらしてるんだろ」
「べつに、そういう訳じゃ……」
けれど、もし、流されていないのだとしたら、一体、どういう理由で凪と関係を持ち続けているのか。
「そういやさっき、凪に聞かれた」
「なにを」
「俺の宿泊費の精算が、二名分に跳ね上がってた理由だってさ」
「……ふーん」
興水が、にんまり笑っているのを見た達也は、これは言わなければ良かったかも知れない、と思ったが、後の祭りだ。
「じゃ、そろそろ店に入ろう。みんな居ると思うし」
店内は、こぢんまりした感じで、なおかつ、それほど清潔感もなかった。凪たちのテーブルを見るとすでに飲み会をやっていたらしく、韓国焼酎の緑色の瓶が五本も突っ立っている。
「あっ、遅いぞー」
藤高が大声で呼ぶ。
「あっどーも」
「……なんか、トラブったってきいたんですけど、大丈夫っスか?」
池田が赤い顔をして聞いてくる。
「大丈夫じゃないから、ここに居るんだよ。大丈夫だったら、今頃、高級で、どこの国のだか解らない西洋料理を食べてるところだったよ。フルコース」
「なんスかそれ。マジでお持ち帰りみたいな感じっスね!!」
はははと笑った池田の言葉で、ずん……と達也の気分が沈んでいく。
「あ……うん、……そっち方向のな……トラブルだったんだよ……」
「えっ!?」
立ち上がって、凪が達也に近付いてくる。
「ちょっと、達也さん大丈夫ですか? ……触られたり、いろいろされたり……まさか、昨日の夜の宿泊費……」
「あー、それは違う。もろもろあって、アレは、興水の……」
隣で、興水が「お前……」と小さな声で呟く。
目の前で、凪の目が、すぅ、と細くなっていくのを見た。
「へぇ? 興水さんと、二人で、泊まったんです? シングルですよね」
全身の雰囲気が『説明しろ』というオーラを出している。達也は、
「かいつまんで説明する。昨日から、あの人とちょっとセクハラまがいのトラブルになりそうな雰囲気が合った。で、俺は、逃げて、やけになってるところを、興水と一緒に焼き肉に行って、俺は食べ過ぎて、興水のスーツをゲロ塗れにして、仕方がないから、俺の部屋で泊まることになった」とだけ告げた。
「ついでに言うと、コイツ、俺に焼き肉代払わせてるからな」
「あ、すまん、それはあとで請求してくれ」
「まあいいよ。別タイミングでおごってくれれば」
「……それで、興水さん、今日はジャケットなしなんですね。ご愁傷様です」
凪は、割合あっさり引いてくれたので、達也は、ホッと胸をなで下ろす。
「それにしても、セクハラまがいって凄いですね」
「俺もびっくりしました……一応、音声、録ってあるんで、これ以上トラブルになるようだったら、藤高さん、うちの法務のほうに、コレ、提出することにします」
「……うちの法務って、そんな人いた?」
藤高が首を捻る。
「それが居るんですよ……。影が異様に薄い人が……だけど、中々やり手だって噂ですよ。ただ、社長も姿が解らないって言ってましたけど」
「あの、瀬守さん、大丈夫ですか?」
朝比奈が、おずおずと問う。
「今は。ただ……ちょっと、もし、状況が悪くなるようなら、相談とか、チームを外して貰うとか、考えるかも知れない。その時は、よろしく」
「えーっ、達也さんがチーム抜けたら嫌ですよぉ!」
池田が叫ぶ。
チヂミを運んできた店員が「ちょっとあんたら少しうるさいよ」と声を掛けてきたので、少し、反省はした。
「うん、俺も、出来ればこのチームでちゃんと最後まで仕事がしたい……」
「ヘンなことをしてるのは、向こうなのに。なんで、こっちが引かなきゃならないんですか。おかしいでしょうっ!」
朝比奈が、酔った勢いで管を巻いていて、店のオバチャンが、ぎろり、と睨んでくる。
乾いた笑いが漏れる中、凪と興水が何かを話しているようだった。