朝比奈が藤高に連れられた焼肉屋は、間口が小さい店でかなり古ぼけた感じだった。昭和な感じ……レトロな雰囲気、とでも言えば感じの良さそうな店に聞こえるが、単純に、古い。店の外観は、黒ずんでいるし、飾りのつもりなのか、タイルが貼られた場所があるが、それもところどころ剥がれていた。
朝比奈は、この店の前を通ったことがあるが、今まで単純に、廃墟だと思っていた。
入り口近くに来ると、もうすでに煙がもくもくと立ちこめている。排煙設備の整った店が多い昨今、こんなに煙まみれになるのは珍しい。
「……煙いんだけどさ、ここが美味いんだよ!」
藤高が、入り口を指さす。煙と雰囲気に圧倒されていたら、ガラッと音を立てて戸が開いた。立て付けが悪い木製の戸は、ガラスが入っているが、コレもまた、レトロな昭和の模様入りガラスだった。
中からは、賑やかな声が聞こえてくる。
賑やかな、というより、殆ど怒声だ。
「……なんか、凄いですね」
怖じ気づきながら、朝比奈は藤高の後に続いた。
「おー、空いてる空いてる。よかった」
独り言ちながら、藤高は席に着く。「二名ね」と店員に合図すると「ハイッ、ラッシャャイマッセェェェ!」と怒声の勢いで挨拶が飛ぶ。
「すっ、すごい……元気な店ですね」
「ははは、そうなんだよねぇ……正直、店は廃墟、中も汚い、店員もアレなんだけど、味はとびきり美味しいんだよ。……こういう所は、気心知れたヤツしか連れてこないんだけど」
藤高の言葉を聞いた朝比奈は「えっ」と小さく呟く。気心が知れたヤツ、と藤高は言った。それは、特別親しいと思ってくれているのだろうか……?
真意を問いたかったが「お通しっス」と、店員がガツンッと音を立ててお通しをおいていった音に遮られた。
「朝比奈って、ホルモン、初めてなんだよね? じゃ、勝手に注文して良い?」
「はいっ、お願いしますっ!」
「あと、ニンニクとか大丈夫?」
「えっ? はい」
「ここ、タレがニンニクありなし選べるんだけど、ニンニク入ってたほうが絶対美味しいからさ……あと、結構食べれそう?」
「勿論ですっ!」
じゃあー……と言いながら、藤高が選んだのは、タン、ハラミという、どの焼肉屋でも食べられそうな部位から始まって、ミノ、ハチノス、ハツ、カシラ、ガツ、白モツ……だったが、聞いているだけで、朝比奈には、部位が想像出来ない。
(……いや、想像して、食べられなくなったら申し訳ないから、想像しないことにしよう……)
飲み物はビール。あとは肉のお供に、キムチの盛り合わせを注文した。
「一気に注文して大丈夫ですか?」
「あー、ここね、暗黙の了解で、一気に注文なんだよね。肉を出してくれるタイミングは、店次第なんだけど……。今はさ、焼き肉の食べ放題とかだと、タブレットだし、注文したらすぐ出てくるでしょ? だから、間が気まずくなるような人だと、ちょっと連れて来づらいよねぇ。あとは、お上品そうに見える人とか」
藤高が、微苦笑したのを聞いて、なんとなく朝比奈は聞いてしまった。
「興水さんとか……」
「あー、興水くんはねぇ、なんか、オシャレな店しか行かなさそうだし、あの人!」
「たしかに……そういう雰囲気ってありますよねぇ……」
長身で整った顔立ち。それを十分自覚して居るらしい興水は、服のセンスも良い。立っているだけで、サマになるというのか……人目をひく、華やかな容姿をしている。
「それにしても、朝比奈は、ホルモンって行ったことないの?」
「ええ、恥ずかしながら……。大学時代、みんなで焼き肉に行くってイベントがなかったんです。バーベキューとかは、ゼミでやったんですけど……」
「へぇ、キャンプとか行った?」
「あっ、いえ……学校の敷地内で、バーベキューをやって、あとで、うちのゼミの担当教授が、学生課からしこたま怒られたそうです」
「そりゃ、怒るだろう……」
藤高は笑う。丁度、生ビールがジョッキで運ばれてきたので、軽く乾杯してから、流し込む。
「あー……。仕事上がりのビールって、美味いなあ……」
「本当ですよね。社会人になるまで、ビールって、美味しいと思わなかったんですけど、最近、美味しいなあって思うようになりました」
そう思えば、ビールを美味しく飲むためには、労働が必要なのだろうかとも思うが、それは敢えて考えないことにした。
「大学の頃とかは、結構飲みに行ったりした?」
「合コンみたいなのには縁がなかったんですけど、ゼミの仲間と、良く飲み会は行ってました。ただ……みんな、お金がないから、焼肉屋に行くより、バーベキューだったんです。肉屋でバイトしてたヤツがいて、社割で仕入れてくれたので」
「それいいなあ、持つべきものは、肉屋の友人かも知れない」
