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第112話 上司ガチャ

「まあ、たしかに、充実はしてたよなあ」

 ぼんやりと藤高が呟く。「僕の会社員人生でも、こんなに大きな仕事ってやったことがなかったからねぇ」


「そうですね……」

 しみじみとした時、藤高のスマートフォンに着信が入った。


「あっ、すまん、ちょっと電話に出るよ……はい、佐倉企画、藤高でございます、いつもお世話になっております」

 社用携帯のようだった。誰だか解らなかったが、池田がニヤリと笑う。


「よし、今のうちに、鍋、食っちまいましょう」

「えー、それは酷いなあ」

 といいつつ、興水は鍋に手を伸ばす。


「ちょっと二人とも……」

 と窘めるのは朝比奈で、凪は、ぼんやりしていた。どうも、凪の様子がおかしい。達也は、小さく凪の腕を突いて「体調でも悪いのか?」と聞いてみた。


 ハッとしたように凪は笑顔を貼り付けて、「済みません、大丈夫です」と答える。


「大丈夫……って……」

「ちょっと、最近、気が抜けてて、済みません」


「気が抜けてるくらいなら良いんだけどさ……それより、なんて言うか……」

 心ここにあらずというか、塞ぎ込んでいるのが気になっている。そう言おうとしたが「いや、ちょっと……この場で即答はしかねまして……、済みません二日、お時間頂ければ」と慌てた声で交渉する藤高の声が聞こえてきた。


 ただならない様子に、思わず、皆の箸を持つ手が止まった。


「……ええ、それでは……はい、失礼致します」

 藤高が、電話を切って、はあっ……とため息を吐いた。


「藤高さん、なにか、トラブルですか?」

 興水が箸を置いて藤高に問いかける。


「えっ? ああ……そうなんだよなあ……」

 藤高は、天井を仰いでから、ビールが入ったジョッキを持つと、一気に呷った。


「……興水くん。ちょっと、タバコに行かない?」

 興水は、タバコをやらなかったはずだ。藤高もそれは、知っているだろう。外で、二人で話したいと言うことらしい。それを察した池田が、


「よしっ……課長たちが居ない間に、鍋、片付けましょう!」

 と明るい声を上げた。池田は、藤高の真剣な雰囲気を察して、空気が重くならないように配慮をしてくれている。そして、藤高が、『みんな』ではなく興水だけを連れて行くということは、ここに居るメンバーのレベルでは、対応出来ないこと、ということだ。それをいち早く察する池田の瞬発力を羨みつつ、達也も「よし、食うか」と中腰になる。


「ちょっと、瀬守! 俺らの分も残しておけよ!」

 藤高が声を上げる。


「いやぁ、わかんないですよねぇ。俺ら、育ち盛りだし」

 達也が笑うと「あっ、僕も育ち盛りだから、しっかり食べますよ!」と朝比奈も鍋に手を伸ばす。


「……ったく、俺と興水くんは、ちょっとタバコ行ってくるから」

「はいはーい」


 半ば無理矢理、興水は藤高に連れて行かれた。部屋を出て行く瞬間、一瞬だけ、興水と目があったような気がしたが、達也は気にせずに鍋へ向かった。


 二人が去ってしばらくして、「何だったんですかね、あの電話」と池田が言う。声のトーンは、先ほどのような明るいものではなかった。


「わかんない」

 達也は、そう告げて、鍋から、もつを自分のとんすいにいくつか取り分ける。


「ま、そうですよねぇ」

「ただ……藤高さんのあの様子だと、俺らには聞かせたくない内容なんだろ。だから、俺らは、一応、聞き耳は立てておくにしても、追求はしないほうが吉だよ」


 達也の言葉に、池田が目を瞬かせた。


「そんなもんなんですか?」

「……俺らに扱える情報と、管理職が扱える情報は違う。それは、歴然としてる。……だから、あの人達が、総合的に判断したことは、よほどのことがなければ、信頼して付いてくしかない」


「でもさー」と池田が声を上げる。不満げだった。「……それって、上司ガチャ外れたら、最低じゃないですか」

「上司ガチャ」


 思わず、達也は笑ってしまった。


「なんスか?」

「……ガチャってさ、ちょっと、意味合いが違う気がするけど」


「えっ?」

「……一時期流行ったらしい『置かれた場所で咲け』じゃないけど、ある程度、配置されたところで自分の能力は発揮できないとダメだろう」


「そ、うですかね?」

「そうそう。……例えばさ、凄いテストの点数を取れるヤツがいたとして、『塾だと100点取れます』だけど、学校では全然出来ないとかだったら、話にならないだろ、点数取れるヤツっていうのは、どこでも点数取れるヤツだよ」


「まあ、それはそうですけど……」

「だからさ、本当にテストの点数が取れるなら、どこでも高得点が取れるだろうってコト……まあ、上司がクソとか、パワハラとかなら、それはまた、話が違うけど……」


「でも、達也さん……好き嫌いとかあるじゃないですか」

 池田の問いかけに、思わず、達也は笑ってしまった。


「仕事をしに来てるのに、好きも嫌いもないだろ。……やりやすいとかはあるかも知れないけど、嫌いだって、別に仕事は出来るなら問題ない……人間的には好きな上司でも、仕事はやりづらいってこともあるだろうし。まあ、発言がコロコロ変わるような上司に振り回されるのはゴメンだけどな」


 達也の言葉を聞いた朝比奈が、「そうですよね」とうんうんと肯いている。


「まあ、とりあえず、俺らは藤高さんと興水さんを信じるしかなさそうですよね」

「そりゃそーだ」


 もつ鍋を口に運ぶ。ぷるん、としたもつを噛むと油の甘い味が、醤油味のスープと一緒に口の中に広がる。しみじみと美味かった。


「うま……」

「マジで美味いっすよね」


「……もつ鍋、初めて食べたけど、これ、僕、かなり好きです!」

 はしゃぐ三人を余所に、凪は、黙ってビールを傾けていた。



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