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第98話 ORTUS社代表、榊原


 いかにもITのビジネスマンという出で立ちの男は、「ORTUS社の代表、榊原です」と名刺を差し出してきた。


 役員の不祥事―――ということで、代表が登場したらしい。


「明日のイベントでも尽力してくださっていたと言うことで、いつもお世話になっています。今回は、弊社の神崎が、皆様に多大なご迷惑をおかけ致しました」


 大企業の代表だというのに、腰は低かった。丁寧に礼をされて、達也は拍子抜けした。


「まず、一旦、決定事項だけお伝えします。神崎は、一時間前に解雇しました。本日中に、各所にプレスリリースを出す必要があります。その前に、当事者である佐倉企画さんとお話しをする必要がある、と考えています」


 大企業の代表と、中小企業の一管理職では、役者が違うだろう―――とは思ったが、興水と藤高は、肩書きに臆した様子はなかった。それをみて、(さすがだな……)と思ってしまう。


「お忙しい中、お時間を割いて頂いてありがとうございます。今回の経緯は、ご存じですか?」


「ええ、聞いています。神崎が、そちらの瀬守さんを誘拐して連れだし、水野さんに切りつけて、負傷させたということですね。その他にも、色々と聞いていますよ。


 瀬守さんを英国に連れて行くために、公文書偽造などもやっているようですし、他にも、瀬守さんに対してはセクハラ行為もあったということで、聞いています。まず、瀬守さんと水野さんには、お詫び申し上げたい」


 達也と、凪の方を向いて、榊原は、深々と礼をした。


「誘拐等に関しては、神崎を訴えてくださって構いません。……それ以外のお話しですが、こういう事態になりましたので、まず、明日からのイベントは中止になります。

 イベントの為に、佐倉企画さんが作業してくださった分については、契約通りに、イベントを全期間開催した分、全額での、お支払いすると言うことで考えています。他の業者に対しても、一律、この対応になります」


「解りました、弊社としてはそれで構いません」

「別途、賠償等を請求する場合については、……弊社の法務を通して頂きたい」


 淡々とした人だな、と達也は思った。

 どんなことが起きても、ビジネスライクにやり過ごすことが出来る人なのだろう、と達也は思う。


「瀬守、賠償は請求するか……?」

 藤高に聞かれて、達也は、即答出来なかった。ただ、何か言わなければならない―――とは思う。


「俺は……」と口を開いたものの、何と答えて良いか、よく解らない。「あの人と、関わり合いになりたくありません。何を言っても、聞いてくれないし……自分のことしか考えて居ないような人ですので」


 それだけを言ってから、大きく深呼吸した。皆、固唾を飲んで、達也の答えを待っている。


「俺は、縁を切りたいです。永遠に」

 榊原は、少しの間黙っていたが、やがて、口を開いた。


「承知した。……ただ、神崎は、一時的に留置所に入ったりはするだろうが、割合、早いタイミングで出所はすると思う」


 罪状としては、『営利目的等略取及び誘拐罪』か『所在国外目的略取及び誘拐罪』が適用されるかも知れないが、10年以下の懲役だった。


「……出所した時、自宅に来られたら怖いです。そう言うことがないようになれば良いんですけど……」

「そればかりは、こちらでコントロールするのは、無理だな……」


 榊原は、ため息を吐く。


「逆恨みとかしてそうで、怖いです」

「あの人は、仕事は抜群に出来るんだけど、どうも、思い込みが激しくてね。ああいう、思い込みが激しい人でなければ、仕事は出来ないのかもしれないけど」


 苦笑する榊原の言葉を聞くに、榊原も、神崎をそれほど好いているわけではないと推測出来た。


「……榊原さんに言っても仕方がないことですが」と前置きをして、声を掛けたのは、凪だった。「犯罪の被害者のほうが、いつまでも加害者に怯えて過ごすのって、変ですよね」


「たしかに、その通りだな。……さて、ここから、ちょっと込み入った話をしても良いかな」


 榊原が表情を引き締めた。そのタイミングで、弁護士が入ってくる。スーツのラペルに、燦然と弁護士バッチが光っていた。






 榊原が確認したのは、今日中に出さなければならないという、プレスリリースのことだった。


 現時点で、公表する内容について、確認を求められたのだった。


「もしかしたら、そちらにも取材とか、迷惑は掛かるかもしれないけど―――一旦、取材は、全部こちらで受け持つ言うことにしておく」

 できる限り、達也の負担を少なくするための案だ、ということは解る。


 提示された内容は、達也の実名などは全て伏せている。ただ『下請け業者のA氏』ということになっていた。そのA氏に対して、取引先の優位的な状態を利用して、肉体関係に持ち込むなど、数年にわたってA氏に性的な交渉を迫った過去があり、今回、A氏を誘拐するに至った、というのが第二報以後に明かされるはずだった。


「……とりあえず、俺も、神崎には賠償を請求するつもりだ。……準備したイベントが、あいつの不祥事のおかげで中止になるんだ。……今、広報部なんかも走り回っているよ。しばらくの間、CMも自粛しなきゃならないから、テレビ局とか雑誌社にも多大な迷惑を掛けることになる」


 その金額が、どれほどの金額になるか解らないが―――、おそらく、神崎の貯金を総動員しても、無理な額であるというのは理解出来た。


「ったく……、優秀な人だと思って、野放しにしていたツケがここに来た。……叩いたら、もうちょっと何か出てきそうだから、今から、社内に調査・対策チームを作ることにするよ」


 榊原と会話をしたのは、ほんの少しのことだ。けれど、妙な安心感があると思った。


「まあ、ここから、また、リスタートすれば良いか。……また、連絡をすることもあるとおもうから、よろしくね。俺への連絡先は、名刺に書いてあるから、連絡をしてくれたら気づき次第折り返すよ」


 それじゃあ、と立ち上がって、最後にもう一度「お二人には、本当に、ご迷惑をおかけしました。佐倉企画さんにもご迷惑をおかけしました」と頭を下げてから、颯爽とさっていった。


 残された、達也たちは、ぼんやりとしていたが、「よしっ、帰ろうか」という藤高の言葉で、我に返った。



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