ホテルに戻ったあと、達也は凪の部屋を訪ねた。
「どうしたんですか、達也さん」
「うん。腕を怪我してるから、いろいろ不便かと思って……それと……」
と入り口の所で話していたが、言葉が途切れた達也の様子を見て、凪は、ため息交じりに達也を部屋の中へ誘った。
凪の部屋も、達也の部屋も、作りは変わらなかった。
広々としたリビング。それにバーカウンター。寝室は別だった。
高層階から見下ろす東京の街は、先ほどよりも、まばゆさが減っていた。寝てしまったり、オフィスから人が消えていたからだった。この街は、住む人よりも、働きに来る人たちが多い街だった。
「凪、今日、来てくれて、助かった。本当に、感謝してる。色々、やってくれたって聞いたから」
そう切り出した達也に、凪が、目を伏せた。
「なんで、危険だって解ってて、達也さんを一人にしたのかって……そればかり思っています。それに……」
凪は、歯切れ悪く、言を切った。
「どうしたんだ、凪?」
「……達也さんが、あの料亭に居るのが解ったの……、達也さんの位置情報、取ってたからなんです」
「位置情報……」
どういうことだろうか。たしかに、友人同士で位置情報を共有するアプリなどは、以前に流行していたような気がするが、そういう類いのものだろうか?
「殆ど違法のソフトです。遠田に作って貰って、達也さんのスマホにこっそり仕込んであります……達也さんに、無断で」
「そんなことしてたのか……」
そういえば、最近、スマートフォンの電源がなくなるのが早いと思っていたが、そのアプリのせいだったのだろうと思ったら、合点がいった。
「言ってくれれば良かったのに」
「絶対に、達也さんは、拒否したと思っています。だから……、達也さんの位置情報をうまく拾えて、結果として、オッケーだったですけど……。達也さんは、誘拐された訳ですし……」
凪が、唇を噛む。
達也は、呆れてしまった。経緯はどうであれ。凪は、達也に万が一の事があったとしても、なんとか助けたいという一心でこれをやってくれたのだ。そのことに、不満など、あるはずもない。むしろ……。
「俺のために、危ないことをしないで欲しい。……怪我までして……、本当に……心臓に、悪い」
「良いんですよ、俺だって、あの人に、達也さんを攫われたんですから……俺の方が、許せないです。この程度のことは、たいしたことはないです。……でも、達也さんに無断で、いろいろしていたのは、済みませんでした」
「……アプリの件?」
「はい」
「凪だけ、位置情報を見てただけなんだろ。なら、そんなに気にすることはないんじゃないか? すくなくとも、俺は、そう思うけど……」
「え……っ?」
凪は、面食らっている。凪としては、許しがたい失態だったらしい。けれど、達也はそう思わなかった。
「お前が……俺のために、色々考えて動いてくれたことについて、凄く嬉しいよ」
「……本当に?」
「ああ、それは、本当に。……しかし、いつアプリを仕込んだのか解らないけど、遠田が、やけに俺に突っかかってきたのは、そのアプリの件があるから、か……。遠田は……、まだ、凪につきまとってるの?」
「……つきまとうというか」
凪が、ため息を吐いた。「諦めてないみたいで、ちょっと、嫌な感じです。でも、アプリを作るなら、遠田のほうが早いし……」
早いし、という言葉に、達也は引っかかった。
(これは……遠田のほうが作るのが早いだけで、凪も、そういうアプリを作ることが出来る、ということだな……)
佐倉企画では、アプリを作るような機会はなかったが―――仮に、そういう機会が出来たとしたら、凪は、すぐに対応可能だと言うことだ。そのくらいの技術力があるのだろう。
「……遠田から、無理なことを言われたりは?」
「えっ?」
「俺、ついさっきまで、しつこい人につきまとわれていたからさ……、そう言うことになってたら、今度は、凪の事を守ってやらないとと思って」
「えー……」
凪が、残念そうな声を出して、ため息を吐いた。
「えっ、何?」
「……俺は、達也さんのことを守りたいんですよ。守られたい訳じゃないんです。特に、今回は、ヘマをした訳ですので」
床に視線を落とした凪の頬を、達也は両手で包み込んだ。
「……達也さん……?」
「……ヘマとか言うな。ヘマじゃない。俺は日本にいる。お前も、死んでない。あんなナイフでも、ヘタをしたら、多分死んでいた」
そして、神崎は、パスポートを勝手に取得したり、プライベートジェットに達也を詰め込んで、英国に行こうとしていた。あれは、本気だった。
「……そう、なんですか?」
「そうだよ、それに、どんな手段を使っても、位置情報を取って、助けに来てくれた。……お前が来てくれて、俺は、安心したんだよ」
「本当、ですか? 興水さんではなく?」
凪の瞳が、不安そうに揺れている。凪の頬を手で包んだまま、達也は言い切った。
「興水じゃない。凪を見て、ホッとしたんだ。その次には、凪が、怪我をしたり、死んだりしたら、絶対に嫌だと思っていたけど」
「そう、なんですね」
「勿論、本当だよ」
達也は、凪の頬から手を放してから、凪をそっと抱きしめた。
「……あと、勝手に恋人とか言って済みませんでした……」
「まあ、社内で、いろいろ言われそうだけど……その前に、俺の方にツッコミどころが多いから」
「ツッコミどころ……?」
「そうそう。……取引先の役員から誘拐されたとか、その人からは、ずっと、肉体関係があったとか……こっちの方が目も当てられないだろう」
自分で口にしていても、あまり良くない話題が列挙される。
「……あっ」
「どうしたの、凪」
「記者会見の件―――深夜ニュースで、やってるんじゃないかと思って」
確かに二十三時に、記者会見をやるとは言っていた。おそらく、今日のニュースでは、記者会見の様子も出るのだろう。
「そうだな」と受けて、達也は、リモコンを操作した。馬鹿でかいテレビには、ややあってから、ニュースが流れ始める。
記者会見場が設けられ、榊原がマスコミの前に一人で立っていた。ほんの数時間前までやりとりしていた人が、テレビに出ているというのが、なんとなく不思議だった。現実感がなくて、なんとなく、作り物じみて見えた。