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第115話 小さいプロジェクト


「凪が……ヘンだって? なんか、この間もそんな話をしてたと思うけど」


 興水が、真顔で聞き返す。小さな居酒屋は、なんとなく、少し空気が冷えたように感じた。早く、日本酒を持ってきてくれないだろうか……と祈るような気分になりつつ、達也は「まあ」と、気にした風もなく呟く。


「ゴメン。なんか、凪がヘンなんで、気になって……」

「仕事は、いつも通り、完璧だろう。……病院には通っているというのは聞いている」


「うん……そうなんだけどさ」

 言葉にして説明出来ない類いの、不可解さがある。それを、説明することが出来なくて、達也は、はがゆい。


「……達也は、凪がおかしいとして、どうしたい?」

「どうって……」

 興水の問いに答えられなかった。


(『いつも』の凪と違う感じがした。だから、嫌だった。不安だった、……不愉快? ではない。ただ、どうしたんだろうって思ってた……)


「少なくとも、お前がどうしたいかっていう話になるだろう? そして、それを聞くのは、俺じゃなくて、凪だろうよ」


「たしかに……」

 正論すぎて、ぐうの音も出なかった。


「で? 凪には聞いたのか?」

「まあ、一応は……。一体、どうしたんだっていうことは、聞いた……聞いたけど」


「大方、凪のことだから、何かあったとしても『何もない』とか『なんでもない』とか言うんだろ。で、お前は、それが『何でもない』に見えないから、モヤモヤしてる、と」


 興水はズバっと指摘してくる。それが的確で、胸が痛くなる。


「……そうだけど」

「まあ、お前の納得出来るようにしたら良いと思うよ。……俺は別に、お前らが離れるなら好都合だしな」


 カウンターの中から、日本酒が出される。

 キリっと冷えた冷酒だった。薄造りの透明なガラスの酒器に入っている。おちょこは二つ。お通しと、注文していた塩辛やつまみが一緒に出てきた。


 興水は、塩辛を一口食べて、酒を口に含む。


「あっ、美味い……。さっきの常連さんに感謝だな……。かなり旨いよ、これ。後味にゆずの風味が来て……」


 達也も塩辛を口に運んで驚いた。独得な風味はあるものの、嫌な臭みがない。うまみの塊が口の中で爆発する感がある。そして、最後の頃に、ふわっとゆずの香りが抜けていく。


「えー、美味いね……これ」

「酒がはかどる」


「……ヤバイ……これ、飲み過ぎそう」

 達也の言葉に興水の顔色が変わった。「お前……絶対に飲み過ぎるなよ……?」


「……えっ?」

「……お前が本気で酔っ払うと、苦労するんだよ……」


「そりゃあ、済みません……」

 おそらく何度が迷惑を掛けたのだろう。そういえば、凪にも、興水にも酒では迷惑を掛けたのを思い出した。


「俺、もしかして、酒は弱いのかな」

 達也が呟くと「強くはない」とにべもなく興水が返答する。


「……そっか……強くはないか……」

「お願いだから、飲み過ぎないで欲しい。……アル中になっても嫌だし……」


「き、気を付けます……」

 とは返答したものの、少々怪しい。第一、酒を飲んで判断力が低下している人間に、セーブなど利くものだろうか?


「……あのさ」

「ん?」


「さっきの話……って、どんな感じ?」

 達也の問いかけに、興水は、達也の顔も見ずに答える。


「……小さいプロジェクトだよ。そして、あそこの会社さんの本業とは、かけ離れたところだな。……どのくらい違うかって言うと……IT屋が、しいたけの栽培をやるくらい違うな」


 どういう喩えだよ、とは思った達也だったが、なんとなく、理解は出来た。それくらい『畑が違う』ということなのだろう。


 ORTUS社は、IT企業だ。そのORTUS社が、『しいたけの栽培』をするくらい違う仕事で、誘われたと言うことだろう。


「あの人が関わってきたりは……?」

「無いと思う。そもそも、もう二度と連絡するなとは言ってたから、ルールは守ってないけどな」


 ルール。

 その言葉に、ドキッとした。今、達也は、『ルール』で守られていると言って過言ではない。


 神崎が、世の中に出てきた場合―――ORTUS社は、神崎には、達也には近付かないことを『約束』させたという。だが、それは口約束だ。守られないこともあるだろう。


「……だが、せっかく、いろいろ一緒にやったのに、コレで縁が切れるのが残念だと思ったらしい」

「担当さんが?」


「いや……榊原さんだった」

「えっ!?」


 達也は、思わず声を上げていた。榊原は、ORTUS社の代表だった。今は、引責辞任しているが、幾らか、まだ、ORTUS社とは関わり合いがあるのだろう。


「……なんか、ちょっとだけやりとりしたでしょ? あの時にね、気に入ったみたいだよ。我々のこと」

「そうなの?」


「うん。また、裸一貫、君らみたいな会社を作るよって言ってたんだけど、最後に、お荷物部署を作っちゃったから、そこの立て直しの為に力を貸して欲しいっていうことらしい」


「裸一貫……」

「会社の社宅に住んでたらしいから、住む所もなくなって、今は無職でスタートアップを考えてるってさ」


「はあ……タフだなあ……」

「タフじゃないと、務まらないんだろうね……」

 興水が、杯を傾ける。


「……で、俺は、お前がまだあそこと仕事をしてみたいなら、一緒に仕事をしたいと思っただけだ」

「興水……」


「まっ、明日、うちの社長とやり合ってみるよ。ただ、俺の方は、やる方向で考えてる」

「うん」


 そのまま、時間ギリギリまで話していたので、電車には飛び乗ることになってしまった。




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