藤高は、心底、うらやましそうに言う。
「藤高さんは、ホルモン、結構好きなんですか?」
「うん、好きだよ~。焼き肉自体が、大好きだよね。年を取ったら、焼き肉は美味しく食べられなくなるって言うから、頑張って今のうちに食べようと思うよ」
「藤高さん、ぜんぜん年とかじゃないのに」
「いや、興水くん、見てると。ねぇ……」
美形で若々しい興水は、あれは『規格外』だと朝比奈は思っている。
「興水さんって、美容とか、ものすごく気遣ってそうですけど……」
「ああ……たしかに……」
「家とか、凄い、オシャレで素敵な家に住んでそうなイメージですよね。なんか、こう、完璧な感じで」
「完璧じゃないと言えば、うちみたいな小さな会社に入ったことかも知れないよね。優秀だから、僕は、ああいう人が居てくれて助かってるけど」
うんうん、と肯いているところに肉が運ばれてきた。
最初に届いたのは、タンとハツだった。
朝比奈が想像していたよりも、ずっと綺麗で美しい色合いの肉だった。肉を見て、美しいと思うことは、今までなかったが、素直に、美しいという言葉が出てきた。思わず、釘付けになってしまう。
「ここね、お肉は本当に新鮮で、ちゃんと仕事もしてあって、美味いんだよ」
「だと思います。本当に、綺麗な肉ですね」
「うん、じゃあ、網も暖まってるし、焼くね」
よく焼けた網に肉をのせていく。この店には、排煙装置などない。ひたすら、煙に燻される形になる。
「……今のうちに、タレ、出しておくと良いよ。そこにニンニクあるから、追加するのが、僕は好みかなあ」
藤高に促されるまま、タレの支度をする。ニンニク味のタレ、そこにニンニクを足す。藤高もそうしていた。「辛みが欲しいときは、そこの豆板醤ね」
「辛いの、良いですね」
「ま、食べてみて、好みで調整すると良いよ」
タレを箸先に付けて、それを舐めて藤高は味を確認してから、ビールを飲む。勢いが良い。
「……今度、皆で、鍋やるじゃないですか」
「ん?」
「それで、もつ鍋もやったことがなくて、ホルモンが苦手かどうかも解らなくて、今日、付き合って貰って、助かってます」
「そっか……ホルモン好きだったら、嬉しいけどなあ」
「……そういえば、この間、来週の……、ハマスタのチケット、イケなくなったからって、譲ってくれたんですよ。で、藤高さん、どこのチーム応援してるか解らないんですけど、僕は、一緒に行く人がいないから、もし良かったらと思って」
「来週のいつ?」
「土曜日です」
「じゃあ、行きたい」
「藤高さん、どこのチームが贔屓なんですか?」
「んー、つば九郎が居るところ」
なぜ素直にヤクルトと言わないのか、不思議に思ったが「じゃあ、丁度良かったですね」と朝比奈は言う。対戦カードは丁度、ベイスターズとヤクルトだった。ペナントレースも後半戦で、優勝こそ逃しているものの、展開によっては、優勝を争うチームの順位やマジックに影響がある、中々面白いゲームのはずだった。
「朝比奈は?」
「……ベイスターズです。それで、友人が譲ってくれたんです。なので、席が、ホーム側になりますけど……」
ホーム側でビジターチームの応援というのも、居心地が悪いかも知れないとは思ったが……。
「大丈夫だよ、ヤジとか飛ばしたりしないし」
「じゃあ、それでお願いします」
「あっ、そうだ。……ハマスタって、横浜の関内だよね? ……さすがに、ナイター見て、ここまで戻れないから……一緒に泊まって、翌日、中華街でも行く?」
思わぬ展開に、朝比奈は箸を落としてしまった。
「あー……上司となんか、行きたくないよな、すま……」
「いえっ!! 是非お願いしますっ!! 僕っ、中華街も行ったことないですっ!!!」
大声で返事をして勢いよく頭を下げた朝比奈を、藤高が笑った。
「じゃあ、宿、決めないとな。……ありがとう」
すこし、照れたように、はにかんで笑う、藤高を見て、朝比奈は、胸がぎゅっと掴まれるような、痛みを覚えた。
(まさかの、お泊まり……)
勿論、藤高と『なにもない』だろう。
だが……二人で、出掛けられる、というのは……嬉しかった。
(仕事、頑張ろう)
気合いを入れる。丁度その時、焼き上がった肉を、藤高が小皿に取り分けてくれた。
「じゃあ、食べてみて」
促されて、食べてみる。コリッとした食感だった。噛みやすいし、あっさりした味わいだ。タレは、やや甘めでニンニクがガツンと来る。濃厚なタレだったが、ハツに良く合う。
「……美味しいです」
「良かった。じゃあ、ガンガン焼くぞ!」
「はいっ!!」
網の上に、多数の肉が広げられる。それを見ながら、朝比奈は、未知なる味も楽しみだったし、来週、急に出現した『お泊まりデート』も楽しみでたまらなくなった。