時刻は、すでに二十一時を回っていた。
「いまから、一時間電車に揺られるのも大変ですよねぇ」
思わずため息が出たが、控えていた秘書から「皆様方、よろしければ、本日のご宿泊先を手配させて頂きましたが……本日はそちらでお休み頂いてはいかがでしょうか?」と提案があった。
「えっ、でも……この人数ですよ?」
「ええ、ご人数分、手配してございます。ご移動に関しましては、ここからは、タクシーを手配してございます。翌朝は、チェックアウトの際に、お申し付けくださいましたら、いまのご宿泊先までお送りするように申しつけておりますが」
柔らかく微笑む秘書の有能さに舌を巻く。
榊原の指示もあるのかも知れないが、実際に手を動かしているのは、この秘書達だろうから……。
「どうします?」
池田が、おずおずと聞く。
「えっ? そりゃ、こんな所までお世話になるわけには行かないから……」
帰るよとでも言おうとした藤高の言葉を遮って、秘書が言う。
「もう手配確定していますので、皆様方がご宿泊にならない場合でも、費用は発生致します。ですから、お気になさらずお使いくださいまし。ご夕食の手配は必要でしょうか」
皆様方、ずっと、お食事も召し上がっておられませんし……と言われて、確かに、腹が減っているのに気が付いた。
「この時間でも、予約可能な店ってあるんですか……? できれば、あまり、肩肘の張ったところでなくて、大声を出しても怒られないような……」
「畏まりました。それでは、こちらで知り合いの店を手配致します。チェーン店の個室居酒屋ですから、気楽にお使い頂けると思います。手配した宿泊先から、歩いて十分ほどですが……」
「それなら、歩いて行きます。ありがとうございます、ご厚意に甘えさせて頂きます」
宿は、外資系高級ホテルだった。
一人一部屋手配してくれたが、どれもジュニアスイートだったので、落ち着かない広さだ。
凪は、怪我をしているし、服も切られているので、仕方がないから近くのコンビニで、フーディを入手してきた。切られて血のついたスーツなど着ていれば、目立つだろう。
みんな着替えたかったのもあって、それぞれ下着などを手配する必要があると思っていたら、シャツと下着については部屋に3サイズ分揃えられていた。これも秘書の手配によるものだった。
チェックインだけして、食事に向かう。駅が割と近いらしく、二十二時近くになっていたが、人通りが多かった。あの秘書が手配してくれた、と聞いて少し不安になったが、日本全国どこにでもあるような店だった。注文をタッチパネルで行うような店だ。
とりあえず飲み物と適当に食べるものを注文して、一息をつく。
「……何か、散々でしたね」
朝比奈が、呟く。
「あ……その、みんな、済みませんでした、迷惑掛けて……」
達也が頭を下げると、「何言ってンですか、達也さん。……悪いのは、あの神崎って人でしょ」と池田が、達也の肩をバンッと叩く。
「痛っ……お前、痛いよ」
「あっ、すんませんっ。……でも、まあ、とりあえず、達也さんは無事だったし。あの人とも縁は切れたでしょ。凪は、怪我したけど……とりあえずは」
「そうだな、みんな、お疲れさん。……せっかくのチームで仕事が成功しなかったのは、ちょっと残念だったけど」
藤高がグラスを掲げる。
「そうですね……でも、とりあえず、無事だし。あの感じだと、会社に損害も請求されないんじゃないですかね」
「確かに」
「会社が損しなけりゃ、それで良いよ。会社員の俺らとしては」
興水の言葉に、一堂が肯く。
「あとは、今回のケースで、……改善出来る点とかがあれば検討した方が良いと思うから、上げて貰うくらいかな」
藤高が言うのを聞いて「真面目っすね。藤高さん」と池田が茶化す。
「一応、転んでもただでは起きない、何か、土でもひとつかみしてやるっていうのが、モットーだったんだ」
「それが、管理職をやる人の考え方かぁ」
達也は、なんとなく、無理だなあと思ってしまう。転んだら、しばらく放っておいて欲しい。なんなら、誰かが、優しく慰めてくれたら良いと思う。なのに、藤高は、転んだとしても何かを掴む、というのだ。
その時、達也のスマートフォンに通知が入った。
「スマホ、通知?」
「あー、多分、ニュースアプリ……」
スマートフォンに表示された文字を見て、達也は、言葉を失った。
『ORTUS社、英国支社長・神崎玲一氏、誘拐・傷害で逮捕。ORTUS社は緊急記者会見の予定』