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第96話 王子様のキス


 凪は、救急車に乗るほどではないといったものの、処置は必要だし、達也にしても、誘拐の被害に遭ったと言うことで、病院に行くことになった。


 救急隊員が病院に連絡してくれたので、タクシーを捕まえようと思っていたら、「外にタクシーが待ってましたよ」と教えてくれた。凪たちも、呼んだ覚えはないと言っていたが、念のために外に出て確認すると、凪が乗って来たタクシーの運転士が待っていてくれた。


「あっ、さっきの……」

「あんた、怪我してるじゃないか。大丈夫なのか? 誘拐された人は?」

 タクシーの運転士が運転席から降りて、凪を心配そうに見ている。


「大丈夫です。こちらが、誘拐されていた先輩です……それで、救急隊員の方から、病院を紹介して貰ったんですけど、病院まで、お願いできますか?」


「おう、もちろんだよ! いやあ、それにしても、良かったよ。……ここは、なんというか、特権階級みたいな人が来るところだろう? だから、誘拐も、解決出来るか……心配してたんだ。なんなら、ここにお兄さんが入って行ったっていうのは、ドラレコで証明出来るからね。ちょっと、待っててみたんだよ。良かったよ」


「ありがとうございます。……気に掛けてくださってありがたいです」

 凪が笑う。タクシーの運転士は、「いやあ、こっちが勝手にやったことだから……よし、それじゃ、病院までいくとするか」と運転席に乗り込んだ。


 運転士には少し待って貰って、あとのことを藤高と興水に任せることにした。そしてタクシーに乗り込む寸前に、スマートフォンを取りだして、録音を止めた。動画と、文字興ししたものがクラウドに保存されていることを確認して、達也はため息を吐いた。


「どうしたんですか、達也さん」

「……俺、荷物一切、イベント会場の控えスペースだ」

 今から、病院へ行って……会場に戻るしかない。億劫だが仕方がない。財布が入っている。


「会場まで、付き合いますよ」

「タクシーって、ペイで払えるかな」


「多分大丈夫だと思いますし……俺が払うから良いですよ。お金は、あとで神崎さんから回収しますし。俺は、びた一文、値下げなんかしません。絶対に、泣き寝入りしないです。絶対に、払って貰うつもりですから。あの人が、人生を後悔するくらいの、巨額の慰謝料を請求してやる……。あと、この件は、あの人の奥さんとかにも連絡済みです」


 達也は、なんとなく、凪は、味方にするには心強いことこの上ないが、敵には絶対に回したくない類いの人だな、と思った。


「奥さん……か」

「前のタイミングの時のことも、奥さんには説明されると思います」


 前のタイミングの時、と言われて、達也は少し、もやっとする。あの時、達也は、神崎のことを好きだと思っていた。神崎も、そうだと思っていた。達也にとっては――――本気の恋だったからだ。


「……前の時は、神崎さんばかりが悪いという訳じゃないし」

 他ならぬ達也が、神崎との関係が継続するのを求めていたのだ……。


「最初に、割と無理強いされたんでしょ。それが原因ですよ」

 淡々と、凪は言う。


「どういうこと?」

「……感覚が麻痺するんですよ」


「そうなんだ」

 素っ気なく答えてから、達也は、凪の腕を見やる。切り口に、赤黒い血が固まり始めているのが見えた。


「凪」

「はい?」


「……俺のために、無茶、させてごめん」

 胸が締め付けられるような気分だった。今は、腕くらいで済んだが……、もし、胸や腹に刺さったとしたら。いま、こうして、笑って話をしていることもなかったかも知れない。


「……怪我までさせた。それに、到着が、予想より早かった。ここの人たちともいろいろ、打ち合わせしして、タイミングを見て、突入してくれたんだろ?」

 凪が、ふっ、と表情を緩ませた。


「あのね――俺は、達也さんが、達也さんの意に添わないことを、強要されているのは、絶対に、我慢がならない。達也さんは、ただでさえ、あんな奴の為に、苦しんでたんだから。これ以上、あいつの為に、苦しまなくて良い。……だから、その為なら、俺は、何でもやるし、何でもやれる」


 そう言って「だから、達也さんが無事で良かった」と笑う凪を見て、まなじりが、熱くなった。鼻の奥が痛くて、ツンとする。気が付いたら、声も上げずに、涙が、流れ落ちていた。


「た、達也さんっ!?」

 狼狽える凪の手を掴んだ。達也は、小さく呟く。


「本当に、神崎さんは、イヤだった……。凪が来てくれて良かった……。ありがとう……」

 声が揺れている。


 最後まで、自分勝手だった神崎に比べて、凪は、終始、達也のことだけを考えてくれている。達也が、傷つかないように、達也が思いのままに生きることが出来るように―――。


(ああ……、本気で、こいつ、俺のこと、思ってくれてるんだ……)

 それに答えられるか解らなかったが、神崎からの呪縛は、するりとほどけて消えていくのが解った。


 全身を、心までがんじがらめに縛り付けていた、神崎の呪縛は、凪のおかげで、するりと消えている。


 なんとなく、それを、達也は王子様のキスのようだと思った。


 どんな物語も、悪しきものの呪いを解くのは、真実の愛と王子様のキスだったからだ―――。


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