タクシーに運んで貰い、病院に行って、処置をして貰った。達也の方も、カウンセリングが必要かもしれないという話で、医師と会話出来た。
「もし、夜眠れなくなったり、影響が出た場合は、お住まいの地域の、心療内科に行くことをお勧めします」
たしかに、誘拐されたのだ。知り合いに、とは雖も、拒否することが出来ない状態で連れて行かれたのだから、ダメージがあっても不思議なことではない。ただ、達也の場合は、自分のことよりも、六針も縫合しなければならなかった凪の方が心配だった。
「しばらく、毎日消毒だそうです」
凪は、ため息を吐いた。
「地元でも大丈夫なのか?」
「ああ、一応、診断書を書いてくれるそうです。抜糸までは、少し掛かるらしいです。一応、痛み止めと化膿止めが出るそうです」
「そうか……」
「あと、グループLINE見ましたか?」
「えっ? あ、見てない……」
通知が来ているのは解っていたが、凪が心配で、スマートフォンを見るところではなかった。
「興水さんと、藤高さんです。取り調べとかがあったみたいで……、一旦、ORTUS社の方に行ったそうです」
「ORTUS社? なんで?」
「朝比奈さんが、動画で実況しながら、ORTUS社でも、あのシーンを見てたんですよ。それで、ORTUS社の方も、現在、頭を抱えている状態だそうです。うちからは、もう、ORTUS社とは関わらないと通達が出たそうなので、明日のイベントは開催したとしても、うちは、撤退です」
佐倉企画の社内でも、注目されていたイベントから、撤退するハメに陥ってしまったことについては、申し訳ない気分でたまらなくなる。
「……そっか」
佐倉企画では、おそらく違約金を払うことも辞さない覚悟で、ORTUS社と交渉したのだろう。
「とりあえず、一旦、ORTUS社に行きましょう」
アプリでタクシーを呼んで、ORTUS社に向かう。
あらかじめ、病院を出たことを告げていると、ORTUS社の前では、秘書達がズラリと揃って達也と凪を出迎えた。
「瀬守様、水谷様ですね。こちらへどうぞ、佐倉企画の皆様、お揃いです」
案内されたのは、応接室だった。豪華な内装をみるや、おそらく、ここは、役員達の使う、特別な応接室だろう。そのソファで、しかめ面をして腕を組んでいるのは、興水と藤高だった。池田と朝比奈の姿もある。警察の姿もあった。
「お疲れ様です」
声を掛けると、立ち上がって藤高が駆け寄ってきた。
「瀬守、水谷、大丈夫なのか?」
「……とりあえず、今の所は。医者からは、もし、眠れなくなったり症状が出たら、医者を受診して欲しいといわれました。凪は、六針縫いました」
「そうか……」
「概ねの所は、こちらから聞いていますが、調書を取らせてください」
警察署じゃない所でも、調書を取ることがあるのか、と妙なところで関心しながら、達也は「はい」と応じた。凪も、こくん、と肯く。
達也の調書をとるに当たって、別室に移った。警察官二名と、一緒に話をした形だ。
時系列順に、話を聞かれたのでその通りに答えたが、さすがに、神崎が現れたときのことを思い出したら、手が震えた。しばらく、思い出しそうだとは思う。
警察から解放され、凪と入れ違いになる。
応接室に戻った時、秘書が、コーヒーを入れてくれた。
飲む気はなかったが、喉は渇いている。水分は取っておいた方が良いと思って、とりあえず、コーヒーに手を伸ばした。
「ご心配おかけしました」
「いや、瀬守が無事で良かったよ。……神崎さんが、ここまでするとは思わなかった。瀬守が、興水くんに連絡してくれたから、なんとかなった。あと、水野も、いろいろ動いてくれてたみたいだよ」
「……興水、助かった。よく、あれだけで、ピンポイントに料亭が解ったな」
「場所は、凪が調べてくれていたんだ。……おそらく、神崎さんの過去に行ったことがあるところとか、そういう方面から探したんだと思う。ああいう所は
「……なるほど、考えたこともなかった」
「とにかく、凪は少し怪我したけど、達也さんが無事で良かったっス」
「本当です。……気を付けていたつもりだったのに、油断しました」
池田と朝比奈も、表情を和らげた。
「凪が怪我したのは……本当に、申し訳ないよ……」
まさか、凶器を持っているとは思わなかった。そういう意味では、達也も、油断をしていたのだ。
「俺は、凪が怪我したのは、良くはないと思うけど……、もっと早い段階で、神崎さんが、達也さんにナイフを向けてこなくて良かったと思ってますよ」
池田が、神妙な顔をして言う。
「早い段階……」
「そうっスよ。あの人、なんか、イッちゃってたじゃないですか……もっと、早いうちに、あの人がナイフを出してたら、達也さんの命に関わったかも知れないじゃないですか。ああいうタイプの人って、何しでかすか解らないし……、死んでても構わないとか言いそうじゃないですか」
ぞっとした。殺してでも手に入れたい―――というような気持ちが、この世にあるのか、達也には解らないが、そう言うことが起きかねなかった……。
「神崎さん……は?」
「ああ、とりあえず、逮捕された。傷害の現行犯、誘拐の現行犯で。映像は、全部提供した。……料亭の方も、防犯カメラとか、いろいろ提供してくれたみたいだな」
「とりあえず、調書が終わったら、ORTUSさんと、今後の話をして、あとは終わりだな。うちの社長の方は、思うようにやれっていうことだったので、やりたいようにやらせて貰う」
興水の背後に、怒りが陽炎のように立ち上っているように見えた。藤高の方も同様だった。
「とりあえず、明日のイベントは、俺たちは参加しない。それは決定事項だ。だから、宿に戻って朝になったら、帰宅する。残りの宿泊分は、キャンセルだ」
「解りました」
イベントに出なくて済むというのは、ありがたい。もう、あの会場には行きたくない。
しばらくすると、凪が帰ってきた。スッキリした表情をしていた。
警察も一緒に戻ってくる。そして、ややあって、秘書室に、男が入って来た。三十代後半くらいに見え男で、Tシャツにジャケット、くるぶし丈のパンツ。裸足に革靴。いかにも、IT企業のビジネスマン、という出で立ちだった。